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ちらばる世界に何をみるか 〜私と俺のパラレルトリップ〜  作者: 有智 心
第9章 ∞ パラレルワールド ∞
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私と俺……そして番人

 いつもの様に扉から現れたアイ……どこかスッキリした表情で口元は笑みを薄っすら浮かべていた。

 特別容姿が悪いわけではないが決して美人とは言えない見かけだった。しかし目の前に立っているアイはいつもより美しく映った。

 決して他人には分からない何枚も心に重ねたベール…それを取り払ったのか?それで君を美しく見せているのだろうか?

 何があった。

 その微笑む口から一体どんな言葉を聞けるのだろう。

 楽しみだ……期待で俺の鼓動はいつもより軽快なステップを踏んでいる。でもそんな素振りは見せない。静かにゆったりと構え少し冷ややかな瞳を向け言葉を待つよ。


「来たよ」

「ようこそ無限に広がるパラレルワールドの入り口へ……」


 アイはクスリと笑う。


「何だか初めて此処に来た人に言うセリフみたいだね」

「そうか?」


 最初の君の登場はインパクトがあったよ…勢いよく扉から飛び出し潰れたカエルの様に滑稽で少しの間気絶していた。

 単純に可笑しくて笑わせてもらったな……


「…新鮮な気持ちになる」

「扉から現れたアイの姿がいつもと違うオーラを纏っていたからかもな」

「そんな風に見えた?」

「気のせいかもしれないがな…」


 肘掛に立てた右腕の手に顎を乗せ横目で見上げた。

 アイは首を傾げ小さく肩を上下させるとゆっくりと歩き出した。歩幅を狭く踏みしめるみたいに、そして下ろした視線は自分のつま先を見つめている。両腕は後ろに組んだり前で指を絡めたり落ち着きがない。

 たまに立ち止まり顔を上げると唇をキュッと締めて、そしてまた視線を下に歩き出す。

 見せられているこっちまで落ち着きがなくなってきそうだ。其れでも辛抱強く待った。


 どれ位その行動を繰り返していただろうか…今度は背を向けて白い空間を見上げ呼吸を整えるみたいに少し大袈裟に肩を上下させた。


「ケイ……」

「……」

「ケイ?」

「聞こえている」

「此処に……ケイみたいに私も居たいって言ったらどうする?」


 背を向けているアイからは俺の顔は見えない…俺はどんな顔をしているのだろう?鏡があったらいいのに残念だ。

 ただ口角が引き上がって頬の辺りがいつもと違う緊張をしているのは分かる。おそらく喜んでいる顔をしているんだ。


 ああぁ…また口角が上がる。

 ジワジワと身体が熱くなってくる…高揚感……久しぶりだこの感覚は心も細胞ひとつひとつが喜びに震えている。


 まだ振り向くなよ……まだこの感覚を味わっていたい。その決心をする時を待っていたんだから楽しませろよ。

 また口角が……このまま耳まで裂けてしまうのでは…と心配になる。もしかしたら悪魔の様な妖しく狡猾な笑みかも知れないな……


「ねぇ聞こえてる?」


 背を向けたまま顔だけこちらに向けた。

 俺は咄嗟に顔を伏せて笑みを引っ込めると真顔を作り視線を上げた。

 アイは眉をひそめている…何も答えない事に怒っている様だ。


「耳は良い方だ」

「じゃあなんか言ってよ」


 クルリと身体もこちらに向けると不満たっぷりの表情見せた。


「分かったよ…俺の様にって…それはパラレルワールドの番人に成りたいって事か?」

「番人とかそんな大層な者になりたいわけじゃないんだけど……でも、そう言う肩書きが必要なら其れでいい。…ウンザリなのリアルワールドで過ごすのは…」

「何故?」

「それは……」


 言いにくそうに口を締め視線を逸らした。


「…答えたくないなら無理しなくていいさ…」


 俺はあっさりと興味がなさそうな振りをする…そうした方が効果的に口を開かせると思うからだ。案の定アイは閉ざした口を小さく開いて話しだした。


「…………ケイは何となく察していると思うけど、リアルワールドは私に適応してない。

 ……何もかもが灰色に見えてつまらない。目の前で何か起きても虚しくて感動も喜びも感じなくて、そうしているうち私を無視して通り過ぎてしまうか、押し退け踏みつけて背を向ける。

 そんな世界に嫌気がさした…気がついたらそうなっていた」


 いいねぇ…そうこなくては……

 でも、通り過ぎてしまうのは、踏みつけ背を向けられるのは周囲のせいばかりだろうか…自分自身に非はないのか考えた事あるのかい…アイ。

 いや…考えるより前に見えてないのだ。今の言葉から簡単に想像がつく…自分の事ばかりだ。

 何故だろう…パラレルワールドではそこの住人たちや社会を思いやれる君なのにな……

 やはり現実に身を置く世界と、そうではない侵入者に過ぎない身とでは違うのか…

 所詮アイもまた通り過ぎていくだけの人間だ…どんなに感情や思いを表に出しても傷つけられる事はない。例えそんな事があっても一時的なものであって、其処を離れれば思い出の一つになるだけだ。


 ……パラレルトリップ。

 そう、ちょっと変わった旅行…いや…かなり変わった誰でも行ける訳じゃない旅行。

 縛りつけたり傷つけたりしない…深く関わる事もない。だから目の前に広がる異世界を興味本位で覗き楽しむだけ…其れが心地よく心が惹かれるんだ。


 俺は尋ねた…本当に此処で暮らしたいのかと、俺の様に成りたいのかと…アイは真剣な表情で頷き少し怖いくらいの視線を真っ直ぐに注いでいる。


「ただ白い空間が広がっているだけで、テレビも無けりゃ、本も何も無い…話し相手は気まぐれに現れるヴォイスだけだ。そんな場所に居たと本気で言っているのか?」

「無限のパラレルワールドがある。それさえ有れば何も要らない」

「寂しいとは思わないのか?」

「寂しい?冗談でしょ…それだったらリアルワールドの私の方がよっぽどそんな人間に見えるよ」

「寂しかったのか?」

「…まさか。居心地が悪いだけ」


 本当の自分を知ってもらえなくて、自分をさらけ出せなくて、周りの者は風が頬を掠るみたいな関わりだけで、その皮膚の下の感覚や感情に触れはしない…それに苛立ち孤立していく……其れは寂しいという事なんじゃないか?

 リアルワールドを悪く言うほど寂しいと言っているように聞こえる。しかしそんな事は認めないだろうな…寂しくて逃げて来たなんてプライドが邪魔をするだろうから……

 ……まあ、俺の知っている限りここに来た人間のほとんどはそんな奴ばかりだ。


「ねえ…ここに置いてくれる?」

「んんん……俺の決める事じゃない」

「えっ?あっ…ヴォイスか」


 俺はニヤリとして頷いた。

 アイは何だか不安そうな顔をして考え込むとまたウロウロし出す。

 ヴォイスが許してくれるか自信が無いようだな……番人を任せられる奴を待っていたのだから俺は歓迎する。

 ヴォイスは……おそらく…


「ねぇ、ヴォイスは許してくれると思う?」

「さあ…分からない」

「何か条件って有るの?」

「まぁ…な」

「教えてよ」


 勿体つける……困ったように考え込み焦らす。アイは自分では何か問題でも有るのか気が気でなく心配そうに俺の顔を伺うが、間の長さに少しづつ苛立ちを募らせていくのが見ていて可笑しかった。そして我慢できなくなり口を開きかけたと同時に俺は話し出す。


「覚悟だ」

「えっ?」

「……一生此処で番人をする覚悟があるかが大事だ」


 アイは胸を大きく上下させて頷いた。


「…一生と言っても此処は時の流れが成立していない様だから終わりのない一生に成るのもかもしれない。……アイは果てのない人生に耐えられるかい?……その覚悟がなければ無理だ」

「果てのない人生……」


 神妙な顔つきで言葉を繰り返した。


「とは言え、リアルワールドに戻れない訳ではない。ヴォイスにそう言えば快く許してくれるはずだ。

 但し!……その場合引き継いでくれる番人を探してからでなければ戻る事は認められない。此処を無人には出来ないからね。何故だか分かるか?」

「……何か問題が起きた時のため?」

「そうだ。……たまに迷い込んで来る人間がいる。何らかの歪みが生じて取り込まれやって来る者、アイみたいにトリップしていた人間を好奇心で追いかけ迷い込んで来る者とか…」

「ケイは私が此処に来る事を許してくれたけど、そうじゃない場合はどうするの?」

「記憶を消して元の世界に帰す」

「そんな力が与えられるの?」

「そうだ……他にも普通ではあり得ない事が出来る様になる。其れは一緒にトリップしていたから分かるだろ」

「うん」

「他にも有るが…其れは番人となればヴォイスが教えてくれる」

「……うん。他には?」

「後はルールを守れるかどうかだな…」


 アイは渋い顔をした。


「それチョット自信ない」

「何が自信がないのですか?」


 俺たちの会話の中に突然割って言って来た声にアイはビクリと首を引っ込めた。


 やっと登場か……

 分からないフリをして…


 ヴォイス、アイがとうとう決心してくれたぞ…こんな嬉しいことはない。




 ◆◆◆◆◆




 リアルワールドと決別する事を決め白い空間の扉を開けた。


 荷物は何もない…着替えもスマホも思い出のある物も何もかも置いてきた。2度と戻らない覚悟をしたのだからリアルワールドの品など必要がないから…そう思った。大して思い入れのある物なんて無いのが正直なところだけどね。


 私の人生の仕切り直しなんだ。

 リアルワールドと決別するという事はこれまでの私の人生と決別するという事。

 全て忘れ此処で、此処から自分らしく生きる…誰も私を型にはめたりしない、型にはまらず無限に散らばる世界を旅する。


 新たな自分の未来が色鮮やかに開けていくのに舞い上がった。

 しかし……そう簡単ではないって事を直ぐに思い知らされた。

 ケイさえ首を縦に振れば白い空間に居ることが出来る。

 …なんてお気楽に考えていたんだろう。

 ヴォイスの許可が要ると言われるし条件だって…ヴォイスとは気軽に話せるし嫌いじゃない。でも、得体が知れなくて全て見透かされているようで其れが怖く感じる。

 私の考えなど、覚悟なんて軽く笑い飛ばされ、自分の世界に帰れと言われそうで不安だ。


「ヴォイス、アイが話したい事があるってさ」

「アイから私に?…其れは何だか嬉しいですね…どんな話しですか?」


 ケイ!…ううぅ…余計な事を……まだ話す準備が出来てないのにぃ…


 眉を寄せて軽くケイを睨んだ。

 言い出しにくいの分かっていて振ったんだ…椅子にゆったりと足を組んで座り私を見上げる瞳が面白がっている。


「アイ、何でも話してください」


 私は静かに呼吸を整え姿の見えないヴォイスに向かって話した。


「……私、リアルワールドへはもう戻らない覚悟で今日ここに来たの」

「それは…」

「ケイみたいにずっと…この空間で過ごしたい。駄目かなぁ?」


 一気に話した…そうじゃないと言葉が詰まりそうで怖かった。


「……」


 ヴォイスは困っているのだろうか?姿が見えないから表情を読み取ったり出来ないのがもどかしい。


「……ケイはどうなのですか?」

「俺?……俺の決める事じゃない」

「そうですが、アイが番人に成っても構わないと思っているのですか?…受け入れるのですか?」

「そうしたいなら…良いんじゃない。俺は……歓迎するよ」


 少し驚いた。歓迎するなんてケイの口から聞けるとは思わなかった。

 ……他人から…家族からさえも認めて貰えなかった私は初めて存在を認めて貰えたのだと…嬉しかった。

 柄じゃないし絶対やらないけどケイに駆け寄ってバグしたい気持ちだ。もしそんな行動をしたらケイもビックリするに違いない。目を白黒させ一瞬の戸惑いから凄く迷惑そうな表情をするはずだ。見てみたい気もするけど……


 ちょっとは照れるかなぁ?

 想像してみたけど無理だった。

 ……其れはないわね。


「アイ……アイ?」


 意外な言葉に思考を持っていかれ肝心な話しが進んでいなかった。

 ヴォイスの呼ぶ声で切り替えた。


「……アイの番人をケイも歓迎すると言っているので、私は構いませんよ」

「へ?」


 掠れた間抜けな声をあげた。我ながら笑える変な声を出したと思う…でも…まさかこんなに簡単に許してもらえるとは思っていなかったのだから仕方ない。

 もっと…ケイみたいに覚悟だとか、条件やルールと細かく聞かれ、答えによってヴォイスに不合格を突きつけられるのではと不安だったのに……答えの知っている数式問題をアッサリ解答してしまうみたいで…私の方がこんなに簡単に決めて良いのかと聞きたくなってしまう。


「どうしたのですか?釈然としない表情をして……」


 ケイが声も立てずに身体を小刻みに揺らしながら笑い、〝拍子抜けしたんだろ″と軽い調子で言った。


「拍子抜け……ですか…何故?」

「何故って…ヴォイスが何も聞かないからさ。もっと質問責めされると思っていたんだろ」

「そうなのですかアイ」

「うん。……こっちはなんて言ったら認めてもらえるか不安だったのに簡単にOKするから…肩透かしくらったというか、うん…拍子抜けした」

「それは…期待に応えられず申し訳ありません」

「いや…謝られても困る」

「ふふふ…ケイが了承しているのなら何もいう事は無いのです。ここの管理は任せているので新しい番人を認めるならば私はそれを尊重するだけです」

「本当にいいの?」

「ええ、私もアイなら立派に番人の務めを果たせると思いますし…問題は何もありません」


 私はホッとして口元が緩むのを感じた。ダラシなく笑って見えるかなぁ?

 まあいいや…だって嬉しいのだからどう見えたって構わない。


「それで…いつ番人を交代しますか?」

「俺は今すぐでもいいけど」


 えっ?…番人を交代?

 交代って…ケイは番人を降りるって事?


「ちょっと待って…それどういう意味?」

「言葉通りの意味だ」


 ケイは妖しい笑みを向けそしてとてもスマートにすっくと立ち上がり私に近づき顔を寄せた。


「……アイが番人になるという事は俺の引退を意味する。……つまり……」

「つまり…」

「此処を出て行くって事さ」


 ケイの瞳が妖しくひかりアルカイックな笑みを見せた。

 背筋が一瞬寒くなり身を縮めた。深く黒光りする瞳の奥に得体の知れない何かが蠢いているような…それは今まで見せた事のない別の顔をしたケイのように思え怖くなって一歩身体を引いた。

 そして私の怯えを感じ取ったのか、ケイはほんの少し悲しそうな顔をして離れると、何かを払うかのように右手を動かし、また椅子に座ると再びアルカイックな笑みを見せた。


「俺は此処から去る……番人は1人。そういうルール…だよなヴォイス」

「その通りです」

「ヤダよ……一緒にパラレルトリップするのが楽しかったのに…そんな…1人じゃ私…」

「自信がないとか寂しいとか言うなよ……言ったはずだ…此処には何も無いし話す相手は気まぐれに現れるヴォイスだけだと…アイはそれでも良い無限に広がるパラレルワールドがあれば良いと…そう俺にはっきりと宣言したんだ」

「それはそうだけど…ケイが出て行くなんて考えてもいなかったから…番人は1人だけなんてルール知らなかったし……私がケイを追い出すの?」

「……」

「…ヴォイス!……ヴォイスがいいと言えばケイも居られるんじゃない?」

「バカな…」


 駄々をこねる子供のような私を見て呆れた笑いを浮かべた。

 どんな顔をされても簡単に理解なんて出来ないよ。

 私は白い空間に向かってヴォイスを呼んだ……願いを込めて、心の中で祈りながら……


「アイ…残念ですがその願いは叶えてあげる事は出来ません」

「どうして!」

「この世界の決め事です」

「ヴォイスが決めた事なら変える事も出来るじゃない」

「私…私が決めた事なんでしょうかね…」

「なに言ってるの?」

「私は私であって私では無いのです」

「訳の分からない事を…そんな言葉が聞きたいんじゃない!」


 私はヒステリックに声を荒げた。こんな風に感情を剥き出しにするのはいつ以来だろう?

 …憶えてない。もしかしたら1度も無いかも知れない。


「アイいい加減にしろ…ルールがあって世界が均衡を保てていることを理解するんだ」


 低く落ち着いた声で諭すケイの表情を見ていると、どんなに駄々を捏ねてもルールを覆す事は到底無理な様に思えてくる。

 …では番人になる事をやめて今まで通り好きな時に此処へ来てパラレルトリップをすればいい。しかしそれではもう我慢が出来なくなっている……戻らないと決別して来た。


 どうしたらいいの?


「そんなに悩む必要はない……自分の思う通りにすればいいんだ」

「でも…」

「全てを捨てる覚悟をして此処へ来たんだろ…ならば俺の存在も捨てろ」

「でも…でも…ケイがいたから、出会えたから自分を解き放つ事が出来たんだよ。捨てるなんて無理」


 ケイは深く息を吐いた。

 どうにもならない事にジタバタしている私に呆れているんだ。


「……仕方ないな…俺が居なくなる事に罪悪を感じる必要は無いんだ。……俺自身此処を離れたいと切望しているんだから」


 耳を疑った。


 此処を離れたい?……切望って…どういう事なの…


 訳がわからない。

 頭の中でグルグルと言葉だけが動き回りさっぱり脳みそが活動しない。


「……なんだ?思考停止か?」

「……」

「アイが此処へ来る前から考えていた。俺は帰りたいんだ…自分のリアルワールドへ」


 私に大きな目をジッと…身体を貫かれるのではないかと思う程強く真っ直ぐな視線だった。




 ◆◆◆◆◆




 此処にとどまる事を決意して、許してもらえるか不安を持ちながら俺とヴォイスに話し、了解を得てホッとしたのも束の間…番人は1人だけでと聞かされ大きな誤算に戸惑い揺れ動くアイの気持ちを俺は更に大きくさせてしまっている。


 呆然と言っていいのだろうか…思考も身体機能も一時停止中……

 しかしあくまで一時停止でしかない。

 最初に動き出したのは口…水面に浮かんだ餌を食べる魚みたいにパクパクと動かしてはいるがまともに声は出ていない。


「アイ…落ち着いてください」


 ヴォイスの優しい声にアイは大きく頷き、それから考えを整理するかの様に何度か小さく頷いた。


「……どうして?」

「ん……郷愁かな……未だに自分のリアルワールドがどんな所なのか思い出せないが、だからこそ俺はそこへ帰りたいんだ。ハッキリしないから固執して生まれた場所を知りたいと思った」


 アイがそれは怖くないのかと眉根を寄せながら聞いてきた。

 確かに…どんな生き方をしていたのか、どんな人間だったのか知らない事は怖い。

 この空間に迷い込んで住み着いてしまっている事実から、余程リアルワールドで生きる事が苦痛だったのだろうとは想像はつく……ここへ来る奴は皆んなそうだ。


 ……それでも


「それでも帰りたいんだ」

「……私はケイと一緒に此れからもパラレルトリップしたい」

「それは……無理だ。アイが番人に成ってくれることで俺は此処から解放される」

「じゃあ……番人に成らない」


 不貞腐れた子供みたいな表情……そんな顔をしても俺の気持ちは変わらないし、アイだって口では番人に成らないと言うが本心じゃない事くらいわかる。


「そうか…では戻ってつまらない…灰色の毎日を送るといいさ……アイの部屋とを繋ぐ扉は閉じることにする」

「えっ?ちっ、ちょっと待って!」

「俺の代わりは他を探す」

「何でそうなるの?」

「後継者に成らない人間をいつまでも出入りさせるわけにはいかない。俺にとって意味もメリットも無い事だ。……残念だよ…アイはこの空間を楽しみ生きていける人間だと思っていたのに…仕方ないな俺の存在にこだわるのならこの話しは終わりだ」

「待って!…勝手に終わらせないでよ」


 さあどうする?

 2人が番人でいることは許されない。

 君か俺、どちらか1人だ。


「…どうしても駄目なの?」

「くどい」


 冷たく言い放つ俺を恨めしそうに見つめている。


「何のために此処へ来た…俺なんかどうでもいいだろ?…自分が1番どうしたいか其れが重要だ」

「……」

「もう一度聞く。自分の生まれた世界を捨て何故此処へ来たんだ」

「……くだらなくて、つまらなくて…私の心を隅の方へ追いやる世界に嫌気がさしたから…生きているけど死んだ様な自分に納得いかなくて…此処は私を否定しない。たくさん刺激をくれて生きている実感があって…だから来た」


 アイの霞んでいた瞳が徐々に輝きを取り戻す。


「俺の存在に縛られるな、全ては自分の為に自由になるんだ。自分らしくいられるチャンスが目の前にある…それを逃すのは愚かな人間のすることだ」


 何もない…何処までも白く広がっている区切りのない果てない世界…其れを見回しふっと息を吐くアイ。


「……私は此処で…1人で…やっていける?」

「その資質を見抜いていたからパラレルワールドを案内したんだ。そうじゃなければ直ぐに記憶を消して追い返していたさ…」

「この白い空間が私だけの居場所になる。

 ……誰にも縛られないで自由に、解放された心は何処へでも行ける」

「そうだ…此処はアイが支配する永遠の居場所さ…君はこの世界に選ばれた人間なんだ」

「選ばれた人間」


 俺の言葉はまるで悪魔の囁きみたいだな…其れともアダムとイブを唆した蛇……魅惑的な言葉で心をくすぐり人間の弱さにつけ込み惑わす。…でも其れは君が踏み出す為のひと雫のエッセンス…溢れる思いを解き放つといい。


「この世界に愛されたアイは無限のパラレルワールドをその手に掴むんだ」


 見開かれた瞳に何を映しているんだろうか……パラレルワールドを飛びまわる自分の姿…暗く澱んだ表情から晴れ晴れと顔を輝かせている自分…


 空を見つめていた瞳が俺の姿を捉える。


 ほんの少し唇が動いた…微笑んでいる。


 俺も微笑んだ。







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