満ち欠け
私の言葉も怒りも代弁ではなく個人的なものだとケイに指摘され言い返す事が出来なかった。
怒りのエネルギーに支配されコントロールが効かなかったのは事実で、それでも愛も同じ気持ちだと思っていたからあの人にぶつけた。しかし、其れはどうなのか…と言われると自信が無くなり何も言えなくなる。
……ホント、遠慮なく心に針を刺してくる。昨日の優しさは幻だったのかも……
私は横に立っているケイを見上げた。
……まつ毛が長い……男のくせに感じ悪。
視線に気づいたのか目が合ってしまった。
「なに見惚れてんだ……」
「はあ?……そんな訳ないじゃん。自惚れないでよね」
口をへの字に曲げている私を見て、ケイは目を細め片方の口角を上げ鼻で笑った。
……笑うな。
……そんな事より愛だ。
ずっと机に向かって勉強している様だけど、手に持ったペンはいっこうに進まず、心ここに在らず…って感じだ。
あんな場面を見聞きしたのだから当然だと思う。
部屋のドアをノックする音、そして叔母の声……愛はピクリと夢から醒めるみたいに首を持ち上げ〝はい″と返事をした。
「入るわね」
お互い顔を会わせると2人ともぎこちない笑顔を見せた。
「……今日ね庭でバーベキューしようと思って、今から買い物行くんだけど一緒に行かない?……なんかお父さん張り切っちゃって、物置からバーベキューコンロやら炭やら出し始めてるの……外でバーベキューなんて久しぶりよね」
「うん……そうだね」
「買い物……付き合ってくれる?」
「うん、行く……」
「そ、そう良かった……じゃあ、下で待ってるわ」
叔母はドアノブに手を掛けたが押し開けることなく軽く瞳を閉じ静かに息を吐いてそして口を開いた。
「……もしかして…聞いてた?」
「…………うん……ごめん」
愛も叔母に背を向けて返した。
「そう…………」
「うん……」
「あのね」
「お母さん…私はこの家の娘だよ。あの人たちはもう関係ない。だから……お金なんて出さなくていい、其れで気まずくなっても大丈夫…10年前に縁切れてるから……
あの人たちに遠慮する事ないよ。私にも……その方が辛いから」
叔母は溢れそうな涙をこらえ愛の背中を見つめている。
「愛……」
「私は、お父さんとお母さんの娘だよ」
振り向いた愛は白い歯を微かに見せて微笑んでいる。
「下で待ってて直ぐに行くから……お父さん張り切っているなら豪華なバーベキューにしようね……お母さん」
「そうね……高いお肉買いましょう。
じゃあ、待ってるね。……愛、ありがとう」
涙で頬を濡らし叔母は部屋を出て行った。
愛は広げていた教科書やノートをしまうと、引き出しから1枚の写真を手にした。そこには幼稚園バックをさげピースサインをしている愛、両親、兄と姉の5人が笑って写っている。
養子に出される1年前位に撮った家族写真だと思う……私のアルバムにも同じ写真がある。
……この頃は愛も私も親の愛情を信じて……それが当たり前で、ただ無邪気に笑っていれた。
落ちた涙が家族の姿を歪ませる…鼻をすする音。そして中央から破り写真は細かく千切られ、家族の笑顔はバラバラになりごみ箱へ。
そして涙を拭いて部屋を出て行った。
階段を1段…2段…そして軽快に降りていく足音と〝お待たせ〜″と叔母に掛ける声。
2人が外に出ると家の中は静かで、窓から庭を覗いてみると叔父がバーベキューの準備をしていて、愛が笑顔で話しかけている。
「涙は……無理に血の繋がりを絶つ為に流したもの?」
私はごみ箱に捨てられた写真の切れ端を手に取った。
「10年も愛情を注いでくれた叔母夫婦に報いる為に自分の気持ちに蓋をする決意の儀式……あんな親でも縁を切る事は悲しいものなのかな?」
「……情が血の繋がりのバロメーターになるのか俺には分からない。DNAで人生が縛られ身動き出来なくなる事は、与えられた生を無駄にする罪にも思える」
「罪?」
「また、産んでくれた親を蔑ろにする事も罪かもな……」
「何それ…」
ケイが小刻みに鼻で笑った。
「だよな…でも人は誰でも何らかの罪を背負いながら生きているんじゃないか?そして其れに潰されない為に強くなろうとする者、負けてしまう者……しかし人は立ち上がる事が出来る」
とても意外で不思議に感じた。普段はどちらかと言えば他人に対しドライで、どこか違う生き物の様に人をとらえている所があるけど、今は少し人間らしい。
「愛はこれからの人生を考え1番良い方を選んだんだ。利己的だが悪い事じゃない…誰だって自分は大事だ。
実の親を捨てる…決別する罪を背負って強く生きる事を選択したんだ。そこに悲しみはあるだろうが、いずれ癒され日は来るさ」
2階の窓からスーパーに向かう2人の後ろ姿が見える。肩を並べて話しながら歩いていた……どこから見ても仲の良い母と娘だ。
「愛の選択は正解なのかな……」
「どっちが正解かなんて決められない……そんなものは無いのかも知れないし……判断を下せるのは本人のみ」
「……」
「さあ、戻ろう」
「これからどうなるんだろう……」
「其れは」
「分かってる。私が心配する事じゃないって……ただ言ってみただけ……」
「結構……なら、もういいな」
「うん、戻ろう」
◆◆◆◆◆
アイの扉を閉じ、またポツンと椅子だけが残る空間を見渡した。
どこまで歩いても終わりのない何処にも辿り着けない俺の世界。
無限にあるパラレルワールドへ行く事が出来ても、結局この椅子に戻るしかない小さな存在で進歩も何もない……欠けていくだけ。
「そんな深妙な顔をしてどうしたのですか?」
「ヴォイス……満ちたり欠けたりするのが人生だと、それの繰り返しだと言ったよな」
「はい……」
「どうも俺は欠けてばかりの様な気がする。
……ヴォイスはそんな事ないと言ってくれたけど」
「……ケイ、もしかして潜在意識の中で満たされる事を拒んでいるのでは?」
潜在意識……そんなものが邪魔しているって言うのか?
「此処へ来る前の経験がそうさせているのかも知れませんね」
「……自分の世界でどんな経験をしたかなんて記憶の奥深くに埋もれ引きずり出す事は無理だ……」
「無理ねぇ……」
「何だよその言い方」
「いえ、気にしないでください。
前にも言いましたがゆっくり向き合っていけばいいですよ」
結局そうなるのか……向き合うなんて自信がないな。
アイには色々偉そうな事を言っているのに自分の事となると臆病になる。
呆れるくらい情けない……
何度も繰り返す人生の満ち欠けに向き合う事の出来る愛は強い。
おそらく俺はそこから逃げたからこの孤独な世界に閉じ籠って居るのだろう。
アイは……アイもまた俺と同じタイプ…だからここへ……
◆◆◆◆◆
暗い部屋。
私の顔を照らすのはスマホ画面の明かりだけで、指先の迷いに苛ついている。
電話するだけなのに…なに躊躇しているのだろう。
うまく話せる自信がないから?……もし声を聞かせた事で更に気持ちを乱してしまう恐れがあるから?…やめようかな……
正解を教えて欲しい…
〝どっちが正解なんて決められない……そんなものは無いのかも知れない″
ケイの言葉が頭の中でリプレイした。
正解が無いなら……
何もしない後悔より行動して後悔する方が良いに決まってる。
自分勝手だけど、今しないと駄目な様な気がする。
ドン!っと部屋のドアが鳴った。
ハッとして顔を上げると、廊下から兄のぶっきら棒な声。
「愛、風呂入れって」
私の返事も聞かず自分の部屋に入っていく音がした。
私は溜息みたいな深呼吸をして再びスマホ画面に視線を落とした。
迷っていた指先がアドレス帳を開いて叔母の家に電話をかける。
1コール、2コール…………5…6コール目で叔父が出た。
「こんばんは、あの…愛です」
「えっ……愛ちゃん?」
「お久しぶりです……あの…咲子叔母さんは…」
時間にすればほんの数秒の沈黙だったけど、私にとっては深い海の中を海底目指して進んでいるみたいな息苦しさと、先の見えない不安でスマホを持つ手が冷たくなった。
「……いるよ」
「代わって貰えますか?」
「……ちょっと待ってて」
保留音の軽快なメロディが聞こえてきた。
冷たかった掌にジンワリと汗をかき始め、鼓動のテンポが駆け足になりだした。
プツンとメロディが消える。
スマホを握る手に力が入った。
「……もしもし…愛ちゃん」
「咲子叔母さん」
「何かあったの?」
柔らかな声が聞こえ安堵すると同時に身体が熱を帯びてきた。
「……声が聞きたくなって…それと伝えたい事がある」
「やっぱり何かあった?」
「そうじゃないけど……」
みぞおち辺りに何か塊がつっかえているみたいに重い。
「愛ちゃん?」
「……あのね……私咲子叔母さんの事大好きだよ。叔母さんの笑った顔は元気にしてくれる……声は優しく包んでくれる」
「愛ちゃん……」
「だからね、叔母さんには元気でいつまでも心から笑っていて欲しい。
遠く離れているけど…直ぐには会えないけど、いつも思っているから……」
「…………」
「其れだけ言いたかったの」
「……ありがとう。
……お母さんから何か……ううん…いいわ。
電話くれて嬉しいよ。愛ちゃんの気持ち受け取ったから…本当にありがとう」
「うん……急にごめんね」
「そんな事ないよ…また電話頂戴。私もするからね」
「うん、お休みなさい」
「お休み……ありがとう」
名残惜しそうにプツンと切れる。
後半の叔母の声は溢れる何かを堪えるみたいに少し震えていた。
緊張がとけ身体が楽になるとみぞおち辺りの違和感が消えていた。
あれで良かったのかな?
気の利いたこと言えなかったけど、其れでも今の私の精一杯を伝えられたと思う。
カーテンの隙間から柔らかい光が部屋に届く……開けるとまん丸の月が穢れたものを浄化するみたいに清らかな輝きを放っていた。
「満月……」




