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ちらばる世界に何をみるか 〜私と俺のパラレルトリップ〜  作者: 有智 心
第3章 ∞ 満ちる月欠ける月 ∞
13/40

シンプル

『今日のケイは優しいね』……この言葉がやたらと脳みその中をゆったりとした歩調で歩き回っている。


 別に大した事じゃない……声に出しはしなかったが、おそらく〝優しいね″に続く言葉は〝ありがとう″だったと思う。アイの表情からそれは読み取れた。

 ……シンプルな言葉だ。


 ただそんな言葉を掛けらる様な事をした感覚はない……ヴォイスに言い方を指摘されたから実行したまでのこと。

 其れなのに何故あんな穏やかな笑みを浮かべるのかさっぱり分からない。

 ……だから脳みその中から離れないんだ……シンプル過ぎて厄介だ。


 俺はアイが戻っていった扉を忌々しく見つめながら落ち着きなく椅子に座っていた。


「ケイどうしたのですか?扉が出たままですよ」

「ああ……そうだな」

「……?」


 なんとなく扉はそのままにして置きたかった。


「何かあったのですか?」


 背もたれにグッと身体を押し付けて天を見上げた……天なんて無いけどな。青い空も、太陽も、夜空の星も月もない無限に続く白い空間……見慣れた景色…これを景色とは言わないか……つまらない。


「ケイ?」

「ああ……そう…アイに〝優しい″と言われたよ」

「ほう……良かったですね」

「良かった?…何が?」

「〝優しい″と言われて嬉しくなかったのですか?」

「……そんな感情は何処かにいってしまった」


 ……長くいすぎた。月が欠けるように色んなものが磨り減ってしまっている。


 ヴォイスがこもった笑い声をあげる。


「そんな可笑しい事言った?」

「……自分の気持ちが分かっていないみたいですね」

「分かってない?」

「さりげない優しさや、思いがけない優しさに触れると…ましてやケイですから……意外な言葉がアイは嬉しかったのでしょう。

 だから素直な気持ちを伝えたのですよ。

 ……ただケイは慣れてないだけで嬉しく思う事に戸惑っているだけです。

 ……アイの気持ちを素直に受け入れればいいと思いますよ」


 いつ見ても何かを探そうとしても変わらない白い空間を見上げたまま俺は唸った。


「アイの言葉を頭ではなく心で受け入れてみたらどうですか……何か感じるものがあると思いますよ」


 シンプルはシンプルに……其れが出来たら楽だろうな。


「まぁ、ゆっくり心と向き合ってみてください……月は欠けて見えても実際にはそうではありません。ケイが失くしたと思っている感情もそうだと思いますよ。

 そして時間をかけて月は満ちてゆき、また欠ける……繰り返しですね」


 ヴォイスは小さく笑いながら気配を消した。


 そうやって人間は人生の満ち欠けを繰り返し生きて行く……


 俺は手を胸に当てて目を閉じた。

 こんな行動で向き合えるのか分からないがやってみた。


 渇いた心に一滴の温かい何かが沁みていった……一瞬心地よく……でもすぐに乾いてしまう。

 ………………ダメだ…ここまでだ。

 それ以上は何も感じない。


 目を開けて出したままの扉に視線を向ける。


 ……〝ゆっくりと″…か……


 ……やっかいだ。




 ◆◆◆◆◆




 湯気で曇った洗面台の鏡の前に立つ、曇り止めのスイッチを入れると中央から徐々に私の姿を映しだしていく。

 濡れた髪をタオルで拭きながら愛や叔母の事を考えた。


 ……幸せならいい。

 もう1人の私が後悔なく人生を歩んでいるなら其れは嬉しい……羨ましくもあるけど……

 叔母も辛い経験をした分、愛を養子に迎え笑顔なら嬉しい。

 ……何も言うことはない。


「いい世界で良かった」


 鏡に映る自分に声をかけ笑った。

 でも、鏡の中の私は笑っているけど何処か寂しそう…本当は喜んでいない?

 暗い影が見え隠れする……其れに取り込まれそうな気がしてタオルをかぶり顔を隠して脱衣所を出た。


 リビングの前に来ると父と母の話し声が聞こえた。


「それで……和也君は電話でなんと言っていたんだ」

「塞ぎ込んでるんですって…」

「やっぱり咲ちゃん治ってないんだな……」


 ……咲ちゃん…治ってない?

 叔母は病気なんだろうか……そんな風には見えなかったけど……


「ここ4、5年は随分良かったらしいけど……愛の顔を見たからかしら…」

「んん……不妊治療諦めたのは5年前だったか?」

「ええ…治療中も結果が悪いと愛を養子にって言ってきたわね……」

「そうだったな……」


 初めて聞く話だ……叔母がまだ心の病から立ち直っていなかったなんて……


「少しでも慰めに成ればって愛を遊びに行かせてたけど…かえってよくなかったのかも知れないわね」

「……また養子の話、蒸し返してきたらどうする?」

「……これまでと変わらないわよ。愛を養子に出すなんてないわ。咲子には悪いけど……」

「そうだな」


 養子の話、あれ1回じゃなかった…その度に父も母も断っていた……そうなんだ。

 ……心臓の音が少しだけ高くなり、変な感じがする。


 私は2人に気づかれない様に注意を払い部屋へ戻った。


 仰向けにベットへ倒れ込むと大きく深呼吸した。スマホを手に取るとメールが何件か届いている。そのうちの真奈からのメッセージを開いた。


  《 明日、映画行かない?》


 ……はぁ、ウザい。


 スマホを放り目を閉じた。


 ……今朝別れた叔母の笑い顔が頭に浮かぶ…それがパラレルワールドの叔母の笑顔と重なり合う。


 叔母に電話しようか……其れとも会いに……

 ダメだ……本当に立ち直っていないのなら会うべきじゃない。

 私に会う事で心が不安定になってしまったら其れは誰にとっても不幸だから……

 大好きな叔母には幸せに笑っていて欲しい。


 ……パラレルワールドの叔母はどうなの?

 願い通りに愛を養子に迎えられて……本当に心は救われているの?


 ケーキを前に愛と楽しそうに笑っていたけど……


 重なり合う笑顔に私はとても不安になった。


 ……明日、ケイに頼んで扉を開けて貰おう。


 私は再びスマホを手にとり真奈のメールを開いた。


 《ムリ》


 素っ気ない返信をすると布団に潜り眠りについた。




 ◆◆◆◆◆




 ……タイミングが良かったのか悪かったのか。


 ケイに頼んで扉を抜ければ愛の母親と叔母夫婦が重い雰囲気のリビングで向かい合っている。


 愛は……愛は廊下で硬い表情をしてドアの隙間から覗いている。


「……其れでお義姉さん今日は……」

「せ、折角の休日にごめんなさいね……」


 母は黙り込んで俯き膝に置いた両手を落ち着きなく握り返している。


 叔母夫婦は困惑した表情で顔を見合わせ頷く。叔母の方はやや蒼ざめていた。


「お義姉さん?」

「ごめんなさい…こんな事お願いするのは」

「愛を連れて行かないで!」

「えっ?」

「姉さん、あの子を返せって言いに来たんじゃないの?」


 叔母は小刻みに震え今にも泣きそに顔を歪めた。


「もう愛は私たちの娘なんだから奪ったりしないで!……そんなの嫌よ…絶対渡せない。

 あの子は…愛は……娘なんだから……たった1人の私の娘なの…連れて行かないでお願い…お願い……」


 前後に上体を揺らし怯えた表情をしている。叔父はそんな妻を辛そうに見つめ肩をだき抱え宥める。


「咲……落ち着いて…愛は僕たちの娘だよ。

 大丈夫……大丈夫だから」

「あなた……」

「……お義姉さん、今日は愛の事でこっちに?」

「あ……違うの、違うのよ」

「……じゃあ、どんな用件で」


 母はまた俯くと小声で何か言った。


「えっ?」

「……お金……お金貸して欲しいのよ」

「お金?」


 母は床に膝をつき頭を下げた。


「お願い……お金貸してください。お願いします」


 てっきり愛の事だと思っていた叔母夫婦は意外な頼み事と土下座する姿に言葉を失っている。


「……お願いします。助けると思って貸してください」

「……お義姉さん、頭上げてください。一体何があったんですか?

 理由を聞かせて貰えますか」




 ◆◆◆◆◆




 ……母の話は最低だった。


 リストラされた父は新しい職場で真面目に働いていた。が、2年ほど前に上司が代わりその相手と上手くいかなかったようで、ことごとく意見が合わず、恫喝される事も度々で、上司が幾らか歳下だったのもありプライドを傷付けられたみたいだ。


 ……いわゆるパワハラを受けたって事か。


 そしてそのストレスをギャンブルで解消する様になり、初めは少額だったのだけど次第に額が大きくなり母に内緒で借金までする様になった。


 なんだかテレビドラマでよくあるパターンのダメ親父みたいで同情できない。


 結局その借金がかさみ返済が苦しくなったって事ね……其れで長野まで来て助けてくれって頭を下げに来たんだ。

 ……情けない。


 泣きじゃくる娘にいつでも戻って来れるようなニュアンスで説得し家族と離れた生活を強いたのに、愛の気持ちなど何も分かっていない。


 廊下で聞いている愛が気になって様子を見に出た。


 全身に力を入れ涙を堪えながら立っている。

 悔しくて、辛くて、悲しいはず……

 もし許されるのなら私は私を抱きしめてあげたかった。


「……なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」

「どんな人生でも順風満帆とはいかないものさ……」

「そうだけど……」


 かける事のできない言葉をのみ込み、触れる事のできない両手を強く握った。


 廊下に漏れ聞こえる3人の重いやり取りに耳を塞ぎたくなる。


「和也さん、咲子…お願い……」

「……しかし800万なんてとても……」

「姉さん…私たちだって余裕があるわけじゃないのよ……そんな大金…」

「でも、子供は愛1人でしょ…私のところは2人だし私大でお金掛かるのよ……其れにこの家だって和也さんのご両親が頭金出してくれたって咲子言ってたじゃない。ウチなんかより返済楽でしょう」

「姉さん」


「自分勝手な言い分……」


 愛は立っているもの辛くなったのか壁に体を押し付けズルズルと座り込んだ。


「お願い貸して頂戴」

「お義姉さん……800万は大金です。そう簡単に出せる額じゃない。

 今日の所は帰って貰えませんか?考えさせてください」

「あなた!」

「和也さん……そ…そうね。大金ですものね……でも、出来るだけ早くお願いします。

 いい返事待ってるわ」


 愛は慌てて立ち上がり音を立てず2階へ逃げるように上がって行った。


 母は玄関で叔母夫婦に向かって年を押すように借金を頼みぺこぺこ頭を下げ出て行った。


「ケイ……この世界じゃ私の母親ではないけど、でも……母親なんだよね。情けなくて、みっともなくて涙も出ないよ」


 ケイは私の隣に立つと腕を掴んで玄関を通り抜けた。


「アイ、あの母親は嘘はついてないが……言っていない事がある」

「えっ?」

「……借金の800万のうち300万は彼女が作ったものだ」

「嘘……本当に?」

「ああ、最初はパート代で払える程度の買い物だったが……旦那の会社の愚痴やギャンブルにストレスが溜まっていったんだろ、次第に高級ブランド品を買うようになりカードの支払いが滞るようになったみたいだ。手にしていたバック…ブランド品だ。 ……買い物依存症だな」

「そんな事一言も言わなかった」

「言ったら妹に責められると思ったんだよ……姉としてのプライドが其れを拒否したんだな」

「最低……」


 もう、私には怒りしかなかった。

 細やかな幸せに心落ち着かせ暮らす叔母夫婦と放り出される様に養子になった愛が新しい両親のもとで穏やかに人生を送っていたのに……そんな家族に暗い影を落として……

 最低だよ。


 私は見えなくなった母親の後を追った。


「アイ?!」




 ◆◆◆◆◆




 愛の母親はバス停の前に立ち時刻表を見て軽く舌打ちをした。


「……後30分も待たなくちゃいけない。いやね田舎は」


 彼女はベンチに座るとブランド品のバックの中を漁り目当てのものを取り出した。それはメンソールの比較的ニコチンの少ない煙草で口に咥えると火をつけ、ホッとした様に煙をはく。そして口もとを微かにほころばせた。


「何なの……この人」


 母親のすぐ横に立っているアイの身体から怒りのオーラが出でいる様に見えた。

 それは蒼く冷たい、しかし強い怒り……


「アイ、此処まで追いかけて来てどうするつもりだ」

「…………」

「アイ?」

「……なんでこんなに平然と煙草なんて吸っていられるのよ」

「……心苦しさも、羞恥心もないんだろ…この姿を見るとあの土下座も演技にしか思えないな……叔母夫婦の様子で全額とはいかなくとも幾らかは引き出せると確信しているんだよ……人間の醜くさを垣間見た気がする」


 アイの怒りのオーラが一段と強くなっていく……


「ケイ……この人に言いたい事がある」

「駄目だ」

「ケイ、ひと言だけだから」

「姿を見せる事は」

「でも叔母の家からこのバス停は見えない。愛に見られる心配ないでしょ……お願い。

 じゃなきゃ、このまま引っ叩いてやる……思い入れのある物は触れる筈だよね」


 キツい目をしている。本当にやりかねない……どうにも気が収まらない様だな。


「困ったお嬢さんだ……ひと言だけだぞ」


 俺は指をパチンと鳴らした。


 アイは母親に声を掛ける。

 音もなく突然横にいる娘に驚き慌てて煙草を捨て靴の裏で消すと立ち上がった。


「愛、いつの間に……」

「……」

「大きくなったね……元気だった?」


 母親は頭でも撫でようとしたのか手を伸ばすとアイはそれを振り払い怒りの目を向けた。まるで冬の冷たい風が吹く夜空に浮かぶ月のように静かで、冷ややかでそれが一層恐ろしくも見えるそんな目だった。


「ど…どうしたの?そんな怖い顔して」

「……最低……あんたは最低の母親だよ。

 2度と此処へは来るな……絶対に許さない」


 アイは吸い殻を拾い上げると其れを母親の手に押し付け家に向かって歩き出す。


 母親は容赦ない言葉に身を固くし、複雑に歪んだ顔を紅潮させてアイの後ろ姿を見つめていた。




 ◆◆◆◆◆




 言ってやった。

 あんな女……母親じゃない……と言うより人として間違ってる。

 ……最低女に言ってやった。


 私は歩きながらブツブツと呪文でも唱えるみたいに同じ言葉を繰り返す。

 ……でも、心のモヤモヤは解消されない。


 角を曲がるとケイが塀にもたれ腕組みをして待っていた。


「言いたい事いってスッキリした?」

「…………」

「そんな訳ないよな……怒りをぶつけても起きてしまった事は消せない…傷も怒りも残ったままだ。……それを癒すのは自分が如何に向き合うかによって変わってくる」

「……怒りをぶつける事は無駄だって言いたいの?」


 ケイは目を大きく開き妖しく笑った。


「そんな事思う訳ない……〝怒り″大いに結構、我慢する事はないさ…とても人間らし感情だ。

 羨ましいよ……俺はそこまで怒りを感じる事がなくなったからね」


 妖しい笑みから今度は心の無い人形みたいな表情で首を少し傾け私を見ている。

 ……背筋に冷たいものが走った。


「……君の怒りはわかったけど、愛は?」

「彼女だって同じ気持ちよ……私は代弁しただけ……」

「其れはどうかな……アイは代弁と言うが、それは違うだろ…自分の感情をぶつけただけだ。俺にはそう見えたけど……」


 静かな佇まいでまるで全てを見透かしているみたいだ。


 ……こんなケイは特に苦手。


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