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閉ざされた扉

 珍しく声をあげお腹を抱えて笑っている。こんなに大きくリアクションして笑う姿を初めて見た。

 大きな瞳を細め口をこれでもかってくらい開き、かと思うと真横にひき伸ばし引きつった笑いをする。いつも澄まして座っている椅子は足をバタつかせ身体をよじらせるのでその度に小さな悲鳴のような音を立てていた。


 ……そんなに笑わなくてもいいじゃない。


「笑い事じゃないよ!本当恐ろしかったんだから!」


 私の不貞腐れた表情を見て反省?…したのかは疑問だけど、派手な笑いは引っ込め小刻みに肩を震わせる笑いに変わった。


「クックク…で、俺はどんな風に顔が崩れて醜くなったんだ?」

「んんん〜ハッキリ記憶してない…してても多分説明できないと思うけどね」


 私は昨日見た夢の話しをしていた…ほとんど記憶は薄れ印象的だった部分しか憶えていないので、話のつじつまは全く合わずさっぱり訳が分からない話になっている。

 まあ、夢って大概そんなものかもしれないけど……でもパニクって布団をかぶっていた時、ケイの声を聞いて安心したのに其れを裏切るみたいにあんな事言って…………?

 あれっ……なんて言ったんだったかなぁ……思い出せない。喉に言葉が突っかかって出てこない…気持ち悪い。

 やっぱり夢は夢なんだなぁ……


 ……とにかくケイの顔が酷く崩れて怖かったった事だけはちゃんと憶えている。


「なんだ憶えてないのか?情けないなぁ……」

「夢だもん…ケイだってそうでしょ」


 私は口を尖らせてケイに視線を向けた。


「俺?……俺は夢なんて見ない。……ここでは眠るって事がないからな」

「ごめん……」


 なんだかとても怖い顔をして私を見て其れからソッポを向いてしまったので思わず謝った。


 ……眠ることがないってどんな感じなんだろう?身体も脳も休めないなんて辛くないのかなぁ?


「……ねぇ、眠くなった事はないの?」

「はあ?……ない」

「今まで1度も?」

「ないね」

「ふう〜ん……」

「なんだ……疑っているのか?何なら俺になってみるか?」

「え?どういう事」


 ケイは妖しい笑みを浮かべ舌舐めずりした。


「アイが俺の代わりにここの番人になるって事だよ」

「そんなこと……」


 冗談で言っているのだと分かっている……でも、驚きと一緒に心くすぐる言葉だった。

 私がこの空間の番人になる……考えてもなかった。

 本当にそんな事が出来たら……面白い!

 私に冷たい居心地の悪いリアルワールドを離れ、たくさんの刺激と充実感を味あわせてくれるパラレルワールドに行き放題になる。


 自然と顔がニヤけた。


「まんざらじゃないって顔だな」

「え…ああ……面白そうだけど冗談でしょ……やめてよねからかうのは」


 今ケイが座っている椅子にゆったりと腰を下ろしている自分を想像をしたけど、その椅子を譲るわけがない……妄想を振り払い笑い飛ばした。


 ケイは変わらず妖しい笑みを浮かべている。

 なに?その顔……なんか意味があるの?……どうせ面白がって思わせぶりな態度をしてからかっているのね。

 ホント…性格悪い奴。


 …………でも、本当にそんな事が出来たらいいなぁ


 ケイが何かボソボソと言った。

 独り言のようでなんと言ったのか聞こえない……ちょっと気になる。




 ◆◆◆◆◆




 アイは秘密の宝物をコッソリと眺め悦に入ってる様な表情をしている。

 とてもいい顔だよ。

 ……魅惑的な妄想がそうさせているんだな…

 でも妄想だけで満足するのか?

 現実にする舞台は整っている……その中央に立つかどうかだけだ。


「アイの決断次第で更に世界が広がるよ……」


 俺の声は耳に届かなかった様だ……ボソボソとした言葉が気になるみたいで此方を覗き見している。


「……ねえ…………」


 アイはそう言ったきり黙り込んでいる。

 焦ったくなったが息を小さく吐くと視線を外し横を向いた。


「……」


 沈黙する2人の間にちょっとした緊張感が漂い空気をヒンヤリとしている感じがする。


「……もしかしたら前に聞いたことあるかもしれないけど……」


 指を組んでアイに身体を向き直し首を傾げ次の言葉を待った。


「ケイは、どうしてこの世界の番人になったの?」


 その話しか……


 俺は椅子を回転させ背を向けた……こんな態度は話す事を拒んでいる様に見えるかもしれないがそうではない。


 何故なのか記憶が曖昧で……ハッキリしない……戸惑う姿を見せたくないのだ。


「……話したくないならいいけど」

「いや……そうじゃないが……」


 ここに来る前の自分のリアルワールドがどんな世界だったのか、どんな生活をしていたのか、家族は?……愛する人は、仕事は何をしていたのか……何ひとつとして明確な記憶が頭の中に存在していないのだ。

 そもそもケイと言う名を名乗っているが、本当にそんな名前なのかさえ怪しい。


 どんな経緯でここへ辿り着いたのか……これはもう想像でしかないが、おそらくアイの様にリアルワールドに不満を持ち、相応しくない世界に嫌気がさし刺激を求めてここへ辿り着いたのだろう。


 なのに今はその場所へ戻りたいと願っているなんて笑ってしまう。

 どんな世界なのか分からないのに帰りたいだなんてどうして思ってしまうのか……

 独りでいる事が辛くなった…パラレルワールドに興味を失った……其れとも記憶が曖昧な分リアルワールドに期待をしているのか?

 ……全て当てはまるのかもしれない。


 独りが嫌ならこのままアイと一緒にいつまでもパラレルトリップをすればいい。

 彼女と2人ならマンネリした今の状態が幾らかは楽しくなるはず……実際トリップしてそう感じているのだから……


 ダメだ……やはり戻りたいという欲求の方が勝る。


 本来存在すべき自分の世界に期待しているんだ。

 戻れば誰かが自分を迎えてくれる。そんな相手が必ずいると……恋しいんだ…人が、温かな空間が……もう此処で自由という孤独と向き合うのに疲れたのだ。


 心地のいい椅子だけが置かれ他は何もない白い空間は様々な刺激、興奮、優越感を与えてくれたが、其れはいっときの麻薬の様でまた次を渇望しその繰り返し……結局満たされる事なくただ永遠と続いて行くだけ……


 自分は特別な人間だと満足し、無限に広がるパラレルワールドに魅了され心躍らせ、狂ったようにのめり込んだ自分が今は滑稽に思えて仕方がない。


「……ケイ?」


 ああ……随分と黙り込んでしまったようだ。アイがなんだか申し訳なさそうに此方を見ている。


「番人になった理由だったな……情けないがハッキリ憶えてない……多分リアルワールドが嫌いだったのさ。小さなつまらない世界に縛られるより無限にあるパラレルワールドを自由にトリップしたかった。

 そんな単純な理由だと思う……アイと似たようなもんだ」


 眉をひそめてからアイは目を細め口を横にひん曲げ少し怖い顔つきに変わった。


「……私が此処に来た理由をどうしてそう言いきるの?言ったことないよね」

「ああ……そうか?」

「そうだよ。……もしかして、たまたま私が此処へ迷い込んだんじゃなくて、私を此処へ来させる為に学校に現れたんじゃないの?」

「まさか」

「リアルワールドでつまらなそうな私の映像を見て、こいつならホイホイ着いて来るって思って…其れで」

「自惚れるなよ。お前だけが特別なわけじゃない。…………ふん……まあ、偶然なのか意図的であったのかは別にして、来れて良かっただろ?」

「誤魔化してる」

「じゃあ、こんな世界知らない方が良かったのか?」

「そうは言ってない!」

「なら偶然なのか意図的なのかどうでもいいだろ……俺が番人になった理由も記憶がハッキリしないのはそういう事なんだよ……多分くだらないどうでもいい理由だから憶えてないのさ」

「そんなもの?」

「……そんなものだ。記憶なんて時間が経てば経つ程薄れていくし、ちょっとした事で他の記憶と差し代わったりもする元々あやふやなものさ」


 なんか強がって言っているように自分で感じる。


「……それでも…記憶がハッキリしないのってなんか……気持ち悪いって言うか、自分が何者なのか分からないって事よね。其れって少し哀しい……」


 アイは自分がそうであるかの様に哀しい顔をした。


 ……俺は哀しいのか?

 だから戻りたいと願うのだろうか?


 アイが言うように自分の起源がわからないのは俺を苛つかせる……最初の頃はそんな事はなかったのにな、いつからか記憶を掘り起こそうともがきだした。

 ああ……戻りたい理由は其れもあるのか……リアルワールドに帰れば必然的に記憶が蘇るはずだと……


 頭にまた意味のわからない画像が飛び込んでくる。


 痛い……

 俺は両手で頭を押さえた。


「ケイ?どうしたの…頭が痛むの?」


 なんでもないと言おうとアイを見上げると同時にシャッターを切るような音が脳みそを刺激してまた画像が飛び込んできた。

 其れは誰かが人を抱え上げている後ろ姿で、悲しみと強い怒りを感じた。


 俺は更に強く頭を押さえつけ怒りを吐き出すような声を張り上げた。


「うああああぁぁ!!」

「ケイ!」


 そしてそのまま気を失った。




 ◆◆◆◆◆




 暗い空に飛び散る水?

 暗闇の中に一点の光る何か……

 狂気を思わせる見開かれた片目。

 パソコンを操作する指……誰かの頬を愛おしそうに触れる優しい手。

 頬に伝う涙……笑う口……

 暗闇に横たわる誰か……


 そんな断片的な画像が頭の中を巡る。

 何を意味しているのか分からない……誰の手なのか頬なのか口なのか……なのん繋がりも感じない画像が何故頭の中に飛び込んでくるんだ。その度に痛みが襲い苦しくなる頭も心も……


 どうしてこんな状態に陥るのかヴォイスに聞いてみたが、自分は夢を見ないから分からないと言うだけで、答えは得られなかった。


 いつまで続くのか……溜息をつく。


 そういえば俺は声を張り上げてからどうしたんだ?

 今頃だが真っ暗だ……目を閉じているのか?

 気を失った?


 目を開ける動作をしてみよう。


 …………なんだいつもの白い空間。


 …………じゃない。

 ……俺は浮かんでいる。


「さようならです」


 ヴォイスじゃない誰かの声が耳に響いた……途端に俺は落ちていった。




 ◆◆◆◆◆




 俺はいつもの椅子の上にいた。

 背もたれを倒した状態で横たわるみたいに……


「ケイ……大丈夫?」


 ゆっくりと視線を声の主の方へ向けた。

 アイの心配そうな顔が瞳に飛び込んできた。


「俺は……どうしたんだ」

「憶えてないの?」

「……頭が痛んで…それから……」

「大声を上げて…それで気を失ったんだよ」

「……ああ……そうだった」

「驚いた……」

「だよな、所でどれ位気を失っていた?」

「ん……多分10分くらい?かな」

「そっか…」


 頭の痛みは……もう…ない。ただ少し身体が怠いだけだ。

 俺は上体を起こしてみた……大丈夫問題ない。


「どうしちゃったの?」

「……落ちた……」

「え、落ちた?」

「いや…何でもない。驚かせて悪かった……前のめりに倒れたと思うんだが、アイが此処に移動させたのか?」

「他に誰がいるのよ」

「其れもそうだな……馬鹿な事を聞いたな…すまなかった」


 少し無理して笑って見せたが、其れでもアイの表情は曇っていて不安そうだった。

 この俺が高校生の少女に心配されるなんて情けないな……


「もう大丈夫……でも、トリップは控えることにする」

「うん」

「アイはリアルワールドに帰るといい」

「え、でも…もう少しここに居るよ」

「そんなに心配するな……其れに1人になりたいんだ。……悪いな」


 眉を少し顰めキュッと口を結んでいる。

 怒ったかな?


「……わかった。……ちゃんと休んでよ…ってケイは眠らないからどう言ったらいいのか分からないけど、大人しくしてなさいね」


 まるで母親が小さな子供に言い聞かせるみたいにキッパリとしたでも優しい言い方をしたので思わず笑みがこぼれた。


「何で笑うの?」

「いや…大人しくしてるよ」


 こんな風に言われたら逆らえない。


 扉を出した……アイは閉じられまで俺の方を心配そうに見つめていた。


 手をスライドさせ扉をしまう……当たり前だが1人になった空間は音もなくとても静かだった。


 背もたれに身体を預け力を抜く…このまま眠りにつければ楽なのだが眠気など襲ってくる筈もなく……まあ、寝たら寝たであの忌々しい夢を見せられるのは御免だが……しかしよくこんな世界に長い間とどまっていたものだと感心してしまう。


 番人になった時こんな思いに陥るとは考えもしなかったのにな…今のアイのみたいに様々な世界を体験できる事に興奮し、特別な自分が世界の王にでもなったかの様に勘違いして……なんて傲慢で愚かな……そんな人々をパラレルワールドで何人も見てきたのに、気がつけば自分がその中の1人であったなんて虫唾が走るどころか呆れて大笑いだ。


 そしてそんな気持ちにさせてしまう番人の仕事をアイに引き渡そうとしている……クズだな。

 勿論彼女が俺みたいになるとは限らないのだが、特別な人間だとは思うだろうな。

 そう思わせる程ここは魅力的で心躍る世界なのだ。


 ふっと…気を失っていた時に聞いた声を思い出した……〝さようならです″…あれは誰の声だったのだろうか?

 ヴォイスでもアイでもない知らない声……いや…何処かで聞いたことがあるような…何故か懐かしくそして冷ややかな声だった。


 自分のことが分からないとは……何処にも存在しない自分が何処にも存在しない世界で彷徨っているみたいだ。




 ◆◆◆◆◆




 自分の部屋に帰って来たもものケイが心配で、ウザいと思われるのを覚悟で戻ろうと姿鏡に手を触れた。


「……ん?」


 鏡の向こうに行けない……もう1度、今度は強く手を押し付けてみた。

 結果は同じ……力が強くて鏡が倒れそうになって慌てただけ…どうやらケイが向こうで扉を閉じてしまったみたいだ。


 私は進むべき道を閉ざされた子供みたいに不安で落ち着かなかった。


 別れ際は笑みを浮かべていたけど、あれは強がって見せていただけに思う。

 ケイに何が起こっているんだろう……でも今はどうしようもない。


 ……明日にしよう。





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