新しい入り口
部屋の隅にある姿鏡に映る自分を見つめていた。
いつもの制服姿で後は家を出るだけ……身体が重い…と言うか気持ちが重いのだ。
学校に行っても、もうあの場所にケイの住む世界へ通じる扉は閉じられてしまっている。
だから学校へ行く理由が見つからない。
退屈で窮屈な場所へ何の張り合いも楽しみもないのに行かなければ成らないと思うと拷問に等しい。
鏡に映る自分に〝仕方ないよ″と言葉をかけ机の上にある腕時計を手首にはめる。
……確実に時が刻まれていく…其れは私にとって無駄に過ぎて行く時間でしかない。
ダラダラと浪費するしかない世界で私は腐敗していく……
早くあの場所へ行きたい。
再び鏡を見るとつまらなそうにしている私がいた。
……学校から戻ったら行ける。
……それまでの辛抱。
もう一度宥めるとカバンに手を掛けた。
突然ノックと同時にドアが開き姉が美しい顔を歪ませて入ってきた。
私が顔を顰めると姉は勝手に部屋に入って香水を持っていったのではないかとまくしたて始めた。
そんな事はしていない。何で揉めると分かっていてそんな物を持っていく必要があるのか……
だいたい姉の持ち物など死んでも手に取ったりしない。
姉は何の反応も示さない私に苛立ち、腕を組んで高圧的に睨めつけ目の前に立った。
私は感情の無い声で〝知らない″と言った。
「正直に言えば許してあげる…さっさと出しなさい」
よくそこまで偉そうに言えるものだ…いったい何様だと思っているんだか。
面倒くさい……
「知らない。お姉ちゃんの部屋に勝手に入ったりしないし」
「嘘つき、あんたよくしてたじゃない」
いつの話をしているんだ……そんなの小さい時じゃない。
「こんな事するのあんた以外いないでしょ…早く返して」
何で決めつけるの……そんなに妹が嫌い?……心に波が立つ。
冷静に務めてたけどもう限界だ。
私は手にしていたカバンを机に思いっきり叩きつけた。
「だったら気がすむまでこの部屋調べれば?……でも其れで出てこなかったらどうするつもり?」
姉は一瞬たじろぎ疑わしそうに目を細めたが、下から母がバスに乗り遅れると声をあげたので〝帰ってくるまで返しといてよ″と捨て台詞を残して出て行った。
知るか!!
姉の背に向かって言ってやりたかった。
ふつふつと憎しみが湧いてくる……今度ケイに頼んで、惨めな人生を送っている姉のパラレルワールドに連れて行って貰おう。
そして指差して笑ってやるんだ。ザマァみろって……
……溜息をついた。
最低……私って最低だ。
でも、何でも器用にこなす姉の惨めな姿を見たいと思う感情は抑えられない。……パラレルワールドの姉がクソみたいな生き方しててもここでは関係ないのにね。
……なんか学校に行く気が失せた。
このグレーな気分をスッキリさせるにはあそこに行くしかない。
もう一度鏡の自分を見つめ手を伸ばした。
スゥーと何の抵抗もなく吸い込まれていく…ちょっと怖くなって腕を抜いた。
手は別に変わったところはない。
馬鹿だなぁ…何を怖がっているんだろう……鏡が伸ばした手をのみ込んでいく…そして全身が鏡の中に吸い込まれた。
◆◆◆◆◆
当たり前の様にアイが扉から姿を現した。
ピンと張った皮膚は若さの証しと言えるが、それとは違う不安からくる緊張からか、それとも感情を悟られるのを防ぐ為に無表情を装った為なのか普段とは異なっていた。
しかし俺の姿を確認すると無事に辿り着いた安堵からなのだろうほんの少しだけ表情を緩めた。
「いらっしゃい……早速新しい入口を通って来たな」
深く座った椅子のアームに肘を立てその手のひらに顎を乗せた状態でニヤリとした。
「私の部屋に出入口作って大丈夫なの?……家族の誰かが鏡に触れたりしたらこっちに来ちゃうよ」
「心配ない…そんなマヌケな俺じゃない。
もう閉じた」
「そう?……じゃあ私の時はマヌケを晒したって事ね」
アイは首を縮めて小さく笑った。
マヌケ呼ばわりされるとは…普通なら腹も立つが、まぁいいさ言わせておこう。本当にそうだったかは後で知るだろう。
「ケイ……」
ヴォイスか……
アイは驚いて周りをキョロキョロと声の主を探している。
「誰?今の声……」
「初めましてお嬢さん」
ここには自分と俺の2人だけと思っていたアイは姿のない声に警戒し表情を引き締めた。
「ケイ、他に誰かいるの?」
「ああ、いるよ。……紹介しよう…ヴォイスだ。……ヴォイス、アイだ」
どこを見るともなく声を掛ける俺を不思議そうに、きみ悪そうに見ている。
「アイ……宜しく私はヴォイスと言います」
声が楽しそうだ……彼にとって久しぶりの俺以外の話し相手だからな。
「……どこかに誰か隠れているの?」
「ここには身を隠す場所なんて無いよ。
説明する……ヴォイスは姿を現さない…声だけだ。そもそも姿と言うか、目に見える形として存在しているのか俺にも分からない」
「声だけ……」
アイは胡散臭そうに表情を曇らせ、瞳だけ警戒するように動かしている。
「……ここに俺が来るずっと前から住んでる」
「住んでるとは少し違いますが…そういう事にしておきましょう」
「だそうだ。……最初に教えておく、ヴォイスに何者なのか聞いても無駄だ。自分もよく分からないと言っているからな……ただ、惚けているだけかも知れないが……」
「何それ……霊とか…まさか異星人?……いずれにしても得体の知れない奴って事ね」
俺は肩を揺らし声をあげて笑った。
確かに得体の知れない奴には違い無い。
「ケイ笑い過ぎです」
「ハハハ…あながち間違ってないかもな、霊とか異星人って表現…」
「……長い付き合いなのにフォローが無いとは悲しいですね」
情けない声でボヤいているがどこか楽しそうにも聞こえた。
「たまに暇つぶしに現れるから相手してやってくれ」
「いいけど……」
渋々って顔だな……そのうち慣れるだろう。
ヴォイスは新しい話し相手ができテンションが上がっているようで、質問攻めしている。
アイは姿のない相手と話す事に困惑しているみたいで、どこを見ていたら良いのか分からずヴォイスを探す様に目をキョロキョロさせていた。
俺はというと変わらず椅子にゆったりと座りヴォイスとアイのやり取りを懐かしく思いながらぼんやりと見つめていた。
……最初に来た時俺もこんな風だったな……あの人は今どうしているのだろうか?
頭の中にモノクロのあちこち擦り切れてしまったテープを再生するみたいに途切れ途切れの映像が浮かんできた。
◆◆◆◆◆
彼は満面の笑みを浮かべ何か言っている。
記憶の映像と音声が乱れる。
俺は……そう、俺はこの椅子に座り何かに魅入られたようにパラレルワールドの映像を見ていた。
味わった事のない胸の高鳴り、瞬きも呼吸する事さえ忘れたみたいに……
一見すると狂人にも見える。
彼がまた何か言った。
俺はそれに頷いて〝大丈夫だ″と言った……その後に少し不安そうな表情をするが、直ぐに微笑んで〝じゃあ″と言った。
俺を憐れむみたいな表情をする。
また記憶の映像が乱れる……〝・・・むといい。ここにい・・・・も・・・な・。・・・・かる。ケイ、さよならだ″
彼はなんと言ったんだろう?……記憶が乱れて思い出せない。
大事な事を言ったように思うが……何かに邪魔されているみたいに途切れる。
記憶が重い霧に包まれていく……白い…いや違う……灰色の霧に埋もれていく。
「ケイ!」
イラついたアイの声が頭に響いてきた。
◆◆◆◆◆
「ケイ……ケイ!」
俺はぼんやりとアイに視線を向けた。
「さっきから呼んでるのに…目開けながら寝てたの?……それって不気味だよ」
苦い薬でも飲んだみたいに表情を崩している。
「寝てない……ただ…………」
「……ただ?」
「いや、何でもない」
俺は笑って誤魔化した……アイは不満そうにしていたが、ハッキリしない記憶を辿っていたと言っても仕方ない。
「もの思いにふける時もあります……もしかして、ケイはここに来たばかりの自分を思い出していたのではないですか?……違いますか?」
頭の中を覗かれていたようで少々気分が悪かったが、ヴォイスの言葉を軽く否定して立ち上がった。
「ところで、今日はどうするんだ……行くのか?」
俺が手をスライドさせると何もない空間に数えきれない程の扉が出現した。
突然現れた扉を見てアイは目を輝かせた。顔が上気し恍惚とした表情になり、白い空間に浮かぶパラレルワールドの入り口を愛しそうに見ている。
「ねぇ……どの扉にするか私選べる?」
扉を物色する視界を遮るようにアイの前に立ち顔を近づけた。
「ダメだ。……侵入者の君が選ぶ権利は…ない」
「侵入者って……ケイが入れてくれたんじゃない」
「それでも侵入者には変わりないさ…自惚れるなよ。本来なら髪の毛一本立ち入ることの出来ない場所だ」
挑戦的な目……強張った表情筋が自分を認めない俺に対しての抗議なのだう数秒間その状態をワザとみせつける。しかしそんな抗議など通じる相手ではないと悟ったのか、プイと横を向くと固まった顔をほぐすみたいに動かした。
「いいわ……いつかその言葉撤回させてやるから」
無理矢理貼り付けた笑顔をみせる。
「へぇ……」
俺は小ばかにした笑みを口の端に浮かべ流すように視線を外し背を向けた。
「そりゃ楽しみだ」
アイの苛立ちがビンビンと背中に感じる。何よりも自分を蔑ろにされるのが許せないのだろう。
だからこんな場所に来てしまった……愚かな少女で救いの女神。
……声を出して笑いたい衝動…しかし奥歯を噛み締め堪えた。
「……仲直りは出来たかな?」
優しい声が響く。それはギスギスした空気を変えるのには十分すぎるタイミングだった。
俺はひとつだけ扉を残しアイに向かって〝行くか″と声をかけ、それに彼女は文句も言わず頷いた。
「よい旅を」
2人で向こう側に足を踏み入れた時ヴォイスが深みのある声で新たな異相空間へ送り出してくれた。
◆◆◆◆◆
窓もない四角い部屋に20人程の子供たち……中学生から高校生くらいだろうか?正面に顔を向け真剣に男の話を聞いている。
身動きひとつしないで何だか人形みたいで私には異様に見えた。
「君たちは選ばれた人間だ。
この荒廃した我々の世界を救うべき集められたエリート中のエリート、その誇りを忘れず規律を守り勉学に励むように……もう1度言う…君たちは選ばれた人間だ」
男は唾を吐きながら熱弁する自分に酔っているのか、恍惚とした表情を浮かべ子供たちをゆっくりと見渡している。
「君たちの素晴らしい才能を惜しみなく捧げなさい。それが世界を救う事になるのだ」
子供たちの表情が引き締まる。
一人ひとり言葉に誘導されるように瞳を輝かせ、自分たちこそ唯一救いをもたらす存在なのだと自負し、誇りと自信を全身から発していた。
……なんなのこの子たち。
ケイが私の肩に手を置き振り返ると指した先にこの世界の〝愛″…つまり私がいた。
「ここではエリートなんだな…自信に満ちた表情をしている。……でも」
「でも?」
「……危うい感じがする」
ケイは冷えた厳しい表情をしていて私を不安にさせた。
「ケイ、ここはどんな世界なの?」
「自分の目で確かめてみるといい」
私の問いには答えず腕を掴み四角い箱の部屋から別の場所へと移動した。
◆◆◆◆◆
広がる世界に目を疑った……
最初は窓ガラスから見える外界だと思ったが、そう見せているだけで外に取り付けられたカメラから映像を流しているだけだった。
建物は壊れ乗り捨てられた車、中には焼かれた様な物もあった。
そして誰一人として外を歩く者も、車も走っていない……街が停止している。
「何があったの……」
「……」
外界の映像を見る横顔はやはり厳しく冷たかった。
「ケイ」
「……ここは、アイのリアルワールドと同じ時代だけど……酷い状況だな街が全く機能していない」
「戦争?……それでこんな事に?」
「君の言う戦争とは違う……バイオテロによって撒き散らされたウィルスでこうなってしまったみたいだ」
「バイオテロ…」
そんな事があるの?……無くはないか……
誰かの間違った選択でこんなパラレルワールドも存在する……私もどの時点かわからないけど選択した事でこの世界にのみ込まれるみたいに存在しているんだ。
「空気は汚染され生命を育むことの出来ない世界になってしまったんだな……愚かな…」
「……さっきの子供たちはこの汚染された世界を元に戻すために集められたという事」
「の、ようだ……その中に愛も含まれている。……どうだ羨ましいか?この世界で必要とされる自分が……家族に蔑ろにされ、学校でも差して目立つわけでも無く必要とされるわけでも無く大勢の中の一人でしかない存在……期待をされる愛とは大違いだ」
揺らめく怒りの青白い炎が心に浮かぶとその感情そのまま顔に映しだしケイの横顔を見た。
「酷いこと言うのね」
「でも当たっているはずだ」
「……羨ましく思うかどうかはこの世界をもっと知らなきゃわからない」
私は神経質に眉を吊り上げ刺すような目をケイに送った。でもそんな視線などスルリとかわし微笑むと、また別の場所へ移動した。