悪党は語る
校長室を出た劉を、染谷は廊下で呼び止めた。
「とりあえずは、これを。理沙さんがあなたから借りていたハンカチです」
理沙によってアイロンを当てられたハンカチを返すと、どうも、と劉は受け取った。
「それから……これは理沙さんからのお礼の手紙です」
「……なぜあんたが同席していたのか気になっていたが、これを渡すためか」
「受け取ってあげてください。『お礼をしたいけど、何をあげたらいいのかな』と、優しい相談を持ちかけてくれた女の子のためにも」
染谷の想像だが、マリベルと劉のような人間の間では、貸し借りは重い意味を持つ。手紙ならば受け取ってもらえるだろうと思ってのことだった。
劉はにこりと笑って、染谷の手から封筒を受け取った。
「そういうことなら、大切に読ませてもらうよ」
「教師としてお礼を。ありがとうございます。それからもうひとつだけ、いいですか?」
「なにかな?」
「……わたしは、日本の中流家庭に生まれ、一般的な教育を受けて育ってきた、普通の人間です。ですから、見えている世界がまるで違うマリベルのことが、今もよくわかっていません」
劉に聞いてみたかった。無法の世界に生きている彼に。
「あなたから見て、ドルミデーリャ共和国はどんな国で、そこで大統領の曾孫として生まれたマリベル・エスコバルは、どんな人間なのですか?」
染谷からの真剣な問いに、「先生も大変だな」と劉は苦笑する。
「……あの子の生まれた国は、角度によっていろんな一面を見せる国だ。まともな観光客から見ればビーチリゾートとカジノの国。ファックパッカーから見れば垂涎の美女のいる国。経済界から見れば租税回避地のひとつ。俺たち悪党から見ればコカインの世界最大輸出国。……政界から見れば、エスコバル一族による独裁の続く、政情不安定な国だ。今の大統領が倒れれば、まず間違いなく一族内で血が流れるだろう」
聞けば聞くほどきな臭くなる話に、染谷は顔をしかめる。
「マリベル・エスコバルは、ドルミデーリャの外務大臣の孫だ。大統領の五人いる息子の長男で、中では話のわかるタイプだ。国内外でも彼が次期大統領に就任することが望まれている。ただ、国軍最高司令官の弟との折り合いがすこぶる悪いと聞く。大統領は高齢だし、後継問題で数年以内に揉めごとが起こるとすればこのふたりだ」
「マリベルも巻き込まれる可能性が?」
「だから日本に来たんだろう? せめて少女時代だけでも幸せに過ごせるように」
今さら気付いた染谷は、自分が平和な国に生きているのだと改めて実感し、表情を暗くする。
劉は染谷の肩に手を置いた。
「賭場を開いているあの子のことが心配なんだろうが、好きにさせてやんなよ。……俺やあの子みたいな、逃れられない血筋に生まれた人間は、子供でいられる時間が短い」
「……それでも、わたしは教師です」
「それでいいのさ。当たり前の先生でいてやりな。あの子にもそれが一番だ」
じゃあな、と受け取った手紙を振って、劉は染谷の前から去っていった。




