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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
五月
23/66

アイス


 カジノクラブ〈セルバトス〉の常連である落語家、(にわ)(べり)(てい)(まい)()が、「カジノで〈看板のピン〉をやってくれ」という客からの熱い要望とマリベルの依頼を受けたこともあり、多くの客が音楽室に集まり、彼の巧みな(はなし)に耳を傾けて笑っていた。

 その時間、プレールームに残っていたのは、落語に少しも興味のない者か、それこそ〈看板のピン〉の登場人物のように、賭博に熱を上げる者だけだった。

 ブラックジャックルームに入ると、ふたりの男女が、教室の隅でこそこそと話していた。

 屈強な黒人の護衛・三郎を引き連れたマリベルは、男のほうに声をかけた。

鍵崎(かぎざき)さん? 少しよろしいですか?」

 背を叩かれてマリベルに振り向いたのは、三郎ほどではないが、背の高い頑強そうな男だった。年のころは三十代前半だろうか。

 鍵崎と呼ばれた男はちらりと三郎を見ると、マリベルに向けて柔らかい表情を作る。

「あー、姫様? 俺は今、こちらの南都さんと、大切なお話をしているんですが……」

「それはわたしよりも大切な相談ですか?」

「とんでもない。いくらでもお付き合いしましょ。……南都さん、今日はこの辺で」

 鍵崎は南都に会釈をすると、マリベルと並んでプレールームを出た。

 そのまま三人は建物の外へ。三郎の立ち会いのもと、マリベルと鍵崎は向かい合った。

「鍵崎さん。わたしが何を言いたいかはわかってる?」

「『自分の許可のない営業活動はやめろ』ってんでしょ?」

「結構。従ってくれるわね?」

「お望みとあらば。ですが俺の言い分も聞いてくれます?」

 マリベルは無言のままに頷く。すると鍵崎の舌が踊りだした。

「あの南都って人の仕事はわからないが、あの散財っぷりを見てれば、少なく見積もっても年に八桁は稼いでるだろう。姫様にとっても上客のはずだ。そんなお人が、『もっと遊びたいのになぁ』とブルーになっておられる。……こういうときこそ俺の出番じゃないですかね? 姫様も儲かる、俺も儲かる、南都さんも喜ぶ。みんなハッピーだ。そうでしょ?」

 ぺらぺらと口の回る鍵崎に、マリベルは眉根を寄せて腕を組む。

「鍵崎さんには何人かお客様も紹介してもらっているし、あなたの〈仕事〉は〈セルバトス〉の売り上げにも寄与していると言える。……けれど、ほかはともかく、わたしがあなたに南都さんに対しての営業を許すことは、これからも絶対にない。そこだけははっきりさせておくわ」

「……了解ですよ。もうしません。ちなみに南都さんのほうから話を持ちかけられたら?」

「何度だって止めるわ。あなたと南都さんが同じ部屋にいるだけでも」

「はいはい。なるほど。わかりました。……話は終わりで?」

「あなたが理解したのなら」

「それはもちろん。今日はこれでお(いとま)させていただきますよ」

 アディオス、と言い残し、鍵崎はそのまま自分の車に乗って去っていった。


 職員室に戻ってきたマリベルは、モニターで監視していた恵真に問う。

「南都先生は?」

「ちょうど今、タクシーで帰ったよ。さすがに頭が冷えたのかも」

「そうだといいんだけどね……。お茶、()れてくれる?」

 憂鬱そうに自分の机に帰るマリベルは、どさりと椅子に腰を下ろす。

 ますますの気苦労を背負ってきた様子のマリベルに、彼女の帰還を待っていた染谷が、

「あの漫画家先生が、なにかあったの?」

「単純よ。賭博にのめりこんで金欠気味なの。……そういう性格だろうなって心配はしてたんだけど、まさか〈アイス〉の口車にまで乗りかかるなんてね」

「気になってたんだけど、〈アイス〉って何の隠語?」

「〈こーりがし〉よ」

 染谷は数秒考える。

「〈(こおり)菓子(がし)〉…………ああ、なるほど〈高利(こうり)()し〉か。面白いね」

「面白くないわよ」

 くそ(ミエルダ)、とマリベルは、軽く机の裏を膝で蹴る。

「鍵崎って男は(やみ)(きん)業者でね。毎週うちにやってきては金に困ってる人を探して、文字どおりに法外な利息で貸し付けてるの」

「プレーはしないの?」

「本人はほとんどまったく。……別に迷惑ってわけじゃないの。わたしたちに損はないし、違法な賭場を開いてるんだから、同じ無法者同士、利害が一致してるなら金貸しひとりくらい受け容れてやるわ。ただ、監視の目と操縦の手を緩められないところが面倒なだけでね」

 緑茶を持ってきた恵真に、ありがとうとマリベルは礼を言う。

 飲み物を啜ると、マリベルの表情は幾分優しくなった。

「だから問題は、南都先生のほうなのよ」

「わたし、南都先生がギャンブルするって知ったとき、ちょっとショックだったよ。あの人の漫画、けっこう好きなのに」

 盆を胸に抱える恵真に、わたしもよ、とマリベルが同意する。染谷は少し驚いた。

「……染谷先生。わたしが少女漫画を読むなんて、って思ってる?」

「そんなことないよ。ぜんぜん普通だよ」

「嘘がばればれ。先生にポーカーは不向きね。……まぁ、南都先生には賭博そのものが不向きなんだけどね。賭博の掟をいくつも破ってる。破ろうとしている」

「賭博の掟?」

「わたしがいろんな人から教わった、賭博に興じる際に心がけるべき十の掟よ。いつか先生にも教えてあげる」

「僕はギャンブルをしないから」

「染谷先生はそうでも、先生の家族や友人や恋人はどうかしら? いつか先生の子供が賭博に興味を持ったら? 忠告してあげたいとは思わない?」

「……ああ、そうか。そういうこともあるか」

「賭博に溺れた人間は、周りにいる人間も掴んで巻き込むわ。……賭博は、してもいい。だけど自分にルールを課して律していかなければならないの。……それなのにねぇ」

 はぁ、とマリベルはため息をつく。

「エマががっかりしたように、人気少女漫画家が賭博で借金なんて、週刊誌が騒ぐ一大スキャンダルよ。南都先生のキャリアが終わるわ」

「そうなったら、もううちには来てくれないね。それはそれで寂しいな。南都先生優しいし」

「鍵崎のほうはある程度コントロールできる……できるんだけど、わたしがあいつを出禁にしたくないことを鍵崎は知ってるから、目を離すとすぐに勝手をするのよね」

「最近稼げてないらしいよ? みんな噂してる」

「だから南都先生に目をつけたのか……」

 マリベルと恵真が会話をしている間、ふと染谷が視線を泳がせていると、

「……ああ……」

 我知らず(うめ)き声が漏れるほど、心の底から嫌な人物と目が遭って、隠れるように頭を抱える。

「ま……マリベルさん、ちょっといいかな?」

 職員室の入り口に現れたのは、私立のじか学園の理事長だった。


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