善人は思う
職員室に入ると、マリベルが自分の席でモニターを見つめていた。
「劉さんと、何の内緒話をしてきたの?」
かまをかけてくる少女に、ため息をついて隣の椅子に座る。
「内緒話だからね。教えられないよ」
「あっそう」
さして興味も示さないマリベルは、ふと、思い出したように染谷を見た。
「劉さんがわたしたちのカジノを何に例えたか、覚えてる?」
「……ガラパゴス?」
「嬉しかったわ。私の理想を認めてもらえたんだもの」
ゾウガメが理想なのか、と染谷は一瞬だけ考えてしまった。
「わたしがカジノクラブ〈セルバトス〉を開いている三つ目の目的は、唯一の価値を示せるから、ということなの。わたしはここを、ほかのどこにもない特別な場所にしたいの」
「二週間前にも同じことを聞いたね。……唯一の価値って?」
「合法、非合法を問わず、世界中にどれだけカジノがあろうとも、学校だった建物で、子供たちだけで営まれているカジノは、ここだけよ。……ここにしかない世界で唯一の価値を示せるのよ? 法律のひとつやふたつ、踏み越えていく意義があるわ」
「……そうかい」
「あら。元気ないのね。いつもなら『それでも子供がギャンブルするなんてダメざます!』って怒るところなのに」
「僕はそんなキャラか?」
「違うわね。もっとダメダメな冴えない感じかも」
「言ってくれるなぁ」
染谷は力なく笑った。
自分にどんな未来が待ち受けているのかもわからずにいる少女に慰められてしまったことが、情けなくもあり、逆に彼女の力強さを見て安心したりしていた。
マリベルは急に、染谷に正面を向いて、膝を近づけてきた。
「一年間よ、染谷先生。……どんなに長くても来年の四月が来る前に、わたしは〈セルバトス〉を畳むわ。それだけは絶対に約束できる」
「それは……きみが、学園を卒業するから?」
「それもあるけど……わたしの国では、十三歳は特別な年齢なの。大人になるための準備を始める年齢なの。……だから、十三歳になったら、わたしは国に帰る。エスコバル家の歯車のひとつになる。そうなったら、仕事も結婚も選べなくなる」
マリベルの言葉は、十二歳の少女のそれとしては、あまりにも重い響きで染谷の胸を打った。
少女は染谷の手を取って、琥珀色の瞳でまっすぐに見つめた。
「だからお願い。……あと一年間だけ、わたしたちを見守っていてくれない?」
劉は言った。当たり前の先生でいてやりな、と。
教師になってから一ヶ月も経っていない染谷には、何が〈当たり前〉なのかが、よく掴めていなかった。
―――しかし、
「……それでも、子供がギャンブルするなんて、ダメざます」
「えー? ここは認める流れでしょう?」
「危ないところだった。可愛い顔してお願いしても、ダメ」
「先生の弱点をひとつ見つけたわ。明日のミーティングで言いふらそうっと」
マリベルがくすくすと笑ってモニターに向きなおったとき、職員室の扉が開いた。
「ひめ、奥野さんと無間斎さんがまーた喧嘩はじめたよ。仲裁に来てくれるか?」
「金持ち喧嘩せずってことわざを知らないのかしらね。すぐに行くわ。先生はどうする?」
「もちろん行くよ。お手並み拝見だ」
マリベルと染谷は、揃って職員室を出て行った。
染谷には、教師としてマリベル・エスコバルに何をしてやれるのかが、まだわからない。
―――しかし、しばらくは見守ろうと決めた。
子供たちの力を信じて。




