特別な少年
此処は都内のどの辺なのか……郊外の住宅街であることに違いないと思うけど全然見当がつかない。
リアルワールドの街と全く別の場所だという事だけははっきり分かるが……其れとも何処か地方だろうか?
私は近くにあった自動販売機に書いてある住所を確認したが知らない町名だった。
でも、何処に住んでいるかは余り重要ではないので気にする事もないか……其れよりすれ違ったこの世界の私……愛はどの家に入って行ったのだろう?自転車に乗っていたので追いかける事も出来なくて見失ってしまった。それでも見失った角を曲がり姿を探した……しかし姿は見えないし自転車を置いてある家はあっても其れが愛の物か分からないので溜息をついて立ち尽くしてしまった。
「アイ…こっち……」
ケイがフワリとした風みたいに私を追い越して行く…慌ててついて行くと一軒の家の前で立ち止まった。
何も焦って愛を探す必要もない…ケイにはどの家なのか先刻承知でちゃんと導いてくれるのだ。
「……入る?」
「うん」
私たちは門を抜け猫の額ほどの庭と駐車場を横目に玄関ドアを通り抜けた。
家の中は静かだ……しん…として1階からは人の気配が感じられない。
微かに2階の一室から物音がしてきた…そこが愛の部屋だと確信し階段を上がろうとした瞬間勢いよくドアの開閉する音がしたと思ったら愛が凄いスピードで駆け下りてきて残り3段を軽やかにジャンプするとサンダルを履き外へ飛び出していった。
その後について行こうと玄関に戻るが鍵を掛け忘れた事を思い出したのか愛は戻ってきて私の鼻先でドアを閉めた。
……ぶつけるかと思った。
そんな事には成らないんだけど……っと、そんなのはどうでもいい。
私はケイの腕を掴みドアを通り抜けた……ケイに触れていないとこの芸当が出来ないのが面倒だ…私もその能力が欲しいとつくづく思う。
愛はすぐ向かいの家に入って行った。
ケイは私に強く掴まれた腕を摩りながらブツブツとボヤいている。
「いいから早く!」
再び腕を掴み引っ張るように向かいの家に歩いて行く。
「そんなに慌てなくてもいいだろ」
ケイの言葉を無視して玄関ドアを通り抜けた。
◆◆◆◆◆
「あら…悪いわね」
「お世話になるからって」
リビングの方から話し声が聞こえる……間もなく愛が廊下に出て来ると戸軽やかな足どりで2階へ上がって行く。
一体誰の家なんだろうか?
そのままついて行くと一番端のドアをノックした。
「亮介入るよ」
亮介!……亮介って…亮介?
私は最後の夏…川に向かって小石を投げている無邪気な姿と、自由とは何かと問い羽を生やして飛んで行きそうな姿……そして川にのまれる寸前に見せた儚い笑顔を思い出した。
この部屋の中に居るのはあの亮介なのだろうか……此処はパラレルワールド…生きていてもおかしくはない。
12の夏で終わってしまった命がこの世界では無事に成長している。
嬉しい事なのに私は部屋に飛び込んで亮介の姿を見る事に躊躇していた。
「中に……入らないのか?」
ドアの前で突っ立っている私を不思議そうに見ている。
ケイがどんなに物知りであろうと、どんなに沢山のパラレルワールドを一緒に見てきても、たとえ事前に亮介の事を調べていても、私の心の奥深くまでは知る事はできない。
其れでも〝入らないのか″と言う彼に何だか試されているように感じるのは気のせいだろうか……
ケイの顔をじっと見つめた……表情から何も読み取れない。
ただ単純に聞いているだけなのかも知れない。
「アイ?」
「……うん、入ろう」
私はケイの袖口をつまみ頷いた。
◆◆◆◆◆
部屋に入ると南側と東側に窓があり亮介の好きな青色のカーテンが下がっている。
左に勉強机、直ぐ横には本棚があり参考書や辞書、宇宙関連の本が並んでいた。
……へぇ、宇宙に興味あるんだ。
しかし棚の半分以上はマンガ本で埋め尽くされていて16歳の少年らしさにクスリと笑ってしまった。
ベットは右側の壁に貼りつくように置かれていてベットカバーはやはり青色だった。
部屋の真ん中に小さな丸いテーブルがあって愛はそこに座り、おそらくおばさんが用意していたと思われる麦茶とスイカを食べていた。
亮介は勉強机に向かって何か書いているみたいだ……私には背を向ける形になっている。
その後ろ姿を高鳴る鼓動を抑えながら見つめた。どんな風に成長したんだろう…12歳の頃はひょろりと痩せていて小ちゃな顔に丸く大きな瞳が印象的な色黒の少年で笑うと右側にエクボが浮かび、当時何故か私は其れが羨ましかった。
「……いつまで其処に立っているつもりだ」
ケイはいつの間にか本棚の所に移動していて片手をポケットに突っ込み棚に並べられている本を眺めていた。
「この部屋に来るまではいつもの様に積極的だったのに今は随分消極的……と言うより怖がってる?」
「なんで…怖がってなんかないよ」
ケイはチラリと視線を私に向けると含みのある笑みを口元に浮かべ〝ならイイけど″と言った。
……怖がってはいない。
ただ生きている亮介に会うなんて思ってもいなかったから戸惑っているだけ…突然の登場は反則だ!
……やっぱり、ケイに試されているのかな?
でも何の為に?……何を知りたくて試すと言うの……
ただの憶測に過ぎない事に頭を悩ませても仕方ない。
私は余計な考えを振り払う為に目を閉じ短く息を吐いて亮介の所に近づこうとした。
「終わったぁ〜」
ノートを閉じ大きく伸びをするとくるりと振り返った。
心臓が大きく鼓動する。
あどけなさを残しつつ顔つきは随分大人に成っている……丸く大きな瞳は健在で美味しそうにスイカを食べている愛を見てクスリと笑う頬にエクボが浮かんでいた。
私の記憶にある亮介の面影を残し存在している事にホッとし心に温かいものが沁みていくのを感じた。
亮介は愛の向かいに座るとスイカにかぶりついた。そしてこのスイカは山形の叔父が送ってきたものだと説明し、まるで自分が作ったみたいに美味しいだろうと自慢げに話している。
まだ2玉あるから持って行くように言うがアッサリ拒否されてつまらなそうに口をへの字に曲げた。
「今日から我が家は私1人なんだよ…貰っても食べきれない」
「冷蔵庫に入れとけばいいじゃないか」
「…にしても無理よ」
「……じゃあ、やらねーよ」
先に食べ終わった愛はご馳走様と手を合わせ麦茶を一口飲んだ。
「おじさんとおばさんは旅行だっけ?」
「そう、北海道を一週間かけて巡る旅。お姉ちゃんは友達と海外旅行で、お兄ちゃんも友達と旅行…って彼女と2人旅らしい…その後ゼミ仲間とどっかの別荘地で羽根を伸ばすみたい……亮介の所は何処にも行かないの?」
「……んん、受験生がいるからな」
「あっ、そうか。沙耶ちゃん受験生か」
沙耶ちゃん……誰?
「大事な妹だからな…スゲェ頑張っているし応援したいんだ」
「……そうだね」
妹がいるんだ……これは私の世界と大きく違う。
妹はおじさんとおばさんの本当の子供だよね……2人も養子とらないだろうし……
「なに考えている」
何時からこっちを見ていたのか顔を覗き込み探る視線に眉をひそめた。
「ケイはちゃんと調べて此処に連れて来たんでしょ…教えてこの世界の亮介の事」
ケイは勿体つける様に横を向いて考えるフリをする。あくまでフリだ……こんな態度のケイにはもう慣れた。
私は急かすことなく口を開くのを待った。
「……彼は中々子供のできない増田夫婦が養子として迎えた子だ。ところが間もなく妊娠がわかり女の子が生まれた……皮肉だよな…他人の子供を引き取った途端に授かるなんて……しかしこの世界で彼がこうして元気で存在しているのはそのお陰なのかもしれない」
「どういう事?」
「其れも俺に聞くの?…自分で見極めたらどうだ…その方がより深く理解できると思うが……何でも聞けば良いってもんじゃない」
意地悪い笑みを見せて冷たく突き放された。
言っている事は分かる。
ケイの感じ方と私では異なるかもしれない……特に今回は…だから他人の考えや思いは余計な情報だと判断して自分で見極めろと言ったのだと思う。
「……ただひとつ…特別教えてやる。彼は自分が養子だと知っている。……アイのリアルワールドの亮介も知っていた…何が違ったんだろうな」
ケイは100メートル先のゴールを見据え挑む短距離選手みたいな表情を見せて私を試している……この世界をどう見るか、どう感じてどんな答えを出すのかと……
ゴクリと唾を飲み込む…強制的に背筋を伸ばされる感じがする。
ケイの望む答えが出せるだろうか?
違う……私が納得できる答えを見つけられるかなんだ。
できるか分からない……けど、其れが亡くなった亮介を知る事に繋がっていく様に思う。
私はケイを挑戦的に見返した。
「……結構。いい表情だ」
ケイはくしゃっと笑う……本当に嬉しそうに……




