姫君(プリンセサ)
翌週。
「株取引にはギャンブルとしての側面もあるけど、それについてはどう思う?」
四月最後の土曜日の晩。
「自然の摂理を相手にするような、掴みどころのないマネーゲームね」
カジノクラブ〈セルバトス〉の営業日。
「わたしにとって、投機は地図のない山脈を縦走するような危うさを感じるわ。わたしがやったらあっさり奈落ね。興味がないから詳しく調べもしないわ」
先週と比べればあくびが出るほど平和な職員室の中。
「カジノゲームよりもよっぽどの大金が動いていると思うけど?」
染谷はマリベルと話をしていた。
「数字の変化を見続けるだけの賭博にはロマンがない。それにお金を動かしている間は天気のように変化する世界の情勢にアンテナを立て続けなければならないのでしょう? 気の休まる時間がないわ。不眠症になりそう」
カジノの営業に付き合って三週目ともなると、染谷は無茶にマリベルを止めようとは思わなくなっていた。今日にでも彼女にカジノを閉めさせたいという思いは変わらないが、一年以上続けてきた賭博開帳を、自分の一言二言で今さら止められるはずがない。
「週一日とはいえ、夜通しカジノを開いているのも十分不健康だと思うけどね」
彼女を止めるためにも、まずはマリベル・エスコバルという少女について、もっと知らなければならなかった。
「健康は不健康な行為に消費するためのものよ? 飲酒や喫煙に限らず、仕事にせよ運動にせよ、賭博にせよ、ね。……健康は財産。財産は貯めるだけではなく有意義に使わなくちゃ」
小学生に教わるとは思っていなかった新しい哲学に、そういう考えもあるか、と染谷は頷く。
「それじゃあきみはなぜ、健康と有り余る財産を使って、カジノを開いているんだ?」
「単純よ。自分が楽しいこと、誰かを楽しませることをしたいだけよ。それが目的のひとつ」
あまりにもシンプルな回答に、染谷は面食らってしまう。
「それでカジノ? 別の方法もあったんじゃないかな? ボランティア活動とかさ」
「言いたいことはわかるし、それもいいとは思うけど、わたしには平和すぎて退屈なの」
そのとき、事務机の上に放り出されていたマリベルの携帯電話がごとごとと振動した。
「ごめんなさい。……もしもし、どうしたの?」
日本語で出たからには、相手は日本人だろう。そらなだろうか。
「……わかったわ。こちらに案内してきてちょうだい。失礼のないようにね」
通話を切ると、マリベルは立ち上がった。
「トラブル?」
「なにを期待してるの? ただの面会よ」
相手の名前を聞いて、それなら僕も、と染谷も椅子から立ち上がった。
校長室でマリベルが待っていると、その人物はそらなに連れられてやってきた。
「先週はご挨拶できずに、申し訳ありません」
「いやいや、ごたついていたんだろう。気にしないでくれ」
部屋の隅には三郎が控え、マリベルの座るソファの後ろに染谷が立っていた。
「さて……お話とは何でしょうか、劉さん」
マリベルの正面のソファにかける、上等なスーツの裾から高級時計をちらつかせる伊達男は、少しだけ身を乗り出してきた。
「こちらから改めて挨拶をと思ってね。……はじめまして。チャールズ・ウーと申します」
それもきっと通称であるだろうが、ある意味で〈本当の名前〉を彼は名乗った。
「もっとも、きみならわたしの名前と正体を、とうに知っていただろうけれど」
「失礼ながら調べさせていただきました。その点については謝罪いたします」
「謝ることはない。わたしもこのカジノを調べに来ていたんだから」
劉からの打ち明け話に、マリベルは表情を変えない。
「半年ほど前に、『子供たちだけで営まれるカジノがある』という噂を同胞から聞いてね。わたしの上司に当たる人から調査を指示されたんだ。我々のコミュニティに害があるか、それとも益をもたらすか。……まぁ、わたしの好奇心もあったわけだが」
柔らかく苦笑する劉に、不穏な雰囲気は一切ない。自分の正体と目的を明かしたのだから、それは偽装ではないだろうと染谷は思う。
マリベルはにこりと笑った。
「わたくしどものカジノは、いかがですか? 楽しんでいただけていますか?」
「興味深く堪能したよ。〈セルバトス〉はカジノという世界のガラパゴスだ。わたしの上司には『特殊すぎて益も害もありません』と報告するよ」
「褒め言葉として受け取らせていただきます、劉さん」
マリベルは呼び名を変えなかった。
「今後とも、変わらぬご愛顧を」
「うん。そうさせてもらうよ。……あー、そうしたいんだが……」
言葉を濁して思案顔をする劉に、「何か?」とマリベルは質問する。
「許可というか確認というか……中村という名前の女性は?」
「存じております」
今週もまた、中村女史は〈セルバトス〉にやってきていた。あらゆる意味で常連の彼女の今日の姿を見て、児童たちは一様に驚いていた。先週までは〈女〉を際立たせる衣装を着ていたのに、清楚と呼べるくらいに上品でおとなしい服装に変わっていたのだ。
劉は気まずそうに、恥ずかしそうに頬をかく。
「彼女……わたしがもらってもいいだろうか?」
「と、言いますと?」
「保険医療を受けられない同胞のために、歯科医の彼女を囲い込みたい」
「なるほど」
「……というのは建前で、本当は彼女に惚れたんだが」
「…………なるほど」
ふたりは笑いを共有した。
先週、寺山の一件が片付くと、すぐにマリベルは、消えた中村と劉の捜索に戻った。しかし探すまでもなく、あっさりとふたりは廊下で見つかった。
それからだった。中村女史が、人が変わったようにおとなしくなったのは。
「お聞きしたいのですが、先週の数十分間、おふたりの姿がカメラから消えました。どのような魔法をお使いになられたのですか?」
「たまたま鍵の開いていた部屋に連れ込まれただけだよ。放送室だったな、確か」
「……なるほど……」
マリベルはため息をついた。放送室は普段は施錠をしていて客が入ることがない空間で、そこにはカメラを設置していなかった。中村にしても、木造とはいえある程度の防音設備が施されているだろう放送室に、逢引の場所としての目星を付けていたのだろう。
「鍵の閉め忘れです。ご報告ありがとうございます」
「どういたしまして」
「しかし……わたくしどもは、中村さんの困った嗜好には、ほとほと困らされておりました」
「『学校だと燃える』と言っていたよ」
マリベルはそれを聞いて笑っていたが、染谷には眩暈がしそうだった。どうかしている、と。
「わたくしどもがおふたりを見つけてから、急に中村さんは〈お客様〉になられました。……どのようにして彼女を従順にさせたのですか?」
それを聞いてどうするんだ、と染谷は思った。劉も困り顔である。
「きみはまだ若いね、マリベル。……言葉というものは、同じ一言でも、誰が言うかで意味も重みもまったく違ってくる。それだけのことだよ」
「つまり?」
「わたしはただ、放送室で彼女に『服を脱いで』と言われたときに、『きみに命令される筋合いはない』と言っただけさ」
「それだけで中村さんが従うとは思えませんが」
「こうも言った。『命令するのはわたしだ。わたしが脱げと言ったときにだけ裸になれ』とね」
染谷は不覚にも一瞬だけ、かっこいいな、と思ってしまった。
「『それまではおとなしく、わたしのそばにいろ』と言ったら、彼女はおとなしくなったよ」
「なかなか、誰にでも言える台詞ではありません」
「誰にでも通用する口説き文句でもないけれどね。しかしわたしも惚れたが彼女も惚れてくれた。だから彼女をもらいたい。どうだろうか?」
「ここは売春宿ではありませんから、お客様同士の合意のある恋愛は自由です。しかし……」
「しかし?」
「……ぶっちゃけた話、あの女のどこがいいの? いずれ馬脚を出すんじゃない?」
マリベルの砕けた態度の質問に、劉は大笑いした。
「わたしは昔から、元気なじゃじゃ馬娘が好みなんだよ。奔放な彼女がどんぴしゃだった」
「中村先生とくっついて、うちの女子のファンをずいぶん減らしたわよ?」
「そりゃ参ったな! こうなったら幸せになるしかない!」
膝を叩いて笑う劉に、マリベルも笑っている。
「はー……さて、そろそろ行くよ。彼女が待っている」
笑いを腹に収めた劉が立ち上がると、マリベルも立ち上がる。
そうして右手を差し出す。
「今後とも末永いお付き合いを」
「……ああ。わたしもドルミデーリャ共和国とのパイプができて嬉しいよ」
ふたりは握手を交わした。
「わたしが初めてここに来たときは、〈きみ〉がいて驚いた。……このカジノは我々に何の影響ももたらさないが、きみ個人は違う」
「わたしの祖国へのご来訪を、心からお待ちしております」
「うん。きみのひいお爺様……エンリケ・エスコバル大統領には、くれぐれもよろしく」
「承知しました」
「それではごきげんよう。姫君」
そう挨拶を残し、劉は校長室から出ていった。




