賭博への愛
教室から廊下に出たところで、二階から降りてきた立川そらなと出くわした。
「お疲れ様です、姫様。ちょうど報告をしようかと」
「お疲れ。二階のバカラルームとポーカールームね。何かトラブル?」
「いえ、『異常なし』という報告を。ただ、舞兎師匠をバカラテーブルから引き剥がすのに苦労しました。お弟子さんにも手伝ってもらいまして……」
「まだやってたの? まさか〈けいてんず〉のふたりも一緒だった?」
「彼らに人生以外の賭博はありません。けいてんずには前座の漫才を長く繋いでもらいます」
「師匠はこんなときでも遊び人なのね。……でも、依頼を受けてもらって助かったわぁ」
「おかげでメンバーが休憩できますからね。姫様も少し休まれては?」
「あなたもね。監視ついでに落語を楽しんできなさい」
ふたりは職員室の前で別れた。
お疲れ様です、と今日の監視班のメンバーがマリベルを迎える。
「エマ。異常はない?」
「なんにもー」
「パソコンの扱いは慣れてきた?」
「なんとかー」
「いつもは調理なのに監視に来てもらって悪いわね。助かってる。ありがと」
「大丈夫だよ。家に帰ってもすることないし」
「今日の日当は弾むから。……ああそれと、十二時回ったら一階のバカラルームにいる奥野さんをルーレットに案内してくれる?」
「わかったー」
職員室のいちばん奥にある自分のデスクにマリベルが腰を下ろすと、隣の席にいた染谷義正が、「お疲れだね」と労いの声をかける。
「本当よ。人手が足りないから今日ばかりは繁盛しても困るわ。ろくな料理も用意できなかったし。……まぁ、遠くから学園に来てる子もいるから、『連休は家に帰るな』なんて言えないんだけどね。染谷先生にも仕事は頼めないし」
「頼まれても断るけど……きみのボディガード以外の大人を雇う予定は?」
「大人が賭博開帳図利罪で現行犯逮捕されたら、ひと月くらい拘置所から出られないわよ? だから子供たちだけでやってるの」
単純賭博罪で逮捕されても客は一晩で帰れると聞く。運営に携わっている子供たちも事情聴取はされこそすれ、少年法に守られるだろう。
そこまで見越してのことかと、畏怖と感心を同時に覚える染谷だった。
「先生は実家に帰らないの?」
「〈セルバトス〉が休むのなら帰っていたけれどね」
「あら、それは当てつけ?」
マリベルが意地悪く微笑む。染谷は苦笑して首を振る。
「働き手がいないのなら休んでもよかったんじゃない?」
「『遊びたい』というお客様がいれば、そうもいかないわ。規模を縮小してでも営業しないと。……ところで、いつもならわたしが動けば付いてくるのに、どうしてここにじっとしてるの?」
「……〈セルバトス〉で理事長先生とは遭遇したくなくてね。見ていて気持ちのいいものではないよ。子供たちが営んでいる非合法のカジノで遊ぶ教育者なんて」
染谷にとって理事長は優秀な反面教師だった。ああはなるまいと心から思える。
「理事長先生の麻雀は下手の横好きだけど、今日はたまたま勝ってるから、このまま朝まで打つでしょうね」
「きみは麻雀のルールも把握しているの?」
「将棋の駒の動かし方がわかる程度にはね」
言い得て妙な言い回しだ。
「きみの目から見て、麻雀はどんなゲームだい? 知らない僕に教えてくれる?」
「麻雀は奇跡のような賭博の理想形だと思うわ。ポーカーと並び立つ偉大な存在ね」
ふたつまとめて説明しましょうか、とマリベルは椅子の上で姿勢を変える。
「話を振っておいてなんだけど、休憩しなくてもいいの?」
「そうしてるつもりよ。先生はお客様でもメンバーでもないし秘密を守ってくれるから、いろいろ話せて気が休まるのよ」
「……そうかい」
それならよかった、と染谷は心の中で思った。
「ポーカー……現在最もポピュラーなルール〈テキサスホールデム〉をうちでも採用しているんだけど、カジノで催される賭博の中では、最も実力で稼ぐチャンスのある種目ね」
「それは、誰しもに?」
「やる気があればね。わたしは細かい計算が面倒だから苦手だけど、ゲームとしてはとにかく優秀。ルールは簡単で間口は広いし、どこまででも技術を高められる余地がある」
「技術……相手の手を読む、とか?」
「そうね。必要なのは計算力と観察力と想像力と、必要なときにブラフを敢行できる胆力かしら。このゲームで勝てるのは人間として強い人ね。生物的にではなく人間的に強い人」
なるほど、と染谷は相槌を打つ。
「だから逆に、弱い人は確実に負けてしまうゲームでもある。勝てなければ離れてしまう。そうなると強者だけがテーブルに残り、一流のプレーヤーでも勝ちにくい種目になってしまう」
「カモがいないと潤わないわけだ」
「賭博全体に通じる摂理よ。それでも、ホールデムが面白いゲームであることに変わりはないのだから、カモを料理するだけではなく、初心者も楽しませる啓蒙努力が必要ね」
この子はいったいどの立場からギャンブルを見つめているのだろうかと染谷は考えたが、答えは決まっていた。〈賭博を利用する者の立場〉だ。
「それに対して日本のリーチ麻雀だけど、ルールは複雑でゲーム一回にかかる時間が長い。人数を揃えなくちゃいけないし全自動卓はリースでも金がかかる。カジノ向きではないわ」
「それでも愛好者が多いのが、僕には不思議だよ」
「ゲームとしての優秀さを示す証拠ね。日本では何の法的庇護もないグレーな賭博なのに、何十年もひとつの文化として残り続けていることには驚きさえ感じるわ」
「まだ麻雀の美点がわからないのだけれど、どこが良いのかな?」
「『負けても楽しめる』ことじゃないかと私は思うの。どれだけカモにされても、ほどほどに夢を見て、また料理されにゲームに戻ってくる。そこがポーカーと違うところね」
「……僕にはそれは、ただの馬鹿にしか思えないけれど」
染谷の感想に、マリベルはくすくすと笑う。
「馬鹿でもいいじゃない」
「それは、そのほうが利用できるという経営者としての見解?」
「いいえ。ゲームへの愛の表明よ。……麻雀を打っている人は好き。下手でもおっちょこちょいでも懸命に考えて戦っている後ろ姿は応援したくなる。……気の合う仲間とテーブルを囲んで、わいわい楽しく賭け事をする。それは素晴らしい人生の一幕よ。賭博は賭博である前にゲームなのだから。ゲームはコミュニケーションの道具なのだから」
「……わからなくはないよ」
過度の飲酒は健康に害のあるものだが、うまい酒になれば会話に花が咲く。時には他人とですら楽しい時間を共有できる。それは素晴らしいものだ。
何事にも良い面と悪い面があるとは理解しているつもりだったが、自分は賭博というものの悪い面しか見ていなかったのでは、と染谷は考える。
もっとも、だからといって現状は、天秤の釣り合いが取れているとは到底考えられない。やはり非合法なものは非合法だ。
「それじゃあ……賭博を愛するきみにとって、カジノとは?」
「大人の遊園地。休日のレジャーランドのひとつよ」
「なるほど」
話しているうちに、時刻はいつの間にか十二時を回っていた。
マリベルの指示を果たしてきたのだろう。今日は監視班を務める恵真が戻ってきた。
―――表情を深刻なものに変えて。
「姫様っ、〈アイス〉が南都先生に声かけてるよっ!」
「すぐに向かうわ!」
報告を受けたマリベルは、職員室を早足で飛び出した。




