VIP
二言三言会話をすると、マリベルは携帯電話を閉じた。
そうして、なんでもないような態度を装い、室内にいる監視班に呼びかける。
「劉さんは来てる? 誰か見た人は?」
「立てば撮影、座れば取材、歩く姿は追いかけたい、って感じね。今日も俳優みたいよ」
「すっかりファンなのね、ルナ。今日は一日〈屋根裏の散歩者〉になって、劉さんをカメラで見つめ続けてくれる?」
「いいの? そんな楽しそうなことして」
「たった今、稲から報告があったわ。劉さんの正体は香港のVIPよ。失礼のないようにもてなしたいから、動向を見ていてほしいの」
「そういうことなら、よろこんでー」
「お願いね」
マリベルは笑顔で手をひらひらと振る。
聞いていいものかと染谷は迷った。
「嘘も真実も言っていない。そうだろう?」
「染谷先生も、なかなか勘がいいじゃない」
ひそひそとふたりは言葉を交わす。
「劉さんは、いったい何の重要人物(VIP)なんだ?」
「先生に教えても意味がないわ。何もできないでしょう?」
「警察沙汰にはしたくないが、教えてくれないと今度は僕が携帯電話を使うぞ?」
「わたしを脅してるつもり?」
「協力したいんだ。少しでも」
染谷の弁に、マリベルが折れた。
「聞いたら後悔するわよ?……ツテを使って調べてもらって判明したのだけど、劉さんの別の通称はチャールズ・ウー。香港の黒社会の、超大物の息子よ」
「……つまり、悪い人?」
「悪党のサラブレッドね。日本では密出入国の手引きをしているらしいわ。悪い在日香港人の兄貴分ってところかしら」
聞かなければよかったと、染谷は一瞬思った。
マリベルはパソコンを操作してディスプレイにメール画面を開き、稲から送られてきたであろう英語とスペイン語で書かれた写真付きの資料の文字列を目で追っていく。
「何のためにここに来たのかしらね。ここを何らかの形で利用するつもりなのかしら」
「きみは紹介のない人間の入店を禁じているんだろう?」
「〈六次の隔たり〉って知ってる? 先生が知り合いの知り合いにアメリカ合衆国大統領への伝言を頼んでいけば、六人目までにジョージくんの携帯電話が鳴るのよ?」
「つまり……〈紹介の紹介〉が、よりによって、とんでもない悪人に繋がったわけか」
「〈It’s a small world.〉」
流暢な発音のマリベルの英語に、「笑えない冗談だ」と染谷は肩を落とす。
「こんなときこそ笑いましょう、染谷先生」
「劉さん……いや、チャールズさんか? 彼をどうするつもりだい?」
「とびきり丁重に扱う。それでいて隙を見せないようにしないと。舐められたら付け込まれるわ。……それに何より、まずは彼がここに来た目的を探らないことには方針も決められない」
「それまでは〈重要なお客様〉? 出入り禁止にはできないの?」
「ただ遊びに来ているだけだったら、出入り禁止処分はコネクションとしても大損になるわ」
「コネクションって……カジノではなく、きみ個人の将来のために?」
質問に、マリベルは沈黙で答えた。
染谷は会話の向きを変えた。
「偽名を使っていたのは、ただ目立つのを避けるためだったんじゃないかな?」
「そうであってほしいところね。正体がばれたり、彼の身に何かがあれば、彼の住んでいる世界を考えれば、個人の問題ではすまなくなるでしょうから」
「もしも昨日、寺山さんが劉さんに殴りかかってでもいたら、本当に笑えないことになっていたかもしれないね」
「あー……本当にそうね。危機一髪。ところで寺山さんについても面白い情報を手に入れたの。染谷先生、聞きたい?」
「子供相手に怒鳴り散らすような人間についてなんて、何も知りたくないな」
「先生は優しい人だけど、潔癖症は誰も助けられないわよ? 世の中きれいなものばかりじゃないんだから」
「……どういう十二年間を過ごせば、きみのような小学六年生ができあがるんだろうね」
呆れたように染谷が首を振った、そのときだった。
「こちら江戸川乱歩」
劉の監視を任された瑠奈が手を挙げた。
「劉さんが、ややこしいことになりそう」
「ややこしいこと?」
マリベルが動揺を隠して尋ねる。染谷も椅子から腰を浮かせる。
「あーあ、見損なっちゃうかも。……中村先生が色目使って劉さんに話しかけてる」
「……くそっ!」
ごん、と、マリベルは事務机を拳で叩いた。




