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天界の門

作者: 抹茶ミルク

 ──あたしは、死ぬのか──


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い、

 あああああああ……ああ……、


 嫌だ。死にたくないよ……。


 道路に飛び出した子供をかばって、トラックに轢かれた。

 漫画みたいだよね。

 でも、助けた子供はボールを拾ってそそくさと逃げてった。


 後悔。

 あたしは、あんな子供のために死ぬのか。

 後悔。

 死ぬ間際に恨み言じゃあ、救われないよね。

 後悔。

 トラックの運転手さんの一生を狂わせちゃった。

 愉快。

 こんな状況でも他人を心配してる自分が、ちょっと嬉しい。

 でもやっぱり、後悔。

 だって、死にたくなかったから……。


 新作の映画見てない買ったばかりの洋服着れてない彼氏がいたこともない明日からドーナツ屋の三周年セール外国行きたかったバイトだってやってみたかったあの漫画の続きが読み………………



 やっと薄れる痛み。

 離れる意識。

 最後にぼやけた視界に微かに映ったのは、トラックから転がるように飛び出してきた人影だった。


 ◇◇◇






「こ……こは…………」

「目、覚めたみたいだね」

「………………」

「気分、どう?」

「………………」

「体で痛むところ、ない?」

「………………」

「水、飲む?」

「………………」


 話す気が起こらなくて、軽く首を振って応えた。

 最後の質問だけは、縦に振った。

 コップを受け取るとき、彼女の指に触れた。

 初めて熱を感じた気がした。


「怪我はしてなかったけど、なかなか起きなかったからもうすぐ死んじゃうんじゃないかって、心配だったよ」

「…………ごめん」

「どうしてあんなところに倒れてたの?」

「………………分からない」


 体を起こそうとしたら、止められた。


「もう少し安静に、ね」

「…………うん」


 どうやらここは天国か、異世界か。

 どっちにせよ全く別の、自分の常識が通用しない世界なのだろう。


 彼女についている大きな翼を見て、ぼく(・ ・)はそう思った。

 彼女は光の差す窓を背に、美しく微笑んだ。


 ◇◇◇






 ぼくは地球の日本という島の上で、トラックの運転手をしていた。

 やっとの思いで就くことができた仕事だった。

 家族も、友達も、ご近所さんも、みんな祝福してくれた。


 あの日ぼくは疲れていた。

 お酒も夜更かしもしていない。

 少し調子が悪かっただけだった。


 だから、子供が飛び出してきたのに気づいたとき、少し対応が遅れた。

 でも大丈夫。この距離であの位置なら、ハンドルを切ればよけられる。

 そのとき、さらにもう一人飛び出してきた。

 長めな黒髪の、セーラー服の似合う女子高生だった。

 一瞬訳が分からなくなって、ブレーキが遅れた。

 今度は致命的な遅れだった。


 家族とボロアパートと手錠とその他諸々が頭の中をかき混ぜた。

 衝撃がフロントからハンドルから腕から伝わってきた。

 ドッ……って。


 じわりじわりと広がる赤。

 慌ててトラックから降りようとして、シートベルトに阻まれた。

 カチカチカチカチ……。

 手が震えて、赤いボタンがしっかり押せなかった。



 警察と消防署に連絡して、色のない揺れる視界に負けて、座り込んだ。

 彼女に触れることもできなかった。

 あの子供が母親を連れて戻ってくるなんてことも、なかった。


 警察が来て、質問されて、アルコールの検査をされて、調書をとられた。

 よく覚えていない。

 一体ぼくはいつ気を失ったのだろうか。

 どの記憶までが、真実なのだろうか。


 ◇◇◇






 ぼくの異世界での新たな生活が始まった。

 心に乗った重りは、なかなかとれなかった。



 完全にぼくが悪いわけではなかった、とは思えなかった。

 信号無視をしたわけでもないし、道を確認してなかったわけでもなく。

 でも、ぼくなら止まれた。あの少女も死なずに済んだ。


 両手ですくえるものをこぼすのは罪だ。

 でもぼくは、できることをせず、やらなかった。

 結果、人の命をトラックで轢いた。


 しばらくの間、ずっとそんなことばかりを考えていた。

 元気のないぼくに、彼女はいろいろと世話を焼いてくれた。

 どこに行っても迷惑かけてばかりだと思った。情けない。




 ぼくを拾ってくれた彼女は、森の一軒家に老人と二人で暮らしていた。

 彼女もまた、幼いころに拾ってもらったとのこと。

 まだ幼い彼女を捨てた両親は、行方不明。

 どこの世界にも似たようなことはあるらしい。


 老人にも翼が生えていた。

 この世界ではそれが普通だと教わった。

 ぼくはそのとき、一度も外に出て、様々な人と話すことをしていなかったから。


 しかし、彼女に生えている翼は片方が欠けていた。

 だから彼女は、飛べなかった。

 ぼくは言った。

「人は歩いてどこへでも行けるんだよ。ぼくがもといた世界ではね、自動車っていう……」

 それが初めての会話らしい会話だった。



 初めて街に買い物に行ったとき、ぼくは笑われた。

 道行く人々には、一対の翼が生えていた。

 彼女も馬鹿にされていた。ぼくは心配した。

 けれども彼女は笑って、「慣れてる」と言った。


 この世界では、翼がないことは劣っていることとされていた。

 他にも翼が小さかったり、色がくすんでいたりするだけでも差別対象になるらしい。

 ただ、表面上ではあまり大きな問題になっていないらしいのだが。

 この世界にはまだ、人権を保護せんと立ち上がるリンカーンはいないようだ。


 翼の揃った人々は飛ぶことができる。

 でも、老人や子供、怪我人など、飛べない人もいる。

 ぼくたちは、そういった人のために整備された道路を歩いた。

 速度は出ない。でも彼女と話しながらゆっくり歩く道も、いいと思った。

 地球ではいそいそとどこへ向かっていたのだろうか。

 そんなことを考えさせられるほど、この世界はゆっくりと回っていた。



 老人が亡くなった。彼女と、短い間だったけどぼくの親だった人だ。

 涙は出た。人の死ぬ瞬間を目の当たりにするのは二回目だった。

 けど、思ったより沈まなかった。

 慣れたからか、はたまたぼくが殺したわけではないからか。

 ぼくは震える彼女の肩を抱いた。



 そんなとき、この世界に「天界の門(ヘヴンズ・ゲート)」なる場所があると知った。

 この世で最も神聖なる場所へと繋がる門。

 神々しい力が溢れる場所で、願いを叶えてくれる。


 この頃ぼくは、もとの世界に戻りたかった。

 ホームシックってやつだろうか。

 この世界は好きだったけど、ぼくはこの世界の住人じゃない。


 いや、違う。そんな理由じゃない。

 ぼくは彼女の遺族に謝りたかった。

 日本の法律じゃあぼくを殺してはくれない。

 ぼくは少しでもこの、罪という荷物を背負った体に罰という鞭がほしかったのだ。


 未練もあったけど、ぼくはもとの世界に戻るために行動を開始した。

 天界の門を探すのだ。

 ぼくは彼女と旅へ出た。



 ゆっくりと地を進む旅になった。

 そびえる山岳を、切り立った崖道を、果てまで続くかのような大森林を、乾いた大地を、歩いて進んだ。



 あるとき、翼がないことを馬鹿にされ、迫害を受けた。

 ぼくたちは黙って通り過ぎた。ぼくたちは「慣れてる」と言って笑い合った。


 あるとき、同じように翼の欠けた旅人に出会った。

 しばらくみちをともにし、友の契りを交わして別れた。焚き火を囲んだあの夜を、ぼくは忘れない。


 あるとき、彼女が病を患った。

 ぼくは命がけで薬の材料を集め、彼女を治した。余った薬は同じように困っている人に譲った。


 あるとき、災害で大きな被害を受けた人里に立ち寄った。

 ぼくたちは復興作業を手伝い、人々から感謝を受けた。人と人は、助け合い、認め合えることを実感した。


 あるとき、猛獣と対峙した。

 なんとか彼女を守り抜き、ぼくも生き残れた。二本の爪痕は、今も胸から腹にかけて残っている。


 あるとき、川を渡った。

 必死に頼み込んで、なんとか渡し守を説得した。岸で盗賊に待ち伏せされて、荷物の半分を失って逃げ切った。渡し守と盗賊はグルだった。


 あるとき、友と再開した。

 彼は事業に成功していて、ボロボロのぼくたちとは対照的に映った。この世界から差別をなくすと意気込む彼に、僕はキング牧師やガンジーやリンカーンの話をして、握手を交わした。彼は「参考になったけど、暗殺はごめんだ」と言って笑った。


 ◇◇◇






 いろいろなことがあった。

 長い時間がかかった。

 死にそうになったことも何度もある。

 友もたくさんできた。

 何度となく笑い、何度となく泣いた。


 けれどもぼくは今、彼女と二人で巨大な門の前にいる。

 足元は黄金の雲だ。足首まで雲に埋まってしまっている。

 けれど、不思議と不安にはならない。

 足から伝わるエネルギーがぼくを、彼女を包んでいる。


 門からは神々しい光が溢れてくる。

 暖かく、それでいて何者も寄せ付けない神聖さを持った光だった。


「天界の門……」

「綺麗ね……」


 ぼくたちはしばらく動くこともできず立ち尽くしていた。


「よし……」


 ぼくはようやく門に触れる決心を固めて、手を伸ばした。

 門に近づくにつれてあるはずのない圧力に負けそうになる。



「待て」

「……!? あ、あなたは……?」

「この門の門番だ。来客とは何年ぶりだろうか」


 ぼくはいきなり目の前に現れた存在に驚いて尻餅をついた。

 柔らかな雲に腰まで埋まった。

 彼女がぼくを心配してしゃがみこむ。


 それは、人の形をした何かだった。

 姿はぼくと背丈の変わらない女性なのに、絶対に及ばない距離があるように感じる。

 そして、それを象徴するかのように、背中に三対の白い翼が生えていた。


「主らがここに来た理由は分かっている」

「願いを叶えてくれるというのは、本当なのか?」

「この場所に関する記憶と引き換えに、な」


 ぼくを見下ろす目が細まった。

 体がカアッと熱くなる。

 ようやく、ぼくの願いが叶えてもらえるのか……。




「では、聞こうではないか! 主らの願いを!」


 高らかに、そして歌うように彼女が言った。




「ぼくは……」



 思い出す。

 ここに辿り着くまでに起こった様々を。



「ぼくは……」



 思い出す。

 地球での記憶を。



「ぼくは……!」



 そして見る。

 今、ぼくのとなりで手を握ってくれている彼女の顔を。

 苦難をともにしてきた、美しき彼女の顔を。



 大きく息を吸った。


「ぼくは! ぼくが殺した彼女に!」


 叫ぶように、ぼくは言葉を絞り出す。





「謝りたいっ!!」





 ぼくは最初、もとの世界に戻り、罪を償いたい、罰を受けたいと思っていた。


 でも、どんな咎でもその優しく暖かい笑顔で包んでくれる彼女と旅して。

 ぼくは己の本当の罪に気が付いた。


 真の罪とは。

 本当の過ちとは。


 ぼくが、ぼくが殺した彼女から目を背けていたことだ。


 ぼくがどれだけ苦しんでも、彼女は癒されない。報われない。

 ぼくの臆病な罪の意識は、そんな簡単なことに気付くのにたくさんの年月をかけさせた。


 ぼくが本当にすべきだったのは。

 彼女に会い、話し、頭を下げることだ。




「お願い、します……」



 ぼく一人では気づけなかった。

 彼女がいてくれたから気づくことができた。

 ぼくは、馬鹿だから……。


 ぼくは、伝えきれないほどの感謝の念を少しだけ込めて。

 彼女の手を強く握り返した。


 ぼくは、もとの世界には戻れない。

 きみとは、ずっと一緒だ。

 だから、長い時間をかけてきみに伝えよう。

 そう思って。





「ふむ。では、主はなにを願う?」


 門番は、視線を彼女に移した。


 ぼくは、彼女の願いを知らない。

 旅の中で、ぼくは彼女の願いを教えてもらえなかったのだ。


「私の願い……」





「私たちを、もとの世界に帰してほしい」

「……え?」




 一瞬で思考が止まり、間抜けな声が出た。

 どういう、ことだ……?



「ここの記憶はあげる。けど、今までの、私たちが出会ってからここに着くまでの記憶は残して」

「ふむ。いいだろう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! どういうことなんだ!?」


 彼女は、優しく微笑んでいた。


「え、は、ちょっと」

「ではまず、一つ目の願いを叶えよう」


 慌てるぼくをよそに、門番は静かに言った。

 その瞬間、門から溢れる光が一層強くなり、何も見えなくなる。





「あ……」

「………………」


 ぼくの隣には、彼女・ ・がいた。

 ぼくが殺した、彼女だ。

 彼女は、静かに微笑んでいた。


「ぼ、く、ああ……」

「ごめんね。いままで黙ってて」


 その声は、ぼくが聞き慣れた彼女の声だったけど、なぜか懐かしい響きをもってぼくに届いた。

 涙がこぼれてくる。


「ぼく……ぁ……、ごめん!」


「ぼくのせいで、きみを、傷つけた!」


「きみの人生を奪った!」




「きみから、逃げようとした!!」




 ああ、そうか。そうだね。

 きみは、ずっときみから目を逸らすぼくを見てきたんだね。



「あのね。嬉しかったよ」

「…………!」


 しばらく黙ってぼくの告白を聞いていた彼女が言った。

 そのときぼくはもう、考えていた、言いたかった言葉が詰まっていて。


「旅の途中で自分の正体に気づいたんだけど。なかなか言い出せなくって」

「そんな…………」

「あたしも、ごめんね。焦ってて、浮ついてて、何も考えずに飛び出して」

「そんな……そんなこと……」

「それで、こんなことになっちゃって」

「違うよ……! ぼくが……!」

「ううん。違うの」




「あたしにも、罪を背負わせて?」


「あたしにも、罰をちょうだい?」




「一人で勝手に納得してるのは、ずるいよ? ね?」




 涙が、止まらなかった。

 どうしたらいいのか、全く分からなくって。

 ぼくは逃げるように泣き続けた。


 ◇◇◇






「では、二つ目の願いを叶えよう」

「「はい」」

「ふむ。ここに来るまでの記憶は残すと、ここに誓おう」

「「はい」」



 ぼくたちを黄金色の光が包む。



「確かに! 主らはここに立ち! 確かな絆をここに刻んだ!」



 ぼくたちはお互いを見合って、微笑み合う。



「その勇気と愛に免じて! ここに願いを叶えよう!」



 手を繋いだ。

 美しい手だ。


 光がより一層強くなる。

 もう彼女の顔も見えない。

 けど確かに彼女は、ここにいる。

 ここに生きている。

 


 そしてぼくたちは、もとの世界に戻った。


 ◇◇◇






「ん……」


 薄暗い部屋に、ぼくは座っていた。

 目の前には、真っ白なベッドがあった。


「おはよう」


 ベッドには、半身を起こした彼女がいた。

 白い服を着て、点滴を腕に繋げている。


 デジタルな時計は午前四時を示していた。


「帰って、きたね」

「うん……」


 真っ白なカーテンからは微かに明るい空が見える。


「実感、湧かないね」

「湧かないね」

「こっちじゃ、罰を受けるのはぼくだけなんだよね」

「うん。そうだね」

「ぼく、あとできみの家族に謝るよ」

「罰を軽くするために?」

「ぼくが楽になるために」

「ずるいよ」

「冗談。ぼくが苦しむために」

「それも、いやだな」


 彼女が小さく咳き込んだ。


「水飲む?」

「ありがと」


 ぼくは、小さな丸テーブルに置かれた250mlのペットボトルを手渡そうとした。

 ふと気付いて、キャップをとる。


「ありがと」


 渡すとき、ぼくの指が彼女の指に触れた。


「暖かい」


 朝日がカーテンの隙間から真っ白な部屋を差す。

 光を背に、彼女は微笑んだ。


「はじめまして、かな……」

「うん。ただいま……」


 どこまでも白い部屋に、その笑顔は美しく咲いた。

 まずはお読み頂き、ありがとうございました。


 人名を出さず、登場人物も極力減らし、落ち着いた感じで淡々と物語を描く試みをさせて頂きました、チャレンジ作品です。

 ぼくの心理描写や彼女の今際の思考など、大変難しかったです。


 私自身、こういう感じの作品は初めてで(短編も初めて)、うまく書けたか不安です。

 あまりないタイプの物語になったんじゃないかなーと思います。

 書いていて難しかったのですが、いい経験となりました。

  

 この作品は、とある作品内で「轢かれた方は苦しい現世から逃げるように転生して、あとに残される人のことも、トラックの運転手のことも考えていないのがいやだ」といった文章を目にしたことをきっかけに書いた作品でした。

 私にはなろう内での流行りに便乗した作品は書けないだろう、と思っていたときにその作品を読み、大きな影響を受けました。

 これはネタになる! と思いましたね。

 そんなですので、トラックで轢いた方がトリップするというなんちゃってテンプレになりました。

 結局両方ともトリップしてんですけどね。


 よろしければ感想頂けると嬉しいです。

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[一言] 作品読ませていただきました。 「よく練り込まれているな」というのが第一印象です。 >手が震えて、赤いボタンがしっかり押せなかった。 などという、非常に細かなところで印象的な表現が見受けられま…
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