背中あわせ……見つめる先
……あれから1週間扉は閉ざされたままで、私はリアルワールドで落ち着きなく、時に腹を立てつまらない日々を過ごしていた。
其れでも自分の世界にいる限り夏休みの課題は終わらせなくては成らないので、強制的に机の前に座り膨大なプリントやワークブックに悪戦苦闘しながらなんとか終わらせた。そして積み上げられた課題を見て夏休みもあと少しで終わってしまうなとしみじみ思った。
ケイと出会って今年の夏は有意義な時間を過ごせると意気揚々としていた夏の初めが遥か遠くに感じて、現在の状況に肩を落としてしまう。
この1週間姿鏡に触れ1ミリたりとも向こう側に踏み入ることが出来ないなんて……ケイは何をしているんだろう。
まさかまた気を失ってそのままだとか?
……幾らなんでも其れはないかな。
きっとヴォイスが起こしてくれるはず…でもいつ現れる分からないのにそんな期待をしていいのだろうか?
じゃあどうする?……どうしようもない。
私は鏡を通って会いに行く事しかケイに連絡をとる手段を何も持っていない事にあらためて違う世界の住人なのだと思い知らされ、寂しさにも似た感情が湧き窓の外に広がる夏の青空とは逆に気持ちはどんよりと曇っていた。
電話もメールもない……何でもありみたいな空間なのになんで無いのよ。
自分の姿が映る姿鏡に手を当てる……やはり向こう側には行けない。
私はペタリと座り込みうなだれると身体を前後させ後頭部を鏡に何度も押し当てた。
「愛、あのさ…………何してんの?」
姉が突然ドアから顔を出した。
ノックくらいしてよ……
私は鏡に後頭部を押し当てたままチラリと姉を睨んだ。
「何の用?」
「え、ああ…ドライヤー貸して私の調子悪いのよ」
私はドレッサーを指差した。
姉は気味の悪いものでも見るみたいに私を眺め目的の物を手にすると何か言いたそうにしている。
「他に用がないなら早く出て行ってよ」
「…じゃあ、借りるわね。……愛、あの…」
「話す気分じゃない」
姉は眉間に皺を寄せツンとして出て行く。今は姉のそんな態度に腹も立たない…それどころではないのだ。
このまま2度と向こう側に行けなくなったらと思うとゾッとする。
こんな居心地の悪い小さな世界に閉じ込められるのは御免だ。もっと色んなパラレルワールドの自分を見たい……他の人のも……
自分に相応しい世界を見つけ出し、そこで暮らしたいと思っている?…………そうじゃない…そんな事は出来ないって十分理解している。
それに相応しい場所はもう見つけてある。ケイが住む世界だ……家族にも学校にも縛られず私らしくいられる唯一の場所…あそこが1番居心地がいい。
だから早くあの不思議な白い空間に戻りたい……
ケイ……これで終わりって事ないよね。
偶然なのか意図的だったのなんてどうでもいい、あんな世界が在るなんて知れたこと…パラレルトリップ出来ることが、これ迄リアルワールドの隅で小さく膝を抱え、何もかもが敵に見えて周りを睨めつけていた自分が、世界の中心で立って居られる最高の場所……取り上げないで……
私は顔を上げ鏡に映る自分を見つめ手を押し当てる。すると鏡の中へ上体の半分がのみ込まれた……なんの違和感もなく当たり前のようにスゥーと……
……えっ!
二本の足が目の前にあって其れを辿るように見上げると、ケイが表情のない顔をして両手をポケットに突っ込み私を見下ろしていた。
そして腰を下ろし顔を私に近づけるとクシャとした笑顔を見せた。
「よっ!久しぶり……って言っていいのか?」
「ケイ!!」
「ウワッ!」
私は嬉しくて勢い良く抱きついたものだから後ろへ2人で倒れ込んでしまった。
◆◆◆◆◆
どうやらアイの世界からすると1週間も扉を閉ざしていたみたいで、そんなに経っていたなんて驚きだった。
アイには恨み言を散々言われ、途中飽きてしまい適当に流して聞いていると、真面目に聞けと怒られ更にヒートアップして顔を真っ赤にして永遠に口が動き続けるんじゃないかと思ったりした。
其れでも次から次へとでる恨み言もいい加減尽きたのか、それとも喋る事に疲れたのかわからないが鼻息と溜息を同時に漏らしその場に座り込んだ。
「仕方ないだろ……此処は時間の流れが分からないのだから」
「だとしても……だからこそ扉を閉じることないじゃない。どれだけ」
「色んな意味で心配させたのは悪かったよ……これでいいだろ」
アイは自分の言葉にかぶせる様に俺が口を挟み終わらせようとするのが面白くないのか目を細めている。
「……いいわ……それで扉を閉じている間何してたの?」
俺は椅子のアーム部分に頬杖をついて軽く目を伏せた。
「聞く権利あるよね……」
「権利ねぇ……」
何の権利か分からないが、当然といった顔つきで俺を見ている。その態度がちょっと気に入らず視線を外した。
「……絶対答えてもらうからね」
やれやれ面倒だなぁ……
ウザいくらいこちらをジッと見ている……
「……アイが休めって言ったから大人しくしてたんだ。さっきも言ったが此処では時間の感覚が分からない…そんなに扉を閉じていたなんて気がつかなかったんだよ」
嘘だった…………
実は久しぶりに自分のパラレルワールドにトリップしていた。
酷い頭痛とその度に頭に飛び込んでくる奇妙な画像が何なのか知りたくて……そのヒントがパラレルワールドにあるんじゃないかと思った。……本当はリアルワールドに戻ればハッキリするのだろうが、その世界がどこなのか分からない為片っ端にトリップした。
或いはリアルワールドが……なんて希望的観測もあった。
だがそんな考えはこっぱ微塵に砕かれ何の収穫も無く脱力感だけが残った。
……俺はどこから来て何処へ帰ればいいのだ。
椅子に座りそんな言葉を頭の中で何度も繰り返し巡らしているうち、もしかしたら番人になった事で自分の世界が記憶から消滅したのではないかという考えに至った。
元々リアルワールドを嫌ってとどまる事を決めたのだ……もう不要な世界…戻る事などないと……ならば、どんなに願っても戻る事は叶わないのかも知れない。
しかし、俺の前の番人は戻って行った。
どうして出来たのか……
後釜を用意しなくては成らないのかも知れない……前の奴が俺を番人にした様に俺も……
新しい番人が決まれば自然と記憶も戻り帰れるのだ。
俺はそう結論付けた。
「……大人しくしてたなんて嘘っぽいんだけど」
アイは少しイラついたみたいな口ぶりで胡散臭そうに俺を見ながら言った。
「信じるかどうかはアイの勝手だ」
「なによその開き直った態度」
「……」
「はぁ……いつものことか……ヴォイスを肝心な事はハッキリ答えないって言うけどケイも一緒よね」
「そりゃどうも」
俺はとびきりの笑顔をわざと見せた……アイにはひねくれた笑顔に見えただろう…そう思わせる渋い表情をしていた。
「……兎に角、もうこんな事のない様にしてよね。1週間地獄だったよ」
「……そんなにリアルワールドが嫌なのか?」
「当たり前だよ……あそこは何も刺激を与えてくれない…私はあの世界の不適合者なんだと思う」
「……与えてくれる世界だけがアイの相応しい居場所なのか?」
「えっ?」
アイは何を問われているのかピンとこないのだろうほんの少し首をかしげ不思議そうな表情をしている。
俺はというと馬鹿な質問をしてしまったとアイから視線を外し苦笑いした。
……ここに来る者は皆んな似た様な理由なのに、俺自身もおそらくそうである様に……
不満ばかりを声高く並べ立て本質を理解しないままこの空間に魅入られ、そして気づいた時には自由という名の孤独に囚われリアルワールドに思いを馳せる。
人は無いものを欲しがる自分勝手な生き物……そして此処へ足を踏み入れる者はそんな人間の究極系なのだ。
そんな人間しか此処へは辿り着けない……と言うより迎え入れて貰えないと言った方が正しいだろう。
「……何でもかんでも欲しいってわけじゃない…与えて貰えないからって言って駄々をこねる程ガキじゃないし……周りの勝手な思いや考えで理不尽に扱われるのが腹立たしいの……心縛られて色褪せる世界は私を拒み生き埋めにして平然と笑う。
……ただ……欲しいのは……」
「欲しいものは?……アイが与えて欲しいものってなんなんだ」
「……存在する自由…………」
か細くとても頼りない声だった。
アイが与えて欲しいもの…存在する自由……
其れが無いから刺激も感じられず色褪せる世界。自分が堪らなく嫌なんだろう。
しかし……アイが思う程周りは縛りつけているのだろうか?もしかしたら自分自身が心を縛り不自由にしているのでは無いのかと考えが頭をよぎる。
全ては自分の気持ちひとつで周りの景色が一変するのではないかと……しかしそんなアドバイスは俺から言うのは憚れる。
偉そうに言えるほど俺自身もリアルワールドを生きていなかったと思えるからだ。
〝心は自由……私の心は誰も縛れない″
そう言い切ったパラレルワールドの愛を思い出した。
力強い瞳と笑顔……
そして後からコッソリと覗いた時の愛の淀んだ沼のような瞳……誰しも全て上手くいくことはない。それでもそこで生きていくしかないから前に進もうとする……どんなに傷を負ってもだ。
アイもこれまでそうやって生きてきた。ただ進むのではなくそこで立ち止りうずくまって理不尽な世界を睨みつけ、自分は不適合者、この世界は居るべき場所ではないと心で叫びながら……自分で自分を縛り世界を小さくしている可哀相な少女。
アイは自分の言葉で黙り込んだ俺に不安を感じたのか、何か言って欲しそうな目をしていた。
「……此処にはその自由があると?」
「ある……此処は私を拒まない。ケイは口うるさい時あるけど決して私を否定しないでいてくれるしヴォイスも興味深い。そしてパラレルトリップ……色褪せてモノクロの世界から色鮮やかな刺激的な世界へ……」
「アイの心を解放してくれる……」
「解放……そう!解放してくれる…私は自由でいられる」
まるで高らかに勝利宣言する政治家の様に誇らしげで堂々と、これから進む道に確信を持って歩む自分に陶酔した表情を見せている。
「じゃあ楽しまなくてはな」
いたずらでも思いついたみたいにニヤリとしてアイを見つめた。
彼女も笑顔でかえす。
俺も楽しいよ……来るべきその日が近づいているのを感じる。
俺とアイは出会った時から背中合わせで向いている方向が真逆の場所を渇望していた。
お互いそこにどんな事が待っているのか確かなことは何もわからないのに恋焦がれ其れを手に入れる為進むことを止める事はない。
…………それでいい。




