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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
五月
32/66

看破


 一週間後の土曜日の晩。

 旧校舎の三階の一角にある図書室は、十年前に新しく校舎が建てられた際に残されていった本が(まば)らに横倒しで眠っているだけで、さながら古びた本棚の林となっていた。

 普段はゲームの行われないその部屋に、一台のバカラテーブルがあった。

 ディーラーの位置にはマリベル・エスコバルが立ち、彼女の前にはふたりの客が座っていた。

 ひとりはつるりとした禿頭の、小太りな男。奥野という歴史ある寺の住職。

 もうひとりは痩せたひげ面の男。無間斎という呼び名で通る新宗教の教祖。

 部屋の中央しか蛍光灯は点灯しておらず、中は薄暗い。

 ともに四十代半ばほどのふたりは、不機嫌そうにそっぽを向いているが、彼らを前にしているマリベルは笑顔で挨拶をする。

「本日はお集まりいただき、まことにありがとうございます」

「……なぁ、マリちゃん。大事な話があるとのことだったが、帰ってもいいか?」

「それは僕の台詞だ。あんたみたいなインチキ男と一緒にいたら、僕の品格が疑われるよ」

「生臭坊主に品格もクソもないだろう。口が臭いから黙ってろ」

「なんだとぉ?」

 またしても口論を始めようとするふたりを、マリベルは、まぁまぁと柔らかく宥める。

「どうか落ち着いてください。今日は本当に大事なお話があってお呼びしたんです」

「先週のことか? ようやくこのクソ坊主を出入り禁止にしてくれるんだな?」

「それはあんたのほうだろう!」

「どうか。どうか落ち着いて、しばらくわたしの話を聞いていただけますか?」

 お願いします、と頭を下げるマリベルに、ふたりはやっと黙った。

 改めてマリベルが喋りだす。

「……わたくしどもは当初、おふたりの仲をどうにかして取り持つことはできないだろうかと、方策を考えておりました。おふたりは〈セルバトス〉の大事なお客様ですから。しかし、名案は浮かびませんでした。そこで最終的に、ホセとパンチョと呼んでいるわたくしどものメンバーに、ほかのお客様に知恵をいただけないだろうかと、聞き込みを行ってもらいました」

 そこまでは、まだ、ふたりは静かにマリベルの話を聞いていた。

「調べていくうちに判明したのが、元々は、おふたりがとても仲が良かったということです。ふたりで競馬に行ったり海外のカジノに行ったり。……それが何故か、二ヶ月ほど前から急に、おふたりの間が険悪になられました。周りのお客様も大変不思議がっておられました」

 マリベルの話がどこへ向かっているのか、ふたりはそわそわしはじめた。

「話は逸れますが、先週、ある若いカップルにご来店いただきました。男性はお久しぶりの来店で、女性はご新規様でした。……奥野晴彦さん、田中桜子さん、という方たちです」

 そのふたつの名前が出てくると、明らかにふたりは、ぎくりと緊張した。

「晴彦さんが奥野さんのご子息だとは知っていましたが、桜子さんが無間斎さんのご令嬢でいらっしゃることは初めて知りました。ふたりが交際されていることは、ご存知でしたか?」

 奥野も、本名を田中一雄という無間斎も、沈黙で返答する。

 マリベルは話を続ける。

「桜子さんに当店に来た経緯を伺いますと、『父から漫画家の南都先生が来ていると聞いて』とのことでした。彼女は南都先生の大ファンだったようです。無間斎さんはご存知でしたか?」

「い……いや……」

「まさか。知っておられたはずです。ご自身の女遊びで軽蔑されている娘さんの気を引くために、あなたは桜子さんに南都先生が当店に来ていることを打ち明けたはずです。……しかしそれはともかく、不思議なことがあります。二ヶ月ほど前からお互いの父親同士が激しく仲違いをしているというのに、晴彦さんと桜子さんが特に何の障害もなく交際されていることです」

 ふたりがそわそわとしていると、薄暗い本棚の林の中から、ぬらりとひとりの大男が現れた。巨漢の黒人の三郎だった。

「子供たちの恋愛は別問題として割り切っているのだろうかと……奥野さんと無間斎さんは理解ある心優しいモンタギューとキャピュレットだったのだろうかと考えました。しかしロミオとジュリエットに話を聞いたところ、どうにも違うということが判明しました。……晴彦さんと桜子さんの言うところによると、『父たちは今も仲がいい』とのことでした」

 別の林の暗がりから、ふわりと幽霊のように、眉目秀麗な金髪の白人が現れた。権左という呼び名を持つマリベルの護衛だ。

「逆に『何でそう思ったんだ』とまで聞かれました。……何かがおかしいと感じたわたしは、失礼ながら、そこにいる稲に、おふたりを調べさせました」

 ふたりが振り返ると、いつの間にそこにいたのか、褐色の肌の美しい女が立っていた。

 稲と呼ばれる彼女は、がちゃりと、図書室の扉に鎖と南京錠をかけた。

「調査で判明した結論を申し上げます。……おふたりの口論や諍いは、すべて狂言。すべてはあなた方の〈マリベル・エスコバルはどちらを選ぶのか〉という賭けだった。そうですね?」

 密室の図書室で、バカラテーブルに両手を付いて、マリベルはふたりを問い詰める。

 無言で無表情な三人の護衛がふたりを取り囲む。

 マリベルは、琥珀色の瞳で、静かに鋭くふたりを睨みつけた。

「奥野さん、無間斎さん。……あなた方は、このわたしを騙して、賭けの材料にしましたね?……遊び感覚で、〈セルバトス〉のメンバーを、大いに困らせましたね?」

 詰め寄られるふたりは、おろおろと視線を交わした

「ご……ごめんよ、マリちゃん」

 緊張に耐え切れず、先に口を割ったのは奥野だった。

「ちょ、ちょっとした遊びのつもりだったんだ。マリちゃんは、僕とかっちゃんの、どっちを大切に思っているだろうかって、飲み屋で話をして……」

 かっちゃんという愛称で呼ばれた無間斎が、そうなんだ、と震えた声で頷く。

「どっちも『俺のほうが』って譲らなくて、そのときは本当に喧嘩になりそうで、『じゃあ賭けるか』となると、お互いに、乗り気になっちまった。賭け事となると、俺たちはまとまるんだ。……マリちゃんを騙すようなことをして、すまなかった。どうか、ゆるしてほしい」

「まさか、マリちゃんがこんなに怒ってるなんて……」

 容赦を請うふたりに、「驚きましたか?」とマリベルは、急に明るい声で言った。

 少女の合図で稲が動き、図書室の照明がすべて明るく灯された。

「サプライズ! ドッキリ大成功ですね!」

「え?」

「……まさか」

「おふたりには本当にうまく騙されてしまいましたから、そのお返しとしてのドッキリです。……驚いていただけましたか?」

「な……なんだぁー!」

「よかったぁー!」

 脂汗を額に貼り付けているふたりは、盛大に息を吐いて体の力を抜いた。

「マリちゃん勘弁してくれよぉー。俺は寿命が縮んだぜぇー」

「僕なんか、生まれて初めて心から仏様に祈りたくなったよ」

 弛緩した空気の中、安心した様子のふたりは、口々によかったよかったとお互いを慰めた。

「でも……本当に、怒ってない?」

「ええ、もちろんです。〈セルバトス〉にとっておふたりは大切なお客様です。お客様のことを考えるのは当然のこと。逆にメンバーに接客を考えさせるいい経験とさせてもらいました」

 ただし、とマリベルは人差し指を立てる。

「これからはわたくしどもを心配させる行為は、控えていただけますね?」

「ああ、わかってる。金輪際しないよ」

「すっかり肝が冷えたからね。ごめんよ、迷惑かけて」

「その点はお気になさらず。……しかし、ずいぶんと下準備の長い賭けでしたね?」

 マリベルが笑顔で尋ねると、そうそう、とふたりは頷いた。

「いろいろ打ち合わせしたよな。『こういう段階を踏んで仲違いしよう』って」

「マリちゃんは勘がいいだろうから、すっごく気を遣ってね」

「おかげで騙されました。ところで、どれほどの金額を賭けに乗せていたのです?」

「飲み屋での口約束は五十万だったな、奥野」

「そうだね、かっちゃん。最終的には『マリちゃんが出入り禁止として選んだほうが、相手に五十万円払う』っていう賭けになったよね」

 安心した弾みで、奥野と無間際はぺらぺらと喋る。

「そうですか。五十万円ですか」

 そこでマリベルは、笑顔のままに、こう言った。

「それではおふたりとも、五十万円ずつ、わたしに払ってください」

「え?」

「へ?」

 ぽかんと口を開けて困惑するふたりに、マリベルは言う。

「勝ったのはわたしです」

「ちょっ」

「それは……」

 狼狽するふたりに、マリベルは、

「もう一度言います。……勝ったのは、わたしです」

 あくまでも笑顔のまま、脅迫した。

「わたしがなぜ、おふたりを迎えるために、ここにバカラテーブルをご用意したか、おわかりになりませんか? ゲームの結果は、プレーヤーでもバンカーでもなく、〈引き分け(タイ)〉に終わったのです。おふたりはそれぞれ自分が選ばれると思って賭けました。しかしわたしはあなた方の目論見を見破りました。ゲームは引き分け。賭け金はカジノの没収なのです」

 さぁ、と、マリベルは笑顔で詰め寄る。

「三度目です。……勝ったのは、わたしです。あなた方は、負けたのです」

 密室の図書室の中、マリベルの護衛三人に囲まれた奥野と無間斎は、泣きそうな顔をして、懐の中から五十万円ずつをマリベルに支払った。


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