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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
六月
41/66

染谷とまりあ


 一方そのころ染谷義正は、校長室にて、無理矢理押し付けられた来客の対応をしていた。

 染谷には急な保護者面談が始まった感覚だった。

「マリベルさんは、学校ではとてもいい子ですよ。一番の優等生です」

「うそー。あの子が〈いい子〉なわけないでしょう?」

 モザイクの入りそうな卑猥な文句の書かれたTシャツを着る女はけらけらと笑った。

 染谷の正面のソファには、怜雄から「姫の叔母様だ」と紹介された、まりあ・エスコバルが座っていた。染谷の後ろには稲が立ち、まりあの後ろには、ホモサピエンスかどうか疑わしいほどに屈強な、彼女のボディガードが三人控えていた。

 聞けばまりあは、マリベルの父の弟を夫に持つ、ドルミデーリャに住む唯一の日本人だという。大統領の親族の嫁として、彼方(かなた)の国では豪勢な暮らしをしているらしい。

 自分の味方が誰ひとりとしていない状況だったが、それでも稲と沈黙を噛み締めるよりかは気が紛れる、と染谷は自身をごまかしていた。

「逆にお聞きしたいのですが、ご実家でのマリベルさんの様子はいかがです?」

「そうねぇ……あー、そう言われてみれば、確かにマリベルは〈いい子〉だわ。徹底した男社会のエスコバル家の中で、おとなしくやりすごしてる。本性を隠してね」

「本性?」

「『育ち盛りの若者は腹に狼を飼っている』とでも言えばいいのかしら。何かはわからないけど何かを隠して画策(かくさく)している。そんな感じよ」

 わからなくもない―――が、染谷は頷かなかった。

 幸か不幸か、まりあの気まぐれで話題が変わった。

「染谷先生、奥様は? 恋人はいらっしゃる?」

「いえ。どちらも」

「イネスはどう? とってもいい子よ?」

 笑いながら(すす)めてくるまりあに、染谷は「この人もか」と脱力した。

 マリベルやまりあがどれだけ稲を信頼しているのかは知らないが―――確かに彼女は美人で、健康的な肉体のプロポーションはひどく魅力的である。彼女が平日のマリベルの護衛をしているときに、自分以外に話しかけている同僚の男性教師が複数いることも知っている。

 しかし染谷には、「不審な行動を取ったらねじ伏せろ」と命令されている女を口説く勇気など、生まれ変わっても持ち合わせられそうになかった。

「ありがたいお話ですけれど、今は自分のことで精一杯ですから」

「あら、イネスなら背中をしっかり守ってくれるわよ?」

 思わず苦笑してしまう。〈家庭〉ではなく〈背中〉と言うあたりが、あまりにも〈らしい〉感じがしておかしかった。マリベルとまりあは血が繋がっているのではと思う表現だった。

 校長室の扉がノックされ、返事を待たずに扉が開いた。入ってきたのは怜雄だった。

「まりあ様、バカラルームの準備が整いましたよ」

「もう? 迅速な手際が憎らしいわ。染谷先生、名残惜しいけど……」

「ええ、またお会いしましょう」

「そのときは不倫しましょうね」

「……滅多なことは言わないでください。わたしは教師なんですよ?」

「からかい甲斐のある人は本当に好きよ?」

 まりあは手を振って、ボディガードと一緒に校長室を出ていった。

 室内には再び静寂が戻り、染谷の後ろに立っていた稲が彼の正面のソファに座った。

「……さっきのは、まりあさんの冗談ですよね?」

 問いかけに、稲は沈黙で答えた。まりあ・エスコバルは意味もなく嘘をつく人間なのだろうかと、染谷は沈黙の気まずさを紛らわすために、特に興味もないことを考えはじめた。


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