秘密の話
その学園は、周囲を山と森に囲まれた、日本ではかなり珍しい全寮制の私立小学校である。
「先生。少しだけ、お話してもいい?」
高度経済成長期、公害と大気汚染が世間の関心を集めていたころ、「規律ある集団生活と豊かな自然の中で、健やかに逞しく児童の心身を育てる」という標榜を掲げた〈私立のじか学園〉が生まれた。
「どうかしましたか? マリベルさん」
二十一世紀を迎えて数年の、染谷義正が赴任してきた当時も、このスローガンは守られていた。積み上げてきた歴史もあって、その重みが一層増してすらいた。
「先生は……秘密を守れる人?」
最寄りの無人駅から、民家すらない深い山中の舗装道をバスで走ること三十分ほどで、守衛のいる校門にたどり着く。そこから先は学園の敷地。許可のない立ち入りは許されない。
「何か、相談ですか?」
「んー……それでいいわ。相談するという前提でいいわ」
「うん? どういうことですか?」
「先生がどういう人か知りたいの」
N県内の山の中にある〈私立のじか学園〉は、平成に入って最大限にまで拡大した敷地内に、児童が寝起きする〈若葉館〉という寮と、十年前に建てられた新校舎と、木造の旧校舎がある。
「先生は、ある日打ち明けられたわたしの秘密を、誰にも話さずに共有してくれる人?」
校門から続く私道は三又に分かれる。下る道は新校舎に伸び、なだらかに上る道は若葉館にたどり着く。染谷の当面の新居となっている職員寮も若葉館の隣にある。
「……うーん……」
「そんなに悩まないで。先生と話したいだけなの」
「そうですか」
もうひとつの上る道の先にあるのが旧校舎だ。
「わたしは秘密を守りますよ。マリベルさんが『話してもいい』と言わなければね」
木造の旧校舎は、取り壊しの必要が当面ないことから、学園の遺産として保存されている。
「……ふぅーん。……そうなのね。先生はそういう人なのね」
「悩みがあるのなら、いつでも聞きますよ?」
「ありがとう。でも、先生が心配してくれるほどの悩みなんて持ってないの」
「それなら良かった。安心しました」
「でもね」
―――金曜日の放課後の六年一組の教室にて、寮に帰っていく児童たちの健やかな騒がしさの中、教壇に立つ染谷義正に対し、褐色の肌を持つ少女、マリベル・エスコバルは、話している最中の大人に背を屈ませるように手招きした。
染谷が膝に手を付いて中腰になると、少女は背伸びをして、彼の耳元にぼそぼそと囁く。
「わたしには……〈わたしたち〉には、先生に知ってほしい秘密があるの。……先生になら、教えてあげる。〈わたしたち〉を理解するためだと思って、明日、土曜日の夜、晩ご飯を食べる前に旧校舎に来て。……この約束も秘密よ?」
お願いね、と琥珀色のウインクと共に言うと、マリベルは学園の制服のスカートを翻して教室を出て行った。
あとには誰もいなくなった教室の中で、染谷はぽつりと呟く。
「……今どきの子は、ああなのか? それともドルミデーリャの子は、ああなのか?」
ずいぶん勿体ぶった、大袈裟な言い回しをする、くらいにしか、染谷は考えていなかった。受け持ちの児童たちが何かサプライズでも仕掛けてくれるのだろうかとも思っていた。
そのときの染谷義正はまだ知らなかった。
私立のじか学園の旧校舎への児童の立ち入りは、職員の許可がなければ禁止されている。
そこに、旧校舎以外の〈何か〉があるなど―――ましてやそこで〈何か〉が起こるなど、ありえないことだった。