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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
五月
33/66

依存と記憶


「もしもし? 鍵崎さん?」

 職員室にて、マリベルは自分のデスクでパソコンを操作しながら、肩と耳で固定している携帯電話に語りかけていた。

「先週の件だけど……いえ、リストはまだよ。作成次第そちらの事務所に郵送するわ。……今回は別件。耳寄りな情報を伝えようと思って……そう……そう……」

 隣にいた染谷は、マリベルの顔が凶悪な笑みに歪むのを見た。

「ちょっと頼みがあってね。……あなたのツテを使って、うちの客をひとり、別のカジノに連れ出してほしいのよ。そいつなら借金漬けにして構わないから。……大丈夫。無理な追い込みさえかけなければ、世間体もあるからいくらでも利息を払ってくれるはずよ」

 あはは、とマリベルは無邪気に笑う。染谷にはそれが恐ろしい。

「ご明察。よくわかったわね。……いいの。元々うちのカジノにはお金を落としていなかったから。……ええ。わたしが毎週彼に渡している口止め料、あなたがそっくり食べていいわ」

 ため息をつく染谷の隣で、マリベルは話をまとめる。

「写真と資料はメールであなたの事務所に送っておくから、あとで確認して。はい、それじゃ」

「……理事長先生のことかい?」

 通話を切った携帯電話を脇に置き、マリベルはかたかたとキーボードを叩く。

「そうよ。鍵崎に売ったわ。理事長先生がうちのカジノに通っていたのは、ほかの遊び場を知らないだけだったから、鍵崎にもっとレートの高い闇カジノに連れ出してもらうのよ」

「それでいいのかい? もう口止め料は返ってこないよ?」

「鍵崎にも言ったけど、客同士がやりとりする麻雀で負けてるから、元々大して戻ってきてないのよ。……大口客の奥野さんと無間斎さんから、『これからもふたりで仲良く遊びに来る』という約束を取り付けたし、ようやく口止め料の増額を求める理事長先生にご退場願えるわ」

 奥野と無間斎も、とんだ人物に悪戯(いたずら)を仕掛けたものだと、染谷は少しだけ不憫(ふびん)に思った。つい先ほど、ふたりは百万円巻き上げられたらしい。もっともそれはマリベルに言わせると「二ヶ月もの間、散々手間をかけさせられた迷惑料よ」ということになるが。

「染谷先生こそよかったの? 理事長先生を守らなくて」

「……ついこの前、理事長先生から金の無心をされてね。……縁の切れ目になったよ」

 もちろん金は貸さなかった。理事長については、もはや同情さえできなくなっていた。

 それがいいわ、とマリベルも頷く。

「理事長先生は、救いようのない性根が原因で賭博に依存してる。お金と時間と仕事と人間関係、すべてを失ってからでないと、失ったものの価値に気付けないわ」

「賭博を生き甲斐にしてしまった人の末路か。……ところで、南都先生のその後は知ってる?」

「さっき叶先生から、『うちに診察に来たよ』と聞いたわ。南都先生にドクターを紹介した甲斐があるってものね。彼女はもう大丈夫よ」

「叶……ああ、あの精神科のお医者さんか」

「叶先生も鍵崎と根っこは同じかもね。研究も兼ねてうちで患者候補を探してるのよ。ギャンブル依存症患者のためのセミナーやサークルを作りたいともおっしゃってたわ」

「……気になっていたんだが、きみはどうして、南都先生を救おうと思ったんだ?」

 問いかけに、あっけらかんとマリベルは答える。

「個人的に彼女が好きだったからよ。客として割り切ることができなかったの。発症の原因を作ってしまった責任も感じたし。……カジノ経営者としては、ダメな動機かしら?」

「僕はそもそもきみのカジノ経営に反対しているから、是非ともこのカジノに来る客を、全員依存から更生させてほしいと思っているよ。そしてカジノを閉鎖してほしい」

「そうね。先生はそう言うわね」

 ふふふ、とマリベルは笑う。染谷は、ふぅ、と肩を落とす。

「理事長先生も、せめて別のものに依存していればと思うと、残念でならないよ。尊敬はまったくできないし今さら救いたいとも思わないけれど、悪人ではないんだ」

「……そうねぇ……」

 作業の手を止めたマリベルが、何かに同情する目で染谷を見る。

「……仕事、研究、趣味、恋愛、宗教、教育、人付き合い……何かに依存でもしていないと、人生って、やってられないものよ、染谷先生」

 十二歳の少女が語るにしては、あまりにも擦り切れた人生観だった。

「きみも、何かに依存しているのかい?」

「わたしは……スリルや興奮ある挑戦に依存しているのかもしれないわね。ここで見舞われるトラブルには、腹が立つと同時に、わくわくしているの」

「……そう……」

 政情不安定な国の大統領の曾孫として生まれ、遠い異国の地で賭場を開いている彼女は、悪い意味でスリリングな人生を送っている。退屈とは無縁だろう。

 彼女はこれからどうなってしまうのだろう。染谷には、年老いたマリベル・エスコバルが、ベッドの上で臨終を迎える姿が、あまり現実味を持って想像できなかった。

 そして自分についても思う。これまでの境遇がほんの少し違っただけで、自分自身も南都や理事長のように賭博に依存していたかもしれない。これから先、それまでの人生観が変わるほどに、あるいは他者を巻き込んでしまうほどに、何かに依存するかもしれない。

 何事であっても周りが見えないほど傾倒しすぎるのはよくない―――が、何事にも関心を見出(みいだ)せずに一生を終えるというのも考えものだ。何のために生きているのかわからない。

「……マリベル。人は何のために生きるべきだと思う?」

「簡単よ。誰かの記憶に残るような人生を生きるべき。それもできれば良い記憶としてね」

 即答してくるとは……と染谷は驚いたが、マリベルはそのくらい、自分の人生を見つめてきたのだろう。考えざるをえなかったのだろう。

「僕が死んだら、きみの記憶に残るかな?」

「死に様にもよるけど……わたしが出会った中で、染谷先生は一番善良な大人よ」

「そこだけは素直に嬉しいよ」

「私が死んだら? 先生はわたしのこと、どう思い出してくれる?」

「思い出さないよ」

 染谷はきっぱりと言った。


「きみはこれから大人になって、僕よりもずっとずっと長生きするんだから」

「先生のそういうところ、本当に尊敬するわ」


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