箱の中の恐怖
アイがあの親子を見て本当の所どう思ったのかは分からない。
助けてやりたいと思ったとしてもどうにも出来ない事は分かっているはず…そして無力さに苛立つ。あの態度は俺に対してと言うより、自分に言い聞かせる為大声を出したのではないかと思う。
リアルワールドの自分さえままならないのに、他人で、しかもパラレルワールドの親子をどうにかしてやりたいなど傲慢なだけだ。
時に優しさとは傲慢な自己満足に終わってしまう……独りよがりな達成感など何の意味もないように思う。かと言って家族や友人と分けあう達成感や満足感は、一緒に喜びあっても結局自己の集まりで心の中では何を思っているのか見当もつかない。
たいした根拠もなく陶酔し幾つも勘違いして……見えない感情に振り回されるのは愚かに他ならない。
しかし、人間とは元来そういった生き物なのかもしれないな……カタチのあるモノに絶望や喜びを感じ、時にカタチのないモノに縋り振り回される。
なんだかんだと語っても結局のところ…………俺もそのひとり。
滑稽極まりない。
自分で自分を笑いたいよ。
「ケイ、今は姿見えてないんだよね?」
「ん?……ああ、大丈夫だ」
アイは安心したように頷くと、開放的なレストハウスやチャットルームに集まっている子供たちを見回した。
ちょうどランチ時で好きなものを頼んで美味しそうに食べている。
食事の終わった者は数人で集まり会話を楽しんだり、個々でパソコンを開き何か調べている者と様々だ。
白い壁に白い床……いつもの居場所のようだ…でも其れだけが似ていて他は全く違う。
俺には語り合う仲間もいなければ、パソコンも調度品もない、歩いても壁など無く永遠に続く空間……確かなものは座り心地のいい白い椅子だけ。
ヴォイス……ヴォイスは仲間じゃない。
彼は……いったい俺の何なのだろう?そんな事考えてもみなかった。
「大違いだね」
「ん?」
「同じ人間なのにさ……」
「……どの世界だって違う…その差が大きいか小さいかの差だ」
「其れでも酷すぎるよ」
「アイ」
「そんな顔しないで、大丈夫…冷静だから」
確かに少し前とは違って落ち着いた様子だが、何処か屈折した危うさも漂わせている。
しかし、俺は今どんな顔をしてアイを見ていたんだ?
心配顔?…戒めるような顔?…其れとも脅すような顔だろうか……
聞いてみようか…いや、馬鹿にされ呆れられるだけだな…やめておこう。
「……いた!」
愛を見つけたようだ……誘われるみたいに近づいて行った。
俺もその後をついて行く。
◆◆◆◆◆
私の後ろをケイがついて来る。
何か考えていたように見えたけど、かと言って私の言葉を聞いてない訳でもない。
チラリと後ろに視線を向けてみたが、別段変わったところはない。
相変わらず高飛車な感じで訳知り顔……大きな瞳で心を覗いているようなそんな表情だ。
そんな事を思っているうち愛の直ぐ近くまで来た。もう一度ケイのほうを見ると目が合い彼は顎をクイっと上下させ愛に視線を向けた。
「わかってる」
愛は友人たちと談笑している。
何の不自由など無く食べたい物を食べ、清潔な服を着て、エリートに選ばれた事により得た安定した生活。
……楽しそう。
ここに居る子供たちは知っているのだろうか……自分たちの足の下の下、ずっと深い暗い場所でたくさんの人が飢えている事を……
その時軍人のような制服を着た男2人を従えたスーツ姿の男が現れる。
ザワつく子供たち……その表情は怯えていた。
「Cクラス シュウイチ トキタ」
スーツ姿の男は子供たちを見渡す…その目を合わせないように怯えた子供たちは顔をそらす。
「いないのか! Cクラス シュウイチ トキタ!」
レストハウスのほぼ中央にいた男の子がゆっくりと気づかれないように慎重に椅子から滑るように離れようとしていた。
額にはじっとりと汗をかいている。
隣の子が食器を床に落とした……いっせいに視線が音のした方に向けられる。
……ワザと落とした…薄っすらと口の端が笑っているのを見逃さなかった。
椅子から腰を浮かせていた男の子が一瞬にして老いた様な顔になり、怯え腰を抜かして首を横に振りながら後ずさりしていく。
スーツ姿の男は従えていた2人に目配せすると制服姿の男は左右に分かれ男の子を取り押さえた。
「ヤダ…ヤダ……連れて行かないで!…お願い…します」
蒼白の顔は恐怖で歪んでいる。
「行きたくない!イヤだぁ!」
引きずられる様に連れて行かれる姿を、他の子供たちは同じ様に怯え顔を引きつらせ見ている。
スーツ姿の男は子供たちに向かって機械的な笑みを浮かべた。
……冷たくて心がゾワゾワする。
「昼食の時間に騒がせてしまったね…気にせず午後の授業も励むように」
数秒の静けさの後、一時停止ボタンを解除し映像の続きが始まるみたいに子供たちは話し始め、食事を始めた。
「なにも無かったみたい……誰も連れて行かれた子の心配する様子が無い」
「この子らも必死なんだろ」
「何に?」
見上げたケイの瞳は深い森の中みたいに暗く静かな影を落としていた。
「自分を守る事に」
「守られて……いないの?」
「恐怖と言う支配に守られているだけの箱の中の人形。……アイ、まわりを見てみろ。
ここも、最初に見た教室のような部屋も、窓ひとつない。四方を白い壁に囲まれ、いま現在外界はどんな状況なのか、ここに居ない大勢の人々は?……おそらく殆ど知らされていないだろう」
何の知識もなくこの場所を見たら、なんて環境の良いところだと思ったに違いない…でも、地下の生活を見てしまった今この場所も子供たちも……変だ。
「ケイ……おかしいよ…変だ」
「そうだな。不条理極まりない……本来在るべき全てから此処は逸脱している」
怯え狂ったように叫びながら仲間が連れて行かれても直ぐに平静を装い関わることを避ける。でも、本当はどうなのだろう……知りたいとは思わないのか。
「連れて行かれた男の子はどうなるの?怯えたという事は知っているって事?」
「多分…なんとなくは………」
ケイが目で合図する……愛が食事を終え食器を片手に隣にいた女の子と一緒に立ち上がったのだ。
2人は廊下に出ると縦一列に並び歩いていく。
「シュウイチは実験室」
「シッ!……リン、不用意な事言っちゃダメ」
愛は天井に取り付けられている監視カメラにほんの一瞬目をやり顔をしかめて見せた。
「ごめん……」
「気をつけてよ。さあ、行こう」
2人は口もとを緊張させ警戒するように瞳を左右に動かし歩き出した。
「実験室って……ケイはなんの事か分かっているんでしょ?」
「……」
「都合が悪いから黙っちゃう気?」
私を見ようともしない……絶対教えないつもりね。
「ズルい」
「……」
「私には知る権利がないって事?」
「……知ってどうする?」
「分かってるよ…なんにも出来ないって事は…でも、気になる」
ケイは困った…と言うより、不快な顔を見せ溜息を吐いた。
「アイは……知らない方がいい。決して気分の良い事じゃないから」
「そんなに酷い事されるの?」
「さあ……」
また口を噤んでしまった……聞き出すのは無理みたい。でも、彼の厳しく不快な表情と実験室と言うワード、この世界の状況から想像は幾つかできる。
…………あまり妄想しすぎるのは止めよう。
人間の残酷さに身体が震え、そして自分も同じ人間なんだと思うと吐いてしまいそうだ。
「アイ、それぞれ違う部屋に入ったぞ」
ケイは腕を掴み愛の入っていったドアに向かって抜けようとしたが、私は腕に力を入れそれを拒んだ。
「アイ?」
「こっちのドアにしよう」
私は腕をつかみ直し〝リン″と呼ばれていた子のドアを通り抜けた。
◆◆◆◆◆
……ここは個室部屋。
ベットに備え付けのクローゼットそして机と本棚…それだけの簡素なインテリアで少々狭いように思った。窓がないのがそう感じる要因かもしれないけど……
「なんでこっち?」
凄くまともで率直な疑問を投げかけてきた。
……口に出して言ったら怒られそうだけど、この子が唯一男の子が何処へ連れて行かれたか口にしたからで、希望的理由だけど何か分かるんじゃないかと思った。
「なんとなく……」
「……なんとなくねぇ」
腕組みをして見つめる目は私の考えなど見透かしているようで落ち着かなかった。
「いいでしょ別に」
「悪いとは言ってない。けど…この子の部屋に来た事を後悔するなよ」
「し…しないよ」
ああ……やっぱり見透かされてるかなぁ。
「だといいが……」
ケイは澄ました顔をして机に向かって座っているリンに視線を移した。
彼女は鍵のついた引き出しから1冊のノートを取り出した。
覗いてみると其れは普通の大学ノートで日記として使っている様だ。そして何も書かれていないページを開きペンを走らせはじめる。
ケイは眉をピクリと動かすと興味なさそうにベットへ腰をおろし伸びをする。
私は何を書くのか気になってそのまま覗き込んでいた。
「他人の日記を覗くなんて良い趣味とはいえないな……」
「分かってるよ…いいでしょ、今回だけだから」
「いいでしょ…か。そうやって自分の行動や言動を簡単に許し、肯定してしまうのは良くない傾向だな」
……うるさいなぁ。
私は方頬に力を入れてケイを睨んだが、彼の方は大人ぶった戒めるみたいな顔をしていた。
……鬱陶しい。
1人でパラレルワールドを往き来できたら最高なのに……
そんな事を考えているうちリンは日記に文字を埋めていっていた。
書いた文字を追って読む。
初めの方は講義の内容、それについての感想みたいな事を書いている。
さして興味がそそられる事は書かれていない……ハズレだったかな?
リンの手が止まった。
ジッと手元を見つめ、書こうとペンを持ち直しては手が止まる。その繰り返しを何度かして思いを確認するみたいに1度ペンを置いた。
暫く途中まで書かれた日記を見つめた後、再びペンを取り、自分しかいない部屋を誰かに見られていないか不安そうに伺ってからやっと書き出した。
◆◆◆◆◆
《リンの日記》
さっき、シュウイチが連れて行かれた。
引きつった顔が頭から離れない。いつか私にもこんな日が来るかもしれないと思うと恐ろしくて此処から逃げたくなる。
でも、行く場所なんて無いんだ……此処で生き残る為に頑張るしかない…そう思ってもやっぱり不安。
愛に不用意な事は言ってはいけないと怒られた。
確かに、シュウイチが実験室送りになったかはわからないけど、多分間違いないと思う。
そしてシュウイチに2度と会う事はない。
だって…人体実験で死んでしまうもの……
一部の子は、〝脱落者にはそれしか道は無い。むしろ身体を張って貢献できるのだから誇りに思うべきだ。そして讃えるべきだ″……と到底納得できない事を言っている。
でも、納得できない考えを知られてはいけない。知られたら直ぐに実験室送りになる。
次に誰が脱落するんだろう……私じゃ無い事を祈るしかない。
愛に言ったらきっと〝祈るなんて意味ない、必死にやるしかないんだ″……と怒ったように言われるな。
いつになったらこの不安と恐怖から解放されるんだろう。
◆◆◆◆◆
リンの部屋から出ると私は廊下に座り込んだ。
リンが最初に実験室と言った時から、もしかしたら…と思っていたけど、カタチとして文字にしたためられるとショックが大きい。
膝を抱えよく磨かれた床の一点を見つめ小さく息をはく。
日記は不安と怯えが綴られていたけど、どこか冷静で切羽詰まった感じは受けなかった。
……自分は大丈夫と心のどこかで思っているのかもしれない。
または、書く事で冷静になり言い聞かせているのかも……
両手で額をおさえる。
……想像と現実が一致するとこんなにも身体が重くなるものなんだ。
楽しい事や嬉しい事ならこうは成らないと思うけど……兎に角、頭も心も鉛のように重くて辛い。
「後悔……」
「えっ?」
「あの子の部屋に入って日記を覗いて、知る必要のない情報に心乱され後悔している」
「……」
「……へぇ、言い返さないって事は図星か」
「……」
「好奇心ネコを殺す」
「は?」
「過剰な好奇心は身を滅ぼすって言う意味のことわざだ」
「ああ…知ってる」
「なら、慎む事だな……これからは」
ケイの顔は〝それ見たことか″と言っているようで悔しかったけど言い返せない。
後悔しているのは事実だし、真実に動揺してそんな気力もない。
「どうする…戻る?」
戻る……冗談じゃない。
そこまでヤワじゃないよケイ。
私は首を大きく横に振り、ケイはニヤリとして満足そうに頷いた。
「じゃあ、愛の部屋に行くとするか」
「だね」
まだ心も身体も重かったけどこんな所で座ってなんていられない。
短く息をはいて立ち上がった……そしてケイの腕を掴んで愛の部屋へ。
◆◆◆◆◆
愛の部屋もリンと全く一緒で簡素なものだった。
やはり窓がなく窮屈な小さな箱に閉じ込められている感じがする。そして密かに取り付けられている小型監視カメラ……勿論、リンの部屋にもあったが本人たちは気づいてないようだ。
リンの日記の内容までは位置的に見えはしないが、少しでも挙動不審な動きをすれば危険な事には違いない。
俺が心配する事じゃないがな……
アイは部屋をウロウロしながらつまらなそうにしている。パソコンに向かい勉強しているだけの愛には興味が湧かないのだろう。
「何も触るなよ」
一応念を押す。
…鬱陶しそうに目を細めこちらを見ると〝はーい″と言って両手を腰に回し本棚に目をやった。
「ん?」
本の隙間にはみ出しているのを見つけ覗き込むとアイは小さく声をあげた。
「どうした?」
「これ……」
俺は近づいて指差す物に焦点を合わせた。それは少し色褪せた写真で子供の顔の部分がほんのチョットだけ見えている。
「これ、家族写真……この子私だ」
アイが取り出そうと手を伸ばしたのでそれをたしなめた。
まるで電池の切れたオモチャのように動きを止めると〝そうだった″と言って手をおろし、食い入る様にそれを見つめる。
この写真には見覚えがある……最初に行ったパラレルワールドでアイが投げつけた写真立てに入っていたのと同じだ。
「なんでこんな所に挟めてあるの……」
「さあ……他人に見られたくないか、自分が見たくないのか…それとも所持している事を隠しておきたいのか」
「隠す?……どうして?」
「気づかないか?…リンの部屋にもこの部屋にもプライベートな物は何も置かれていない。寝る場所と机、本棚には専門書……持ち物も管理、制限されているんだよ」
「……日記も普通のノートを使ってた。あれくらいの年頃ならもう少しそれらしい日記帳にする筈だものね」
「まあ、この荒れた世界にそんな非生産的な物が作られているとは思えなけどな……」
「非生産的って…そんな……」
「アイの世界ではそうではないかも知れないが、ここの大人たちはそう考えるだろうよ。
……俺も必要じゃない……毎日同じ繰り返しだからな、書く事なんて何もない」
俺は後悔した……書く事などないなんて言葉にするんじゃなかった。聞き様によっては愚痴とも取れる。
何でもない顔をしよう……アイが伺うようにこっちを見ている。
◆◆◆◆◆
……毎日同じ繰り返し……
私も似たようなものだけど日記をつけようと思えば出来る。多分不満を書き綴るだけだと思うけどね。
私は何となく投げやりな言い方をしたケイが気になって顔を覗き込んだが、表情から伝わってくるものは無かった。
読めない奴……
その時、愛が立ち上がりこちらに向かって来た。
1冊の医学書に指をかけると、はみ出していた写真に気がつく……微かに眉を寄せ躊躇いがちに取り出す。
やっぱりあの家族写真だった……皆んな笑っている。
この世界の父や母、兄や姉はどうしているんだろう?
バイオテロの犠牲になったとか……じゃあ、この愛は独りぼっち……って事。
愛は写真をひと撫ですると思いを断ち切るように厳しい顔になり写真を元に戻した。
今の仕草で愛が家族を大切に思っていた事がうかがえる。
私とは真逆だ……なんか……
「羨ましい?」
「えっ?なんで」
「そんな顔してたぞ……」
「まさか!あり得ない。パラレルワールドの愛を羨んでなんになるの…馬鹿馬鹿しい」
動揺している?……違う!独りぼっちの愛が可哀想と思っただけ…
そう、動揺したのはケイがあまりにもあり得ない事を言ったから驚いただけよ。
「家族なんて興味ない」
「俺、家族の事だなんて言ってないぞ…」
勝ち誇ったようにケイはニヤリとし、私は口をきつく結んで目を逸らす。
ホント、やな奴!
ベルが鳴り響く……
愛は急いでパソコンをしまうとバタバタと部屋を出て行った。