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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
六月
34/66

出立


「日本には競馬とかパチンコとかも賭博として存在するけれど、それらについてはどう思う?」

『「好きならいいんじゃない?」ってところね。ダメとは言わないわ。……でも競馬に関しては、情報を集めるのが、ひたすらめんどくさそうなのよねぇ』

 なるほど、と染谷(そめや)(よし)(まさ)は携帯電話の向こう側に相槌を送る。

『競馬って情報が物を言う賭博でしょう? 馬なら血統、体重、過去の戦績、得意なレース展開とか? 騎手なら年齢、体重、過去の戦績とか? レース当日の天候と馬場状態、コースの長さ、出走位置とか? 賭ける前に調べたり考えたりで大忙しね』

「確かに……勝とうと思ったら日常に食い込むくらい情報を精査しないといけないのだろうね」

『それで勝てればまだいいわ。ゲートが開いた瞬間に落馬、なんてこともありえるんだから。膨大な時間を犠牲にして得た情報で25%という大きな控除率をどれだけ減らせるかは、正直言って疑問よ。サイコロの体積や重さを調べているように思えるわ』

「それでも、『好きならいいんじゃない?』という意見?」

『〈賭けない競馬〉はわたしでも好きだから気持ちはわかるの。ジョッキーは真剣でストイックだから素敵だし、淘汰の過程は厳しいけれど、風のように速い競走馬はやっぱり美しい。「大好きだから応援したい」という愛と情熱による研究と賭けなら、競馬ファンを尊敬できるわ』

 職員寮の自室、ふたつあるうちの寝室として使っている部屋で、染谷は耳に当てる携帯電話を持ち替える。ふと時計を見やると、午後七時を回っていた。

 あと一時間で、今晩の〈セルバトス〉の営業が始まる。

「マリベル。きみは結構、賭博の情緒的な面を大事にするよね」

『賭博に情緒がいらないのなら財布の小銭を賭けてコイントスをすればいいのよ』

「それじゃあ、パチンコにも情緒があると思う?」

『あー……ダメとは言わないけど、あれはやり続けたら馬鹿になる賭博ね。麻薬と一緒。明滅する光で脳味噌を麻痺させて、爆音で思考を吹き飛ばす、廃人を作るゲームだわ』

「まさかとは思うけど、やったことあるの?」

『ないわよもちろん。やろうとも思わない。ただただお金をつぎ込んで〈お祈り〉をするゲームでしょ? どうしてあんな機械に日本人が莫大なお金と時間を無駄にするのか理解できないわ。映画館にでも行ったほうがよっぽど有意義よ』

「最後の提言に関しては、すべての賭博について『そのとおりだ』と僕は言いたい」

『先生はそうでしょうね。……でも不思議なことに、パチンコの話をしてる人たちって、ものすごく楽しそうなのよね。何が面白いのか、げらげら笑いながら話してるのよ』

「楽しそうに聞こえるだけだよ。実際は中身のない、くだらない会話だ」

『それがいいんじゃない。今もわたしと先生が特に中身のない会話を楽しんでいるように、世の中の会話のほとんどは、中身のない、それでいて大切なコミュニケーションよ』

「……きみには教わることが多い。将来は大学で哲学を専攻したらどうだろう」

『哲学はいつでもどこでもできるわ。ひとりでもね。今は先生と話したいの』

「そう言ってくれると教師として嬉しい。……そろそろ飛行機の時間かな?」

『そうね。搭乗までもうちょっとよ。……今晩の設営はどうかしら? わたしがいなくても、ちゃんと開店できそう?』

 出国間際まで〈セルバトス〉の心配かと、染谷は苦笑する。

「今週だけでも休みにすればいいのに」

『ソラナが「任せてください」って言ったから』

「焚きつけただろう?『まだソラナには難しいだろうから』なんて言ってさ」

『そうだったかしら? まぁいい機会だし、彼女に任せてみるわ。ソラナが最悪の失敗をした場合でも今日限りで店を畳めばいいのだから』

 マリベルのその思惑は、染谷には初耳だった。

 建国記念日の式典に参列するための、ただの里帰りだと思っていた。空港にいる彼女から電話がかかってきたときは、そんなことを聞かされるとは思わなかった。

「そこまでの責任を、そらなさんに託したの?」

『染谷先生がどこまでの責任を想像しているのかはわからないけど、わたしはいつだって「今日が最後かもしれない」と覚悟して、お客様をもてなしているわ。一寸先は闇とも言うし』

「……そんな風に、明日にも死ぬかもしれないみたいなことを言わなくても……」

『わからないわよ? パレードで車の中に手榴弾を投げ込まれるかもしれないしね』

「冗談……だよね?」

『99%の冗談としておきましょう』

 つまり、心の片隅ではそんな可能性も、十二歳の少女は覚悟している。

『そうでなくても、ひいおじい様から「ここに残れ」と言われたら日本には戻れない。「そうなったら手筈どおりに店を畳め」とソラナには伝えてあるわ。……運が悪ければ、これが染谷先生との最後の会話ね』

 最後と言われ、染谷は今までのマリベルと交わしてきた会話を思い出した。

 特に中身のない、それでいて大切な、言葉のやり取りを。

「……僕は信じないよ、そんなこと」

『わたしも日本に戻ることを願ってるわ。まだまだ〈セルバトス〉を続けたいもの』

「今だけはそれを否定しない。……みんなで卒業式を迎えよう」

『もちろんよ。染谷先生がおいおい泣くところ、見たいもん』

 年齢相応に子供っぽいことをいうマリベルがおかしくて、染谷は笑った。

『ああっと、搭乗が始まったわ。先生もそろそろ〈セルバトス〉に行くんでしょう?』

「いつもどおりそうするつもりだよ」

 染谷は携帯電話を耳に当てながら、寝室の襖を開けた。

 すると染谷は―――居間として使っている部屋にいた〈来客〉と、目が合った。

「……ところで、飛行機に乗る前に、ひとつだけ質問をいいかな?」

『なにかしら』

「どうして今朝から……イネスさんが僕のそばを離れないんだい?」

より表現を正確にするなら、マリベルが私立のじか学園を出る前からだ。

 マリベルに稲と呼ばれるボディガード。褐色の肌の美しい女が、ずっと染谷のそばにいる。

 現在座卓の前で座布団の上に腰を下ろしている黒いスーツの稲だけが、なぜかマリベルから置いてきぼりにされていた。

 なぜかはわからない。しかし目的はわかる。

「どうして僕は彼女に監視されているんだい? 出国前に教えてほしい」

『わたしのいない隙に不審な行動を取ったら、先生をねじ伏せるように言ってあるの』

 さらりとマリベルは答える。ぞわりと染谷は鳥肌が立つ。

「……それも、99%の冗談?」

『五割の保険、五割の警告ってところね』

 冗談ではないらしい。覚悟が必要なのは染谷も同じだった。

「……わかった。今日はいつもよりおとなしくするよ」

『稲を虜にして自分の女にするって発想は湧かないの? 染谷先生って、ぶっちゃけ稲のこと好きなんでしょ? いつもエッチな目で稲のこと追っかけてるしさ』

 染谷の頭の中で、直立する紫色のカバがリンボーダンスを始めた。頑張っていたが腹が引っかかって棒が落ちた。

『ちょっとー? 染谷先生?』

「……今、頭の中で、何かひどいものが見えたよ。きみが突拍子もないことを言うからだ」

『図星なんでしょ? 口説いてもいいのよ? スペイン語が話せればね』

「たとえ僕が世界中の口説き文句を知っていようとも、ここは学校の敷地の中だ。賭博はもちろん、女性をどうにかしようとしていい場所じゃない」

 それを聞いたマリベルは、つまんないの、と笑う。

『くっつけてあげようと思って稲を残したのに』

「先生をからかうのはやめなさい」

『あはは。……じゃあ、そろそろ行くから』

 染谷は息をひとつ吐いて、ばりばりと頭をかく。

「……気をつけて行っておいで。みんな、きみが戻るのを待ってるから」

『ありがとう。お土産楽しみにしてて。行ってきます』

 ごくごく気軽に、マリベルは別れの挨拶を残した。

『……染谷先生! やっぱり「愛してる」だけでも教えてあげる!』

「いってらっしゃい!」

『テ・アーモよ! テ・アーモって目を見て手を取って(ひざまず)いて言えばいいから!』

「いってらっしゃい!」

 会話の終わりはこんな調子だったので、染谷はその晩、マリベルを心配せずにいられた。


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