地下の人びと
暗い洞窟のように思える場所……所々にぼんやりとした灯りが揺れている。
目が慣れるまで少し時間をようしたが徐々にハッキリしてきた。
狭く感じていたのは気のせいで意外と広く、そこにはノロノロと背中を丸めうなだれて歩く大人たち、青白い顔で淀んだ瞳をし痩せた身体を折り曲げて隅にかたまっている子供たち。
四角い箱の部屋で目にした男や子供たちとは大違いだ……掃き溜めだなここは……
「ここは……」
アイは鼻を指で押さえ表情を歪ませている。
それも其の筈で、ここはカビ臭くそのうえ体臭やゴミの匂いも混じり合い異臭を放っていたからだ。
「なんなの……」
「選ばれなかった人々が生活する場所」
「こんな所に住んでるの!」
「凡庸な人間はこの場所でしか暮らせないんだろう」
「そんな……外に行けば…あっ……」
「外は汚染されている……」
「うん……ここは地下?」
「ああ…目に見えないモノを恐れ自分を守る為に、生き延びる為に地下に潜った人々。
彼等にとってここは安住の地とは言えないが、それでも死よりはマシだと思っているんだよ」
「……私には耐えられないかも知れない」
「そう?……俺はそう思わないけど」
視線を隣のアイに向け俺は薄っすらと笑みを浮かべた。
その時近くにいた小さな女の子がチョコチョコと寄って来てアイのスカートの裾を引っ張った。
「えっ!」
「お姉ちゃんいいね……綺麗な洋服着て」
痩せ細った身体にこけた頬…力のない目だけが異様に大きく子供らしいハツラツとした感じは全くないみすぼらしい小さな女の子。
「え、えええええ〜どうして?」
アイは自分を見つめる少女に驚きと戸惑いを見せて後退り俺の後ろに隠れると、少女は悲しそうな顔をし疲れたようにその場へしゃがんでしまった。
「ケイ、なんでこの子には見えるの?」
「ああ……この場所でもう一人の愛と顔を会わせる事はないから姿は晒してる」
「はあ?……だったら初めから言ってよ!って言うか姿を現わすことも出来たの?」
「勿論できる」
アイは呆れたように後ろから俺の顔を覗き込んでいる。
……言ってなかったか…な?まぁいいさ、今教えたから。
俺は自分勝手に納得し顎に手を当て頷いた。
「……お腹すいた……」
少女が呟くとアイはゆっくりと近づき制服のポケットから何か取り出し目の前に差し出した。
「今、これしかないけど……」
「いいの?」
「うん、飴……甘いよ」
「アイ!ダメだ!」
「え?……」
俺は慌てて止めたが遅かった……少女は受け取り包み紙を外し口の中に入れてしまった。
俺は天を仰いだ……暗く湿ったゴツゴツした天を……
「あま〜い、おいしい」
そしてパニックが起こった。
少女の言葉に他の子供たちが反応し大勢集まってきたのだ。
同じように痩せ細り飢えた顔をして俺たちを取り囲む……それは死者が蘇ったみたいにスローで異様な光景。
子供たちは力のない声で〝僕にも、私にも″と食べ物を要求してくる。そしてそれに気づいた大人たちも集まって集取がつかなくなった。
「なっ、何!……ケイどうにかして!」
「アイが不用意な事するからだ!」
飢えた集団の輪から外れた場所でさっきの少女の口をこじ開け飴を取ろうとしている数人の男の子が目に入った。
少女は歯を食いしばり取られまいと手足をバタバタさせ顔を左右に振っている。
「いけない!」
俺は姿を消し集団をかわして助け安全な場所へ移動すると次は揉みくちゃにされているアイを助けた。
◆◆◆◆◆
私の隣にいた少女は物欲しそうに集まってきた他の子供たちに弾き飛ばされ輪の向こうで怯えている。
周りに集まった子供たちは細い指に薄い爪をたて縋りつき、中にはポケットに手を突っ込み弄る始末で、指を思いっきり噛んだ子もいた。
「イタっ!」
私はそれを払い声をあげた……食べもんじゃないわよ!
どうしよう……今度は大人も参戦し出した。
助けてケイ!……でも、彼も飢えた集団に囲まれ身動き出来ないでいる。
目の端に少女が数人の男の子に引きずられていくのが見えた。
ケイの声が耳に響いたと思ったら姿が消えいつの間にか少女を抱え安全な場所に、そしてまた姿を消すと私の腕を掴み輪の外へ連れ出してくれた。
その後は3人でその場を走って逃げた。
細い横道に入り誰も追ってこないのを確認すると、どっと疲れが襲ってきた。
「助かったぁ……」
私は膝から砕けるように座り込む。
「場所を考えろ……食べ物なんか出したらパニックになると思わないのか?」
「だって……あんなに痩せ細った子がお腹すいてたら可哀想になって…それでつい」
ケイは渋い顔に手を当てて溜息をついている。
「そうやって一時の感情に流されるなら、やはり連れてこれないな」
「これもルール違反?」
「……パラレルワールドの住人に干渉しない。それにあたる」
「でも、姿が見えるようにしていたケイも悪いよ。そうよ…今まで通り見えなきゃこんな事ならなかった」
ケイは何か言いたそうにしていたが私の言い分に言葉を詰まらせ悔しそうに唇を噛んだ。
……心の中でガッツポーズする。…勝った!
でもその気持ちが顔に出ない様注意を払ってケイを見つめる。
「おい…今、勝ったと思っているだろう」
私に指を向けそれを鼻先に近づけると目を細めて顎を上げた。
「別に……」
「嘘つけ…さっきから小鼻がヒクヒク嬉しそうに動いているぞ……こんな事で勝ったと思うなガキが」
ケイの指が私の鼻先を押す。
「プッ……変な顔」
「ちょっと!やめて!」
身体をひいて逃れると鼻を2、3度いじって、改めて周りを見た。
「どこまで逃げてきたんだろう?」
「さあ、随分入り組んでいたからよく分からない。迷っても問題ないけどな…」
少女が私の手を引っ張った。
「え?…なに?」
「こっち……来て」
少女はどんどん奥へと私を引っ張って行く。
……どこへ連れて行く気なの?
「ねぇ、どこ行くの?」
「のぞみ…私の名前……お姉ちゃんは?」
「ああ……私はアイ。こっちのおじさんはケイ」
ケイの手が後頭部を叩いた……噛みつきそうに睨んでる。
「だってこの子から見たら十分おじさんじゃない」
「だからってお前が言うな!」
「はーい」
……男のくせに気にするなんて、馬鹿じゃないの。
「ここだよ」
のぞみと名乗った少女が指差したのは戸板を立てかけただけのみすぼらしい入口だった。
それを横にずらし中へ入って行く。
私たちは顔を見合わせ躊躇していると、母親らしき女性が顔を出して優しい笑顔で中へ入る様に勧めてくれた。
家具といえる家具など殆ど無く生活が逼迫しているのわかる。
テーブルに1本ロウソクが火を灯しているだけの薄暗い部屋、座った椅子はガタガタとバランスが悪く壊れるんじゃないかとひやひやした。
「のぞみがお世話になったそうで、ありがとうございます」
深く頭を下げる母親の足はぼろぼろの靴に、いったい元はどんな色の服だったのかも分からないほど汚れた服、いつ身体を洗ったのか洋服から出ている細い手足、顔は煤けていた。
「あの…こんなものしか無いのですが……」
そう言って出してくれたのは水が半分入った小さなコップだった。
「いただけません。……この水はあなた方家族にとってとても貴重なものなのではないですか?」
「……確かにそうです。でも、娘がこれ以上貴重な飴をいただいています。……この子飴舐めるのが初めてなんです」
母親は隣にいる娘の頭を優しく撫でる。その温かい手に応えるように少女も甘えるような目をして微笑んだ。
そこへ奥からもう一人女の子が目を擦りながら現れ……多分妹なんだと思う。見知らぬ私たちを見て怖がり姉の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ……そうだ!……みーちゃんにお土産だよ。……はい」
いつの間に包み直していたのか少し小さくなった飴を妹に渡した。
「少し舐めたからちょっと小さくなったけど、後は全部みーちゃんが舐めていいよ」
「これなぁに?」
「飴って言うんだよ…甘くて美味しいよ」
包みを開け口に入れると妹は目を丸くして〝あまい″と嬉しそうに声をあげる。
たかが飴1個でこんなに嬉しそうにするなんて……この子たちは一体どんな物を食べているのか……ケイが水さえも貴重なものではないかと聞いていたが、本当にそうなのだろうここの住民にとって水一滴、米粒ひとつさえも生きる為に貴重なものなんだ。
……米自体口に入れる事が出来ているのか怪しいが……
「私たち喉渇いてないし大丈夫です。……其れよりどうしてここは」
「アイ」
ケイが酷く難しい顔を向け言葉を遮り、首を横に小さく振った。
干渉してはいけない……その言葉がまるでテレパシーの様にケイの声で頭に響く。
知りたいけどルールを犯したら2度とパラレルワールドへは来れなくなる。私は奥歯を噛み締め渋々頷いた。
「あのぉ……」
「ごめんなさい…なんでもないです」
奥の部屋から咳き込む声が聞こえてきた。
声からすると女性の様だ。
「もう一人お子さんがいるんですね」
「いえ、私の娘ではないのです…バイオテロで家族を亡くし、唯一妹さんが生きているんですけど一緒に暮らす事が叶わなくて……亡くなった主人が世話になった方のお嬢さんで一緒に暮らしています」
また酷く咳き込んでいる。
「風邪ですか?」
私は声のする方に視線を送り聞いた。
「……肺がやられているようで、医者はいますが薬が手に入らず何もしてやれないのです……もう長くはないと言われました。
せめて亡くなる前に妹さんに会わせてあげたいと思うのですが……」
ケイが自分に出された水の入ったコップを少女に渡し病人に飲ませてやるように言った。
「アイ、そろそろ行こう」
「え……うん」
「お邪魔しました。これで失礼します」
ケイが立ち上がり頭を下げるとサッサと出口へ……慌ててついて行くと母親に呼び止められた。
「あの、あなた方はいったい誰なんですか?
地上の住人?」
「……違います。……どこにも属さないただの旅行者です。では失礼します」
そう言ってケイは微笑むと私の腕を掴み戸板を閉め壁を通り抜けた。
◆◆◆◆◆
壁を抜けた場所は鉄の大きな扉の前で、数人の男たちがソワソワとして扉を見ている。
地響きのような音がして鉄の扉が左右に開き奥から巨大な台車に荷物が積まれ運び込まれる。
運んできた人たちは男たちに荷物を引き渡し、そそくさと帰って行った。
男たちは台車を引きながら奥へ奥へと進んでいく……
「あの荷物は何?」
「おそらく、食料だろう。ここは地上から物資を受け取る場所なんだと思う」
「あれで足りるの?」
「足りてないから飴ひとつでパニックになるんだ……」
「そうだね……酷すぎる」
「変な事考えるなよ」
「何よ変な事って」
「……まぁ、アイだからここの住人全員をどうにかしようとは思わないだろうが、さっきの親子だけでも助けられないかって、恐ろしく無謀な事考えるんじゃないかとね……」
「まさか……しないよ」
否定した私を疑わしそうな目を向けて見ている。
「無理でしょ……ケイの力借りないと私は何も出来ないんだから」
「分かっていれば良いが、絶対、感情に流されるな…可哀想なんて思うのはここの連中を結局下に見てるって事だ。
地上の住人たちと一緒ってことになる」
しつこい……苛々する。
「幸せか不幸せか、そんなのは彼等が決める事俺たちが口出す事じゃない」
「分かってるって言ってるでしょ!」
あんまりしつこいから金切り声をあげて直ぐに後悔した。
やってはいけないと…ルールを破る事になると理解していても心の隅でケイが言ったようにどうにかしてやりたいと思っている自分がいた。
「ごめん……大きな声出して」
「いいさ。気にしてない」
表情から何も感じられない……カタチのない感情は厄介だ捉えようがないから。
単純な喜怒哀楽は表情に出ていれば分かるけど、それだって心の奥底ではどう思っているかまでは推し測るのは難しい。
もっと一緒にいれば分かるようになるのかな……私は探るみたいにケイを見上げた。
「なんだよ……気にしてないって言ったろ」
「うん……」
「しおらしいな…調子が狂う」
ケイは少し困った顔をして鼻の横を掻いた。
「さあ、移動するぞ」
「もしかして地上?」
「そうだ。気になるだろうエリートの愛が」
私からケイの腕を掴む……彼は少し嬉しそう?……に口もとを緩めた様に見えた。