再び扉の向こう側へ
直ぐには目を開けない……ひと呼吸…ふた呼吸おいてそれから大きく深呼吸をしてからゆっくりと開くんだ。
今回はどんなパラレルワールドなのか期待が膨らむ……最初の世界はリアルの私とたいして違いがなかった。……せっかく行ったのになんだか日常を見せられている様でガッカリで、その分期待が上乗せられとても直ぐには目を開けられない。
……どんなパラレルワールだろう。
……目を開けた。
数メートル前を歩くケイの背中が見えた。
私が勿体ぶっている間先へと進んでいたのだ……立ち止まりこちらへ振り向いた。
「なに突っ立ってんの?行くよ」
「待って……」
前を行くケイを追いかけながら目にする景色に眉を寄せ、また立ち止まった。
ここは……私が通う高校じゃない!
校庭を中心にして西側に第2体育館、その奥に温水プール設備の第3体育館、そして私の後方には第1体育館があり、その裏に使われなくなったプレハブの部室……まんまじゃない!……リアルワールドに戻ったの?
私はケイに追いついて腕を掴むと物凄い勢いでまくしたてた。
「ちょっと、どういう事!また戻ってるじゃない!馬鹿にするのもいい加減にして、そんなにパラレルワールド案内したくないなら、ルールだ、干渉するなとか最もらしいこと言ってないで、サッサと記憶消してほっとけばいいじゃない!
人の気持ち弄んでなにが面白いの!
一体何様だと思ってんのよ!」
こんなに怒っているのにケイは平然とした表情で、顔色ひとつ、眉ひとつ動かさず私を見ていた。
……ますます腹が立つ。
「なんとか言いなさいよ!」
鼻息あらく喚く私の腕を取って校舎へ引っ張って行かれた。
まっすぐ壁に向かって行った。
うそ…ちょっ…この前通り抜けられなかったのよ…リアルじゃ無理…
……ぶつかる!!
……ん?……ぶつかってない?
私は強く瞑った目を開けると校舎の中に立っていた。
ケイは得意げな表情でこちらを見ている。
「うすうす感じていたと思うけど……」
「うん…いくらやっても無理だった…ケイと一緒だから?」
「まぁ、俺と一緒は大前提なんだけど、リアルワールドでアイは壁を通り抜けることも、姿を消すことも出来ない。自分の住んでいる現実の場所だからね」
「じゃあ…今出来たってことは、ここはパラレルワールドなの?」
「そう……紛れもなくパラレルワールドだ」
ケイは口角を上げて妖しい笑顔を見せた。
「でも……ここは」
「そうだね……同じ高校に入学したみたいだ……それと、ここはこの間来た世界と一緒だから…念のため教えておくよ」
「えっ……」
ガッカリだ……もっとドラマチックな、180度違う私の人生を見たかったのに……なんの期待も出来ないよ。
……私が溜息をついているとケイは物珍しそうに辺りを見回している。
「生徒が見当たらない」
私は腕時計に視線を落とした。
あれ?止まってる……叩いてみた……動かない。今度は手首を軽く振ってみたがやはり止まったままだ。……電波時計なんだけど…
「授業中か……うん、教室を覗いてみよう」
「え…あ、うん…………おかしいなぁ」
私は適当に返事をしながら時計に耳にあてたり、また振ってみたりしたが結果は変わらず時計の針はダンマリを決めていた。
「何してる……行くよ」
「時計が止まってて……買ったばかりなのに」
私は手首を突き出して時計を見せたが、ケイは興味がなさそうにチラリと視線を動かしただけで直ぐに目の前から手首をよけた。
「さあ、行こう」
先に歩き出した。
私はもう一度時計を指先で叩いてみたが動く気配はなかったので諦めてその後ろについて行った。
階段を上がり1年3組の教室の前で立ち止まる。ケイは腕を取ってまた壁を通り抜けた。
教室の時計を見ると後5分程で授業が終わる時間で生徒たちはソワソワしていた。
ケイが肩をたたき窓側の後ろから2番目の席を指差す。そこに視線を合わせると、つまらなそうに頬杖をついて授業を聞いている私がいた。
思った通り……私と何ら変わらない。
退屈な毎日に身を置いて、ただ時間が流れていくのを虚ろな頭でささやかに抵抗しながらも、どうにもならない今を諦めているみたいな腐った私。
……見たくなかった。
私は嫌悪感を表し目を逸らす。
授業時間終了の鐘が響いた。
生徒たちはバタバタと動き出す。まだ昼でもないのに弁当をかき込み始める男子生徒、トイレに連れ立っていく女子生徒、真面目にも次の授業の準備に取り掛かる生徒、様々な動きを見せる中、私は直ぐ後ろの女子生徒に話し掛けている。
「ねぇ、頼んでた英語の宿題やってあるよね」
「あ…うん。ちゃんとやってきた」
後ろの席の少女が机の中から1冊のノートを手渡していた。
「サンキュー」
ノートをめくり満足そうにしている。
少女はホッとしたみたいに表情を緩めると次の授業の教科書とノートを机から出した。
「あっ…そうだ。今日お弁当持ってこなかったんだよね〜」
「えっ……」
「だから、購買部でチョココロネと焼きそばパン、それと…コーヒー牛乳お願いね」
「わかった。…………あのぉ…お金……」
「ごめん…お財布忘れてきた。出しといて…
宜しく」
少女は情けない顔で渋々頷いた。
何なのこの……主従関係。
あの子は誰?
私は近付いて俯いている少女の顔を覗いて見ると、それは相川真奈だった。
オドオドと人の顔色を伺い目立たぬ様に気配を消し、まるで隅っこに転がっている不恰好な石ころみたいだ。
私の知っている相川真奈と全く違う。
「へぇ〜面白い」
いつの間にか後ろにいたケイが囁いた。
「面白い?」
「決まっているじゃない…全然違うんだよ」
「可哀想だとは思わないんだ」
ケイに向き直って首を傾げた。
何故そう思わなくてはならないのか分からなかった。
「別に思わない」
「そう……」
ケイはゆっくりと上体を起こし窓の外に広がる校庭に視線を移した。……と思ったがそれは違ってガラスに映るこの世界の私を見ていた。
「ここは、この前のパラレルワールドの続きだ。……確かに面白いな…この世界の君は家では家族の顔を伺い機嫌を損なわない様に注意をはらい生活している。……この少女と一緒。
でも、学校じゃあ逆だ……偉そうに友に命令して、まるで家での鬱憤を晴らしているみたいだな。
……うん、実に面白い」
「何よ……何が言いたいの?」
ケイは振り向いて微笑んだ。
「別に……」
男のくせに色白で美しい顔をしたつかみ所のない嫌味なパラレルワールドの番人……私は眉をひそめ見つめた。
「面白いなんて…冷たいと思っているんでしょ」
「そんな事は言ってない」
惚けた表情を見せて出口へ向かう後ろを追いかけた。
次の授業が始まる鐘がなった。生徒たちは教室という箱の中に吸い込まれるみたいに入っていきピシャリと戸が閉まる。
「さて……少し時間を飛び越えてみるか」
「えっ、そんな事出来るの?」
「まぁな……」
ケイがパチンと指を鳴らすと扉が現れ私たちは中へ入って行った。
◆◆◆◆◆
風を感じる……微かに草木が触れ合う音が聞こえる。
目を開けるとその音は消え、人が動く音、声がフェードインしながら耳に入ってきた。
周囲を確認すると、所々に円形の花壇がありその間を縫うように小道が通っている。
芝生もありそこに寝っころがっている生徒、お弁当を広げておしゃべりしている生徒。
庭を囲むように木製のベンチも設置されている。どうやら中庭に立っているみたいだ…それも中央に植えてあるシンボルツリーの下だ。
「お昼休み……」
「アイ……」
ケイが真っ直ぐに指差した延長線上の先を見るとベンチに私が腰を下ろし数人の女子生徒と笑い合っていた。そこへ白いビニール袋を手に走りながら相川真奈がやって来た。
私たちは近づいた。
「愛…」
「あっ、真奈遅いよ」
私は相川真奈が手にしていた袋を取り上げると中を覗いた。
「……何これ」
「あの…あのね……すごい混んでて」
今にも泣きそうな表情で震えた声を出している。
中身は頼んだパンではなかった。険しい表情でクリームパンと牛乳を手にしてオドオドしている相川真奈を見上げた。
「頼んだのと全然違うじゃない…」
「ごめんなさい……売店混んでて…その……残ってたのそれしかなかったの……」
「はあ?売店混むのなんか分かりきっているでしょ…それを要領良く買ってくるんじゃない」
「……ごめん」
「ほんとグズよね……使えない」
相川真奈はギュッと口を結び両手の拳を強く握っている。
「なら……」
「えっ…何?」
「なら……愛が……自分で買いにいけばいいじゃない」
私は立ち上がると持っていたクリームパンを相川真奈の顔に押し付け、そして牛乳の飲み口を開け頭からそれをかけた。
「口ごたえは許さない……」
一緒にいた女子生徒は驚いていたが誰も止める者はいなかった……ただ気の毒そうに見ているだけだ。
相川真奈は銅像のように立ち尽くしている。
顔には無残に押し潰されたパンからねっとりとしたクリームがはみ出し皮膚を舐めるように移動していき、そして白い雫がポタポタと滴り落ちていく。
「……面白い?」
静かで感情のない声だったがケイの言葉は心に小さな波紋をおこした。
「……私がやったわけじゃない」
「そうだな…別の人生を生きている…き・み・だ…から心を傷める必要はないか……」
〝君だ″を強調して言うケイに腹立たしさを感じながら、心の隅っこでモヤッとした訳のわからない感情がくすぶりだし私は苛立った。
「……痛まないよ」
聞き取れないような小声で、自分に言い聞かせるみたいに呟いた。そして対峙しあう2人に集中した。
相川真奈は顔に張り付いているクリームパンを拭いその手を見つめると怒りに目を充血させ、そして良心の呵責もない私を睨んだ。
バイ菌でも見るような目をしている私に何か言いたそうに口を奇妙に動かすが言葉にはならず、汚れた手を強く握りしめて走り去った。
「憐れだな…」
「憐れ……」
「そう……憐れだよこの世界の愛もあの子も、そして君も」
「私?どうして」
「さあ、どうしてだろうな…」
「何それ」
はっきり言わないケイに不満たっぷりの表情を向けた。彼はそれを受け流すように穏やかに微笑むと、パチンと指を鳴らし扉を出現させ私を連れて入った。
◆◆◆◆◆
目を開けるとそこは学校の屋上だった。
太陽が沈みかけていて周りは薄暗く、下から部活が終わった生徒の声が響いている。
ケイは私の腕を取ると出入口の壁を通り抜ける……抜けると間近に相川真奈がいて驚いてしまった。彼女は制服ではなくジャージに着替えていて落ち着きなく上着の裾を両手で握り誰かを待っているみたいだった。
そこへ私が面倒くさそうに階段を上がって来た。
「こんな所に呼び出して何?」
「あ…………あ…」
上手く言葉が出ないようで、その姿が滑稽で私の笑いを誘ったみたいだ。彼女の周りをゆっくりと馬鹿にした様にニヤニヤして歩く。
「……どうしたの?言葉忘れちゃったぁ?」
「あっ…愛……」
「な〜に…ま〜な」
「あのね…………その……」
「……だから何…早く言いなよ」
「もう、やめて欲しいの……私、愛の召し使いじゃない」
相川真奈は身体を硬直させながら声を振り絞り言った。
「何言ってんの……真奈の事召し使いだなんて思ってないよ。友達だよ」
「でも…命令して…めんどうな事は押し付けるじゃない」
「やだぁ……友達なんだから頼み事してもいいでしょ」
媚びを売るような笑みを浮かべてはいるが瞳の奥は冷たく刺すように光っている。
「とっ…兎に角もう愛の言う事聞かないから」
早口で捨て台詞を言うと身体を翻して階段を下りようとした。
「待ちなさいよ!」
下りようとする相川真奈の手首を押さえ引っ張った。
「離して!」
「グズのくせになに生意気言ってんのよ!あんた見てるとホント苛々する!」
冷たい目が恐怖で震える目を覗き込みもみ合いが始まった。
逃げようともがく少女に、させまいと髪を引っ張る少女……2人の足もとには階段があり今にも踏み外しそうだった。
そして悲劇は起こった。
髪の毛や服を引っ張られながらも必死で逃れようと勢い良く手を振り払った瞬間階段側にいた私がバランスを崩した。
「危ない!」
私は叫びながら階段から落ちそうになる私に手を伸ばした。
「ダメだ」
ケイがその手を阻んだ。
「干渉してはいけない」
「でも!」
「ダメだ……ルールを守れ」
私は落ちていく姿を最後まで見る事はなかった。
気がつくと椅子がひとつ置いてあるだけの白い空間に戻っていた。
◆◆◆◆◆
アイは閉じられる扉を前に呆然としている……
危うくルールを破りそうだった。
助けようと伸ばした手を阻んだ瞬間のすがるような頼りなげな瞳は脳裏に焼きついている。
仕方ない……俺は番人なのだから……
可哀想だがあれがあの世界の愛の人生…侵入者が感情で動いてはならないのだ。
……可哀想?
俺は本当にそう思っているのだろうか?
何だか曖昧で取って付けたような感情に思う。
だいたいほんの少し覗いただけのパラレルワールド……あの後彼女たちがどうなるか知りもしないのに、可哀想と薄っぺらい言葉で嘆くのは違うのではないだろうか……
「ケイ……」
「うん?」
アイは疲れたようにその場に座り込み顔を伏せた。
「衝撃が少し強過ぎたかな?」
「あの後どうなったの?」
「さあ…わからない。……続きが見たい?」
「……いい、見ても仕方ないし」
「どうして?」
「そんな事ケイが言う?……1番わかっているくせに…」
俺は嬉しくなって微笑んだ。
「ほら、やっぱり……あの後どうなろうと私にはどうしようもない。
確かにショックはあったけど、ひとつのストーリーとして考えれば自分の別の人生が見れて面白かったよ。
ますます他のパラレルワールドにも行きたくなった」
立ち直りが早いな……それとも無理をしているのか?…いや、どちらでもない。
些細な事にいつまでも心を乱されない程パラレルワールドに魅了されているのだろう。
そう……ひとつのストーリーなのだ。テレビドラマを見て余韻を味わっても終わればそれまで……また来週って…次の展開に期待する……アイにとってそれと同じなのかも知れない。
「…ひとつ質問してもいいか?パラレルワールドの自分をどう思った?」
「どうって…そうだなぁ……心が壊れてる…かな」
「何故そう思う」
「いじめているから…」
「随分単純な答えだな…まぁいいさ」
単純と言われ少し嫌な顔をしたがそれ以上問う事はしてこなかった。
いじめ=心が壊れてる……間違いではない。しかし心が壊れる要因がどこにあるという事を知ろうともしない。
薄々わかっているのかも知れないが自分には関係ないと思っているのだろう。
……危険な事だ。
自分だってひとつ歯車が狂えばパラレルワールドの愛と同じ轍を踏む可能性がある事を自覚するべきなのに……
……憐れだ。
ふっと…笑いたくなった。
アイの事をとやかく言う俺自身もしかしたら憐れなのかも知れない…そう思ったら偉そうにしている自分が可笑しくて笑いたくなったのだ。
……ただ自覚がないだけで……おそらくヴォイスにそう見られている気がする。
自分でここに居たくて番人になったのに、今になって苦痛になりリアルワールドに帰りたいともがくなんて……何も分かっていなかった俺を憐れと嘆いているだろう。
俺が黙り込んでいる間アイはこの白い空間をウロウロしていたようだ。
「ねぇケイ……ここは何処まで続いているの?」
「わからない…随分前に歩いてみたが途切れる事はなかった……と言うより、途中で諦めたと言った方が正しいな。
今自分が何処に立っているのか、なにを目指して歩いているのか……途方もなく続く白い空間が恐ろしくなってやめた。そして、椅子のあるこの場所に戻ってきた時、ここに座った時、心の底から安堵したのを憶えている」
椅子に座った俺をとても不思議そうに見つめていた。
来たばかりでそんな感覚になる事がまだ分からないのだ……その内理解できるさ…アイ。
「……いつか歩いてみるといい」
足を組んで両の指を絡め俺は微笑んだ。
アイは白い空間の切れ間がないか目を凝らしているように見えた。