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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
四月
11/66

賭博の啓蒙


 土曜日の午後八時。

 続々とやってくる〈セルバトス〉の客を正面玄関でマリベルが迎えている間、染谷はひとりの児童から話を聞いていた。

「先週本人から聞いたけど、マリベルは本当に、十歳でこのカジノを始めたの?」

「わたしはそう聞いています」

「そらなさんは、いつから手伝っているんだい?」

「五年生になる前です。〈セルバトス〉のメンバーは、当初はわたしと姫様のふたりだけでした」

 黒髪のショートヘアの女子、立川そらなは、バカラルームとして準備万端に整った教室で最終チェックを行っていた。

「マリベルにスカウトされて?」

「そうなりますね。『手を貸してくれない?』と姫様に頼まれました」

「どうしてその話を受けたんだい?」

「お金のためです。……染谷先生はご存知でしょうけど、わたしの実家は、父が亡くなって母子家庭です。将来の自分にかかる学費くらいは稼ぎ出したいのです」

「……〈セルバトス〉の規模は今も昔と同じ、というわけではないよね」

「最初はバカラ台一卓だけでの営業でした。構想は当時からあったようですが」

「ちなみに、バカラとはどんなゲームなの?」

「基本は二者択一のカードゲームで、丁半博打のようなものです。〈PLAYER〉サイドと〈BANKER〉サイドのどちらかを選んで賭けて、双方に配られる二枚ないし三枚のカードの合計数の下一桁が9に近いほうが当たりとなるゲームです。絵札はすべて十と数えます」

「ふぅん。ちなみに、丁半もやったりするの?」

「不定期に開催していますね」

 すらすらと答えるそらなは、染谷に対して敬語を崩さない。

 ある程度の確認が済むと、これからやってくる客の対応をほかのメンバーに任せて、そらなは別の教室へと向かう。染谷も彼女に続いて教室を出る。

「ときどきテレビでバカラ賭博が検挙されたというニュースを聞くけど、バカラというゲームはそんなに大金の動くゲームなの?」

「これまでの収益は教えられませんが、染谷先生は日曜日のミーティングをご覧になられています。姫様が〈第一のゲーム〉としてバカラを選ばれた理由を想像してください」

 そのとき、ゴミ袋を両手に抱えて廊下を走る児童とすれ違った。

怜雄(れお)! ばたばた廊下走らないで! もうお客様も見えてるのよ!」

「ごめんごめん。姫からの急な注文でさ」

「知ってる。それでもみっともないんだからダメよ。気をつけて。……今度やったら〈すくみずばにー〉の刑だからね?」

「はいはーい」

 注意された少年は歩調を緩めて去っていった。

 染谷はくすくすと笑った。

「なんですか?」

「ここは面白い空間だとね。……カジノなんだか学校なんだか……」

「ここに来られるお客様は、皆さんそうおっしゃいます」

「だろうね。ところで、〈すくみずばにー〉って何のこと?」

「〈スクール水着バニースーツ〉の略です。一年ほど前に姫様が、スクール水着にウサギの耳としっぽ、カフスとタイツを足したバニースーツを発案なさって給仕係の女子に着せようとされました。しかし、サンプルを見て『痴漢被害が増えそうね』と、ご自身でアイディアをオシャカになさいました。以降、男子へのペナルティとなっています」

「……今までに誰か、ここでそんなふざけた格好をした子が?」

「抑止力として絶大な効果を発揮しているおかげで、姫様が試着なされた以外は、まだ誰も」

 自分で発案したのだから自分で試したのかと、染谷は笑いを噛み殺していた。

 ちらほらと、やってきた客ともすれ違うようになる。

 最後に残ったもうひとつのバカラルームでチェックを行っているそらなを見ていると、

「あら、染谷先生はここにいたのね。何してるの?」

 背後からマリベルに声をかけられた。今日も先週と同じパンツスーツに身を包んでいた。

「ちょっとそらなさんと、お話をね」

「妬けるわ。事情聴取ならわたしが職員室で付き合うから、ソラナを解放してあげて。彼女はわたしよりも忙しいんだから」

 遠回しに「邪魔だ」と言われているのだなと染谷は察する。確かに〈セルバトス〉の客でも従業員でもない自分は障害物にしかならない。

 そらなを残して職員室に向かう最中、マリベルは隣の染谷を見上げる。

「ソラナとは何を?」

「バカラというゲームについて簡単に教えてもらったよ」

 スクール水着バニースーツについては触れなかった。

「話を聞いた限りでは、大金を賭けるほどに面白いゲームとは思えなかったけれど……」

「単純だからこそ、バカラは熱いゲームなの。今も昔もあの羅紗の上で、身を焦がす灼熱の二者択一が繰り広げられるのよ」

「……それほどに?」

「わたしでも不思議なくらい。……どうしてどうして、あんなにシンプルなゲームが、人を病的にひきつけるのかしら。配られたカードをめくるのはお客様の仕事なのだけれど、大金を賭けてカードを〈絞る〉人の顔ときたら……興奮、恐怖、期待、緊張……懺悔と祈りを同時に捧げているような、自分の手で運命を覗き見ているような。……そんな感情のすべてが、カードをめくる人の目の中で渦を巻いているの」

「……高額の勝負を受けて、カジノ側が損をすることはないのかい?」

「コミッションと〈引き分け(TIE)〉が存在するから収益でマイナスになったことはないし、丁半博打と同じように、両サイドの賭けがある程度均等になるように調整してるの」

「それじゃあ……一億円が動くような勝負もあり得る? 事実上の青天井(ノーリミット)?」

「勝負を受ける人がいればね。……バカラで何億円も失って破滅した人はたくさん見てきた。でも、その中で最後の去り際に、ゲームに恨み言を残した人はひとりだっていなかった。『それでもバカラは面白い』と、皆が言うの。それって最高の言葉だと思わない?」

 職員室に入り、マリベルはモニターでの監視をしている児童たちに挨拶をしてから、自分の席に座った。先週と同じように隣に座る染谷は、温めてきた質問をぶつけてみた。

「きみはいったい、どこで賭博に触れているんだ? どこでカジノの経営を学んだんだ?」

「わたしの国でおじいちゃんの友達がカジノを経営しているの。プレーはしなかったけど、何度も遊びに行って、いろんなことを教わったわ。わたしの師匠のような人よ」

 こんな子供になんてことを、と染谷が思っていると、マリベルが彼を見て笑うのだった。

「先生の顔を見ていたら、考えていることがわかるわ。本当に優しいのね」

「……きみの観察力の鋭さは超能力並みだ」

「ありがと。……でも、賭博について学ぶことそのものが不謹慎だとはまったく思わないわ。むしろ日本人は賭博というものを子供から過剰に遠ざけすぎている」

「そうだろうか」

「そうよ。日本では保健の授業で飲酒や喫煙や覚醒剤のリスクについては教えるけれど、賭博の危険性に関してはまったくじゃない。身近に溢れているものなのに」

 マリベルの言うことには一理ある。自分の経験に照らし合わせれば、親や教師から頭ごなしに『ギャンブルはダメだ』と教え込まれて遠ざけられるだけで、そのリスクについて詳しい教えを受けたことはまったくなかった。

「『賭博はダメだ』と言う人がいる一方で『賭博はある程度ならしてもいい』と言う人がいる。これでは混乱を生むだけよ。競馬やパチンコや宝くじがこの国から消えてなくならないのであれば、日本人は子供たちに、『リスクを知った上でなら遊んでいい』と教えなくちゃ」

「宝くじも賭博かな?」

「賭博とはいえない賭博ね」

 マリベルが不思議な言い回しを使ったので、「どういうことだい?」と染谷は問い返す。

「あれは最低な賭博よ」

「最低? 宝くじが?」

「何が『低い』かって、還元率が低すぎるのよ。控除率が50パーセントを越える賭博なんて存在さえ許されないのに。この国では最近になってようやくギャンブル依存症というものが注目されはじめたけど、日本人はまず宝くじ依存症を治療しなければならないと思うわ」

 宝くじというものをそのように考えたことのなかった染谷には、マリベルの口からこぼれ出る憂慮(ゆうりょ)の念は新鮮だった。

「はっきり言って、日本人は、賭博に関しては馬鹿よ。宝くじは一枚三百円だけど、三千円買って三百円と交換。三万円分購入してようやく三千円の当たりくじが入っているかどうか。一等に関しては雷に打たれて死ぬのと同じ確率よ? 馬鹿馬鹿しいったらないわ」

「納得ずくで『夢を買っている』んだから、いいんじゃないか?」

「それ。『夢を買う』。宝くじを買う日本人は、みんなそう言うの。私には信じられない。悔しくないのかしら。悲しくないのかしら。腹が立たないのかしら。詐欺のような当選確率の紙切れを、夢と言われて買わされていることに。一等でもたかだか数億円ぽっちの金なのに」

 話に勢いのついたマリベルは、大袈裟に肩をすくめてみせる。

「わたしがそう言うと、今度はこう返してくるのよ。『買わなければ当たらない』ってね。確かにそうでしょう。実際に一等を当てた人もいるでしょう。だけど『買ったら当たる』わけではない。現実の当選確率を考えないで、どうして『次は自分の番かもしれない』なんて、都合のいい間抜けな妄想を抱けるのかしら」

「きみは宝くじに恨みでもあるのかい?」

「行列を作ってまで宝くじの被害を受けようとする日本人が心の底から気の毒で哀れなだけよ。宝くじに充てているお金を積み立てれば誰だって海外旅行に行けるのにね。宝くじを買う日本人は、夢ではなく現実逃避を買っているのよ。ところで何の話をしていたんだっけ?」

 マリベルの熱弁に、染谷も会話の流れを忘れかけていた。

「賭博に関するリスクの啓蒙、その必要性についてだけど……これもそのひとつかな?」

「そう言えるわね。宝くじは魔性の女だと、結論づけておきましょうか」

「もしかして……きみがカジノを開いて子供たちを働かせているのは、賭博のリスクを教えるためなのかい?」

 尋ねると、マリベルはにやりと笑って頷いた。

「三つある目的のうちのひとつね。わたしが教師になって、お客様に反面教師になってもらう。その両面から学ぶことで、〈セルバトス〉のメンバーは賭博に対する心構えを身につけるわ」

「このカジノは〈賭博の学校〉というわけだ」

「いかにも。……いずれこの国にも、本格的なカジノが解禁になるかもしれない。賭博との上手な付き合い方を知っていれば、自分の子供を教え諭すこともできるわ」

「なるほどねぇ」

 ただの金儲けではないと思っていたが、彼女なりの信念がやはりあったのだ。

「それじゃあ、きみの目的の残りのふたつは?」

「教えても染谷先生は納得してくれないんでしょう?」

「まぁね。どれだけ高尚な目的であっても、犯罪に目を瞑るわけにはいかない」

「特に隠すことでもないけどね。わたしはただ……あらあら、ごめんなさい」

 マリベルのスーツの内ポケットで携帯電話が振動していた。

「もしもし(アロー)」

 スペイン語で電話に出たからには、相手は日本人ではないのだろうと、何となく染谷は受話口に耳を傾けるマリベルを見つめていた。

 すると―――少女の顔が見る見る険しくなっていった。


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