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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
六月
43/66

機転


 たったひとりの客のために、緊急にバカラの準備がなされた美術室。

 バカラテーブルの中央の席に腰掛けるまりあに、そらなはうんざりした顔で説得する。

「……ディーラーが何度も申し上げたとおりです。当店のバカラのバランスは最大でも百万円。それ以上の勝負はお受けできません」

 バカラにおける〈バランス〉とは、カジノ側が勝負を受けられる〈PLAYER〉と〈BANKER〉のベット額の差を指す。客がひとりしかいない現状では、そのまま最大賭額(マキシマム)と同義になる。

 自分の目の前、〈PLAYER〉側に五百万円分のチップを積んでいるまりあは、しかし賭けを引っ込める素振りを微塵も見せない。脚を組み、ゲームテーブルに頬杖を突いて嘆息する。

「この店はたった五百万の勝負も受けられないの?」

「マリベル様がお決めになられたバランスです」

 応対するそらなの表情は疲労で曇っていた。

「この前わたしが来たときは、好きに賭けさせてくれたじゃない」

「今晩の運営を任されているのはわたしです」

「『マリベルが決めた』、『わたしが仕切っている』。矛盾した言い方ね。それともあなたは言われたことしか守れない、融通の利かない使いっぱしりなのかしら?」

「規則やマニュアルを守ることを『融通が利かない』とは思っておりません。現在飛行機に乗っておられるマリベル様に許可を仰げない以上、わたしが判断いたします」

「そう。それじゃあ……わたしがこのまま譲らないでいて、あなたがどんな〈判断〉を下すのか、試してもいいかしら?」

 まりあがせせら笑うように、そらなが冷淡に、見つめ合う中―――

「いっきし!」

 ふたりの会話を傍観していた怜雄が、突然なくしゃみで緊張を壊した。

「あー、やっぱり今日は寒いっすね、まりあ様。ブランケットとか持ってきます?」

「……それより温かい飲み物がいいわ。エメラルドマウンテンはある?」

「せっかくですから缶コーヒーの熱燗なんてどうです? きっと日本の味がしますよ?」

「面白いこと言うわね、レオ。ソラナよりもよっぽど気が利くわ」

「いえいえ。そいじゃ少々お待ちを」

 そう言って怜雄は、そらなの肩を抱いて美術室を出た。

「ばーか。喧嘩してどうすんだよ。姫の親戚を出禁にする気か」

「……今のは正直、茶々を入れてくれて助かった。ちょっとイライラしてたから」

「貸しひとつな。ところで、まりあ様のワガママは、やっぱり通らないか?」

「職員室にある金庫が直接姫様の口座に繋がっていれば別よ。……無理なものは無理」

「そう頑固になるなよ。悪い癖だぞ? こういうときこそ柔軟に発想しなきゃ。家庭科室に行って缶コーヒーを頼んできてくれるか?」

 まりあから受けた注文を押し付けられ、そらなは怜雄を睨む。

「あんたがへらへら笑って(かしず)けばいいでしょ? どこに行くつもり?」

「まりあ様は『ひとりでバカラをしたい』とは言ってない。助っ人を呼びに行ってくる」

「助っ人……って誰よ」

「俺に任せて家庭科室に行ってくれよ。じゃな」

 怜雄が了解も待たずに去っていき、そらなは「もう!」と憤慨しながら廊下を歩きだした。

 家庭科室ではプロレスラーの室戸が客からのサインや写真撮影を受けていた。さながらイベント会場のように騒がしい室内で、そらなは「缶コーヒーを温めて美術室にお願いします」と、端的に恵真に伝え、すぐにまた美術室に引き返してきた。

 すると、怜雄が呼んできた〈助っ人〉が、まりあの横の席に座っていた。

 杖をテーブルに立てかけてバカラテーブルに座っていたのは、白髪の老人だった。

「ご協力感謝します。佐久間会長」

「子供たちの頼みだ。わしにできることなら手伝おう」

「ありがとうございます」

 頭を下げる怜雄に、そらなは佐久間を引っ張ってきた理由を問い質したかった。しかし当の怜雄はディーラーの隣で話を進める。

「佐久間会長にはどうか、このまりあ・エスコバル様の勝負を受けてほしいんですよ」

「勝負を受けるのは(やぶさ)かではないよ。わしにも丁か半かを選ぶ権利があればね」

「もちろん。ですから先攻後攻のある特別ルールを、おふたりにご提案したいのです。先攻側が好きなサイドを選ぶ。それを逆サイドで受ける後攻側がベット額を決める。先攻側は後攻側のベット額に、バランス百万円以内に合わせて勝負を受けてもらう。次のゲームは攻めの先後を入れ替えて……という流れでいかがでしょう?」

「勝負が〈TIE〉で終わった場合は?」

 質問をしたということは、まりあはそのルールである程度納得したらしい。

「今回は特別に、賭け金をそのままお返しします。……どうです? わくわくしませんか?」

 怜雄からの提案に、まりあと佐久間は目を見合わせた。

「わたしはいいけど、おじいちゃんはどう?」

「元気なお嬢さんだ。わしは公平な勝負なら構わないよ」

「持ち合わせは平気なの? どんな勝負でも受けてもらうわよ?」

「わしはきみと同じように、このカジノにはいくらでもツケが利くんだ」

「決まりね」

「決まりですね」

 話をまとめた怜雄は、そらなに目配せを送った。

 そらなは不承不承といった様子で頷いた。


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