分岐
閲覧ありがとうございます。
前回の更新からだいぶ間が開いてしまいました。ようやく次話投稿です。
またお付き合いいただければ幸いです。
イタル達、第二班一行は、わずかに下り勾配のある通路を進んでいた。
更なる洞窟の奥へと続くその坂道は、皆をまるで魔物の胃袋へと誘うかのように、吸い込まれそうな闇に覆われている。
だが、初戦を無事突破した自信からか、サクヤが再び召還した明かりの下で、一行は臆することなく歩を進めていった。
ところどころに見受けられる大岩が引き摺られたような跡は、イチキが唱えた魔法によるものだ。その生々しい擦り跡は、その威力の凄まじさを物語っている。
「このあたりかい、イタちゃんがガイコツと戦ったのは」
そう言ってイワサカは、細かく砕かれた岩が散乱する壁際を指差した。
「そうそう、イチキの魔法に流されて、ちょうどそこの岩に引っ掛かっていたのを見つけたんだ」
イタルは殴りつけた敵の感触を思い出すかのように、右の拳を左手で撫で回した。
「しっかしよ、ミッちゃんならわかるけど、イタちゃんも意外に大胆だよなぁ。ほかに敵がいたらどうしたよ?」
「そうよぉ、ホントに心配したんだからね」
ミトシが怒ったように頬を膨らませてイタルを覗きこんできた。
「あぁ、あん時は夢中だったからなぁ。……うん、今度からは気をつけるよ」
イワサカが、照れ隠しか頭を掻くイタルと、膨れっ面のミトシとを交互に眺めながらニヤニヤしている。
「そ、そんなことよか先を急ごうぜ。あいつらに負けてらんないぞ」
話を逸らすようにイタルがずんずんと歩き出すと、おうよ、とイワサカが答え、ミトシ、サクヤも慌てて後を追いかけた。
途中幾度か、最後尾を歩くサクヤを気遣い後ろを振り返っていたミトシだが、しばらくして意を決したように口を開いた。
「ねぇ、サッちゃん。ちょっと変なこと聞いていい?」
「はい?」
「私、思うんだけど、スー姉ってサッちゃんにはちょっと厳しくない?」
つい先ほどの、分岐地点での姉と妹のやり取りを思い出しての問い掛けだろう。
「そりゃ、あれじゃないのかい。親心っつうの? サクちゃんを守ってやんなきゃっていう気持ちの裏返しじゃないのかい」
イワサカもそのやり取りを見ていたのか、ことさら明るい口調で、慰めるようにサクヤを見やった。
しかしサクヤは、自分を見つめる二人から視線を逸らすように、わずかに俯いて黙っている。
イワサカとミトシが困惑気味に顔を見合わせていると、やがてサクヤは、俯き加減のまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……お、お姉ちゃん、あたしが〈エルダー・テイル〉に登録するって言い出した時、すごく反対したんです。遊んでていい年頃じゃないって言って。でも、あたしが強引に登録しちゃったから……その、怒っちゃって……」
「ーーそうだったんだ」
ミトシはサクヤの告白に少し驚きながらも、そっと寄り添い彼女の手を握った。
サクヤはそんなミトシの気遣いに勇気づけられるように、やや顔を上げて続ける。
「で、でもあたし、お姉ちゃんが夢中になってるものがやっぱり気になって、一緒にやってみたいなぁって思ったから」
「うんうん、わかるわかる。姉妹ってそういうものよねぇ」
そう言ってミトシは、つないだ手をぎゅっと握りしめた。それに答えるように、サクヤはミトシに小さな笑顔をつくってみせた。
だがそれも束の間、サクヤは再び顔を曇らせて俯く。
「でも、も、もしかしたら、今でも怒ってるのかも……しれなくて……」
すると前を行くイタルがすかさず、おずおずと話しを続けるサクヤを元気付けるように声を掛ける。
「んー、それは大丈夫なんじゃないかなぁ。なんだかんだ言ってもスー姉、サッちゃんのことすごく気に掛けてるって思うし、ああいう性格だからさ、優しい言葉とかが苦手なだけなんじゃない?」
イワサカ、ミトシも同意するようにうんうんと頷いている。
「……あ、ありがとうございます」
礼を言いながら、俯いたまま肩を震わせている最年少の仲間を、皆は庇うように中心へと誘った。
幸い、警戒していた敵の追撃に遭うこともなく、一行が更に奥へと進んでいくと、前方に粗末な石造りの階段が見えてきた。
近づいてみると、踏み台部分は足がぎりぎり乗る程度の幅しかなく、ところどころ石が砕けている上に、表面は湿気を帯びて黒光りしている。
階下までの高さは五メートル程であったが、勾配がかなりきついため、上から覗くとまるで断崖の上に立っているかのように思えた。
「ここを降りて地下一階か。滑るから気をつけろよ」
イタルが皆に注意を促した。あとに続いてほかのメンバー達も、足元に注意しながら一歩一歩降りていった。
通路の勾配と歩いてきた距離から推測すれば、この時点ですでに地表の下に入り込んでいるのかもしれない。なんとか全員無事に断崖状の階段を降りきると、まるで氷室の中にでもいるような、底冷えのするひんやりとした空気に包まれた。天井からは無数に氷柱のような岩が垂れ下がり、その岩の先から滴る水滴の落ちる音が、闇に蠢く無数の生き物の足音のように、そこかしこから聞こえてくる。
「うぅ、階を降りたら急に冷え込んできたわね」
ミトシが身震いしながら、薄いローブの上から二の腕を抱えてこすっていると、イタルが口元から薄く白い息を吐きながら見返す。
「そうだな。って言っても、オレ達〈冒険者〉はこの程度の寒さで凍えるようなことはないけど、もしリアルでこんなとこ来たら結構きついだろな」
「リアルかぁ、本物の洞窟もこんなに薄気味悪いのかしら」
ミトシは眉をひそめながら、水音以外は何も聞こえない、薄暗い周囲をおそるおそる見回した。
「どうかな。オレも実際に洞窟には入ったことはないけど、昔テレビでやってた、なんとか探検隊っていうのに出てきたのも似たような感じだったよ」
「テレビ……。もう何年も見てない気がするね。この世界に来てほんのひと月ぐらいだっていうのに、もうずっと昔のことみたい。……私達、いつになったら元の世界に戻れるのかしら」
ミトシが最後に発した言葉を聞いた途端、イタルは一瞬びくりと体を強ばらせ、息を飲み込むようにして黙り込んだ。そのまましばらく黙って歩いていたが、やがてごく小さく、喉から声を絞り出すように呟いた。
「ーーミトシ」
「ん?」
「ミトシ、すまない。……オレ、オレがあの時サークルに誘わなければ、きみをこ、この世界にーー」
「え?」
小声で話す言葉がよく聞き取れなかったのか、ミトシが聞き返そうと身を乗り出したその時、
「あぶねぇ!」
イワサカが叫ぶ声と同時に、風切り音とともに直線状に光るものが一行に向かってきた。矢だ。
第一矢がイタルを襲った。矢はイタルの身体に届く前に、スセリがかけ直しておいた防御障壁にぶつかり、青い燐光を発して跳ね返った。イタルは咄嗟にミトシとサクヤを後方へ突き飛ばし、続く攻撃に備えて自身も防御の姿勢をとる。第一矢を追うように第二、第三の風切り音が聞こえた。イタルは腕をクロスに構え、衝撃に備えた。
刹那ーー。
二筋の鋭い銀色の光が宙を舞った。イタルに当たるはずだった矢は、その銀色の光の軌跡に重なるや、カッという音ともに真っ二つにへし折られ、乾いた音を立てて地面に転がった。
電光石火の早業で腰に下げた双刀を抜き放ったイワサカが、剣舞のような淀みのない動きで、空中を飛ぶ矢を斬り落としたのだ。
「イワサカ、すまん」
「いいってことよ」
イワサカは、腰を落として両手に三日月刀を構えたまま左側の壁際まで移動し、背を預けた。普段の飄々とした態度は影を潜め、険しい表情で前方に鋭い視線を向けている。その視線の先には、頭に羽飾りのようなものを付けた子供の背丈ほどの生き物が、弓に矢をつがえながら、ぎゃ、ぎゃっと声を上げて飛び跳ねている姿を捉えていた。
イタルは突き飛ばしたミトシとサクヤを助け起こしながら、イワサカの反対側、右の壁に寄って身を潜めた。そして、厳しい表情のまま前方を見つめているイワサカに顔を向ける。
「イワサカ、そっから敵が見えるか」
「ああ、敵は三匹。ゴブリンの弓兵みたいだぜ」
「そうか。距離があると厄介だな。どうしようか」
「遠隔攻撃なら私がやろうか?」
悩むイタルにミトシが声を掛けた。
「いや、ここで派手な技は使わない方がいいだろう。後ろにどんな敵が潜んでるかわからないし」
「ああ、オレっちもそう思う。ゴブリン程度ならイタちゃんと二人でサクッとやっつけてくるぜ」
通路の反対側から、イワサカがぎりぎり聞こえる程の小声で応じた。
イタルはミトシとサクヤに無言で頷くと、ミトシもやはり無言で頷き返し、サクヤとともにゴブリンの死角に入るように、岩壁にぴたりと身体を押し付けた。
二人の安全を確認したイタルが、今度はイワサカに視線を向けて頷くと、イワサカは素早くイタルの傍らに移動し、連れ立って静かに壁伝いに進軍を始めた。
イタルが視線を前に向けたまま、すぐ後ろにいるイワサカに小声で囁く。
「先ずオレがやつらを引きつけるから、隙をみて一気にやってくれ」
「オッケー」
二人が目標まであと五メートル程の距離に近づいた時、その接近に気付いたらしいゴブリン達が、なお一層騒ぎ立てながら矢を放ち始めた。イタルの鼻先の岩に何本もの矢がぶつかり、甲高い音を立てる。
そのうち、ぎゃぎゃっとわめく声がわずかに移動しだした。死角にいる二人を別の角度から狙い撃とうとしているようだ。
「今だ!」
矢が放たれる間隙を縫い、イタルは姿勢を低くして一気にゴブリン達の眼前に飛び出した。
「〈モンキーステップ〉!」
叫ぶや否や、イタルは猿を模したような奇妙な動きでゴブリン達の間を跳ね回り、挑発し始めた。
神経を逆なでするようなその動きに、三匹のゴブリンは地団駄を踏みながら、吊り上がった両目を更に吊り上がらせると、手に持つ弓をめちゃくちゃに振り回しだした。
イタルはその攻撃を避けつつ少しずつ後ろに下がりながら、激情に駆られるゴブリン達をイワサカが潜む岩陰へと巧みに誘導していった。
そしてイワサカの間近までゴブリンの集団を引き込むと、バックステップを踏んで一足飛びに距離を取ると同時に叫ぶ。
「イワサカ、チェンジ!」
直後、イワサカが一迅の風のように素早くイタルとゴブリンの間に滑り込み、双刀を水平に構えてスキルを発動する。
「〈ワールウィンド〉!」
その場で片足を軸に一気に回転を加えると、たちまち刃物を突き出した凶悪な旋風が湧き起こり、目の前のゴブリン達を巻き込んでいく。
勝負は一瞬でついた。反撃の間もなく敵は無残に切り刻まれ、そのまま光の粒となって掻き消えた。
「よっしゃ!」
二人が拳を重ねて健闘を讃え合ったその時、
「ぐるるるるっ」
前方で左方向へ直角に折れた奥から、獣の唸り声のようなものが聞こえた。
イタルとイワサカは咄嗟に左側の壁に身を潜めた。
「な、なんか聞こえたな。今」
「ああ。何がいるのかわかんねぇが、気付かれちまったかな」
「どうだろ。ちょっと覗いてみようか」
二人はおそるおそる、通路の壁が途切れるあたりまで移動すると、そうっと岩陰から顔を出し、左手に大きく口を開けた先を覗いてみた。
そこは広間になっているらしく、高い天井と遠くにうっすらと見える壁が確認できた。その中に数体の何者かの影が動いているのが見えたが、薄闇に阻まれてそれ以上のことはわからない。
「うっ! 何だこの臭い」
突然イタルが弾かれたように身体を仰け反らせ、鼻を押さえた。
「どした!」
イワサカが慌ててイタルの肩を掴んだ。
「きゅ、急にな、何かが腐ったような臭いがしたんだよ。うぅ……」
イタルは鼻を押さえながら涙目になっている。
「はは、イタちゃん〈狼牙族〉だから人一倍鼻が効くんだっけな」
「ああ。だけど、お陰で敵の正体が大体わかったよ」
「そ、そうかーー」
二人はあからさまな嫌悪感を顔に現しながら、あるものを連想してふぅと大きなため息をついた。
そして元いた場所まで後退すると、イタルはミトシとサクヤに手招きをする。
ミトシとサクヤが合流すると、イタルは敵に気付かれぬよう、声をひそめて話し始めた。
「この先の広間に敵がいる。暗くて何体いるかはわからない。けどな、臭いでわかったんだけど、どうやら敵はゾンビの類らしいんだ」
「うげっ」
ミトシが思わず、麗しい外見に似合わぬ声を上げた。アニメや映画で見るならともかく、実際に腐った死体と相まみえて闘うなどという体験は、女性にはことさら過酷なものだろう。
今にも卒倒しそうな顔をしているミトシとサクヤを見兼ねて、イワサカが声を掛ける。
「大丈夫かい。ミトっち、サクちゃん」
「だ、大丈夫。気持ち悪いけど、やるしかないわよね」
そう答えるミトシの横で、真っ青な顔をしたサクヤもこくこくと頷いた。
「よし。ミトシ、灯火の巻物は持ってるよな。そいつを投げ入れたら戦闘開始だ」
「わかった。ちょっと待ってて。あ、サッちゃん、今のうちに二人に〈リアクティブヒール〉を」
サクヤは頷くと、杖を掲げスキルを詠唱した。ミトシはその間に素早くバッグを探ると、一本の巻物を取り出した。
「あった。じゃ、いくわよーっ。それ!」
ミトシは手に持った巻物を勢いよく広間に投げ込んだ。巻物は回転しながらきれいな放物線を描くと、広間の中央付近に着地した。そして着地と同時にぼうっと燃え出し、薄闇に包まれた空間を一気に明るくした。
「よし、行くぞ!」
「おう!」
掛け声と共に、四人は一気に広間に躍り出た。
前衛にイタル、イワサカ。後衛にミトシ、サクヤ。陣形を整え、それぞれが武器を構える。
明るく照らし出された広間は、直径二十メートル程の縦長のドーム状になっていて、一行が相対する壁側には一枚の平らな岩が横たわり、一段高い祭壇のような様相を見せている。
「これは……ゾンビ?」
ミトシが半分顔を背けながら、その祭壇上の岩の前で牙を向く、二体の見慣れぬモンスターに首を傾げた。
イタルが答える。
「いや、これはグールだ。ゾンビよりずっと危険なやつらだぞ」
猛った虎を彷彿とさせる黄色く鋭い目に、口から無秩序に突き出された乱杭歯、毒を含み緑色を帯びた手の爪がその特徴だ。ゾンビの上位種にあたり、その攻撃力、耐久力ともにゾンビを遥かに凌駕する。
ぐるるるっと絶えず唸り声を上げ、今にも飛びかかってきそうな凶悪な風貌の敵を前に、皆は怖気づきそうな気持ちを踏み止まらせようと、両足にぐっと力を込める。
わずかに視線を外して広間を見渡しても、先に進める道は見当たらなかった。だが、ここがこの階の終着点であるなら、なんとしてもこの怪物を倒して、その先の道を探し当てるほかなかった。
両者動かないまま対峙することしばしーー。
「せやっ!」
覚悟を決め、気合一閃、イタルがグールに飛びかかろうとしたその時、
「ぎやああぁぁぁぁっ」
グールが悲鳴にも似た雄叫びを発した。
黄色く濁った双眸をギラリと光らせ、崩れかけた顎から乱杭歯を剥き出しにして威嚇する姿に、イタルが一瞬怯んだ。
次の瞬間、その雄叫びが合図だったかのように、二体のグールの周りの土が盛り上がり始めた。数にして三つ。
土塊は地から湧き出すようにみるみる盛り上がると、その頂からぬっと人の腕のようなものが突き出された。右腕、左腕、頭、胴体、足と三つの土の山から次々と現れたものは、最初の二体と全く同じ姿をした怪物、すなわちグールだった。
「ひっ」
傍らのサクヤの頭を抱え込みながら、ミトシが思わず悲鳴を上げた。
「増えやがった……」
イワサカが苦々しい顔で、新たに出現した敵を凝視した。
やがて五体のグールは、同じ顔、同じ姿勢で口々に雄叫びを上げると、今にも肉が削げ落ちそうな腕を突き出し、一行に向かって前進を始めた。
グール達は両の腕を上下左右にゆっくりと揺らしながら、緩慢な動きで徐々に迫ってくる。突き出した腕は生気のない土気色をしているのに、爪だけが異様に鋭く、鈍い緑色の光を放っている。
「グール五匹か。上等ーー」
イタルは一歩踏み出すと、敵に向かって飛び込む構えを見せた。が、
「敵は……これだけか?」
訝しげな面持ちで逡巡するイタルに、臨戦態勢で双刀を構えたイワサカが顔を向ける。
「イタちゃん、どしたっ?」
「いやな、聞いた話だと、地下一階の奥にはボスがいるって言ってたような……」
「――まぁ、考えるのは後にしようぜ。先ずはこいつらをサクッとやっつけちまおう」
「そ、そうだな。ふんっ〈ワイバーンキック〉!」
イタルは目の前の一体にスキルで一気に差を詰めると、胸に飛び蹴りを喰らわせた。そしてその反動を使って飛び退ると、後方宙返りをしながら着地した。
攻撃を受けた相手が勢いよく後ろに倒れこむ。だがしかし、すぐにむくりと立ち上がると、長く伸びた爪ですかさずイタルに襲いかかった。イタルはその攻撃をギリギリまで惹きつけると、爪が当たる直前でひらりと躱す。グールの腕が虚しく宙を掻いた。そこへ間髪を入れずコンボでパンチを入れる。
「ちっ、腐ってもゾンビの上位種だな。簡単には倒れないや」
イタルはひとりごちると、サクヤに向かって叫ぶ。
「サッちゃん、こいつに光輝属性の魔法をぶつけてくれ!」
「はいです!」
サクヤは、後ろから肩を抱くミトシと顔を合わせて大きく頷き合うと、杖を高く掲げて詠唱する。
「〈ホーリーライト〉!」
途端に、杖の先に眩いばかりの白い光が凝集する。それがこぶし大の大きさに圧縮されるのを見計らい、サクヤは前方に向かって思い切り杖を振り下ろした。
解き放たれた白い光は、直線となってイタルと対峙するグールに向かって飛んでいった。そしてその光の筋がグールの胸元に吸い込まれると、次の瞬間、パンッと弾けるように、目も眩みそうな放射線状の光を放出した。
ぐえっと、グールは短い唸り声を上げた。だが、その後に続く声はなかった。呆気ないほど簡単に、白光はグールを緑色の光の破片へと変えた。
「おおぅ、さすが不死特化の攻撃魔法だなぁ。サッちゃん、よくやったぞ!」
イタルの掛け値なしの賞賛の言葉に、サクヤは頬を赤くして微笑んだ。
だが次の瞬間、サクヤの顔が強ばった。残りのグールが、ギロリと凶暴な眼差しをサクヤに向けたのだった。
しかし、その敵意がサクヤに届くことはなかった。イワサカが素早くグールの群れに接近し、そのうちの一体に攻撃を入れた。
「そりゃ〈ブラッディピアッシング〉!」
イワサカは上体を深く沈み込ませると、頭を中心に縦方向に身体を捻った。同時に、突き出した両手の三日月刀をスクリューの羽根のように振り回し、グールの下肢に切りつけた。三日月刀の切先から獣の牙のような赤い光が飛び出し、グールの太ももに突き刺さる。敵は堪らず、脱力して膝から崩れ落ち、動きを止めた。
すかさず、イワサカは連続攻撃に入る。
「行くぜ〈スラストジョーカー〉!」
上段に振りかぶった二本の刀を、左右から袈裟懸けに斬りつける。刀身が緑色に輝き、グールの両肩にめり込んだ。しかし、まだ敵は倒れない。
「ちぇっ、クリティカルはナシか。サクちゃん、こっちにも止め頼む」
「はいっ〈ホーリーライト〉!」
再び、サクヤの杖の先から放たれた白い光が手負いのグールに攻撃を加えると、またもや見事に、それを光の破片へと変えた。
「よしっ、残り三!」
「イタちゃん、残りはまとめてオレっちがやるぜっ」
「わかった。任せた!」
間髪入れず、イワサカが範囲攻撃のモーションに入った。
だがその時、ミトシが祭壇状の岩盤の更に奥の壁を指差し、震えた声を上げる。
「――み、見て、あそこ。壁から何か出てくる」
三人がミトシが指差す壁に目を向けると、その壁をすり抜けるように何者かがせり出してきていた。
バチッバチッと放電にも似たラップ音を響かせつつ、次第に、朧に光る半透明の幽体が姿を現した。頭からすっぽりと黒いボロ布を被り、目だけを深紅に光らせたその幽体は、壁から完全に抜け出ると、細かな青い稲妻をまとわり付かせながら、祭壇状の岩盤の上にゆっくりと降り立った。いや、正確には僅かに身体を浮かせ、ゆらゆらと宙を漂っている。
「レ、レイス! こいつがボスか!」
「くっ、面倒なのが出てきたな。レベルも六十近いぞ。こりゃ気合い入れねえと」
レイスもまた、ゴーストなど幽体系の不死族の上位種であり、麻痺等の特殊攻撃を駆使する危険な相手である。
レイスはコホォと口から蒸気のような息を吐き出すと、右手を持ち上げてイタル達を指差した。するとそれに呼応するように、三体のグールが牙を剥き出して叫び声を上げ、一行に襲いかかってきた。
「イワサカ、レイスの麻痺攻撃は厄介だ。先にやつからやっつけよう」
「わかった!」
イタルは〈ファントムステップ〉を発動して、殺到してくるグールの間を軽やかにすり抜けると、その後ろに悠然と構えるレイスに肉薄した。
イタルは目の前のレイスに渾身のパンチをぶつける。
しかしレイスは、ふわりと身を翻して攻撃をよけると、身体を浮かせたままイワサカの目の前にすうっと移動し、腕を伸ばしてくる。
「おっと」
イワサカはその腕を身体に触れられる寸前のところで躱すと、右手の三日月刀で斬りつける。だが、捉えどころのないレイスの動きに翻弄され、思うように攻撃が当たらない。
「このっ、ちょこまかと」
攻めあぐねて苛立ちを隠せないイワサカに気を取られ、イタルが一瞬動きを止める。そして迂闊にも、背後に迫るグールに気付くのが遅れた。
「ヤバい!」
グールの接近に気付いたイタルは、すぐさまバックステップで逃れようとしたが、周囲を取り囲むグールに動きを阻害された。
覆い被さろうとするグールから、なんとか逃れようともがくイタルの背後に、音もなく黒い影が近寄った。
その直後。
イタルの背に冷たいものが触れた。
「あがっ、し、しまった!」
身体が硬直した。
触れたのはレイスの手だった。イタルに触れた瞬間、レイスの麻痺攻撃がその身体の自由を完全に奪った。
声だけは辛うじて出せるものの、肝心の身体はぴくりとも動かない。
そしてその機を逃さず、イタルを囲んでいるグール達が一斉に鋭い爪で襲いかかってきた。更に唾液にまみれた牙で噛み付いてくる。
「イタくん!」
ミトシが悲痛な声を上げる。
ミトシとサクヤは杖を掲げ、魔法でグールを撃退しようとするが、その度にレイスが、あざ笑うかのようにふわりと体を寄せてきては詠唱の邪魔をする。
イタルは防御障壁に守られて何とか攻撃を凌いでいたが、さすがにそれにも限界がある。グールの執拗な攻撃の前に、とうとう障壁が無残に砕け散った。
「ーーか、身体が動かない」
頼みの防御を失ったイタルの身体に、グールの緑色に光る爪が容赦なく襲いかかり、イタルが苦悶の声を上げる。
「ぐあっ」
爪で無数に引っかかれた箇所が黒々と変色していった。それにつれてHPの残量がみるみるうちに減少していく。
「あぁぁっ! イタくんが毒にーっ!!」
今にも泣き出しそうな顔で叫ぶミトシの声が洞窟に響き渡った。