洞窟行
〈ミッドナイト・オウル〉一行は洞窟に飛び込むと、警戒陣形として、馬での行軍時とほぼ同じ並びで隊列を組んだ。
先頭に〈守護戦士〉のミナカタ、〈武闘家〉のイタルが並び、ミナカタの左斜め後方に〈暗殺者〉トシ、イタルの右斜め後方に〈盗剣士〉イワサカ。その四人に守られるようにして、中心に〈神祇官〉のスセリ、その左右にそれぞれ〈妖術師〉のイチキ、〈召喚術師〉のミトシがが並び、最後尾でミトシに庇われるように〈施療神官〉のサクヤ。
洞窟の入り口付近こそ、差し込む陽の光で明るくなってはいたものの、数十メートルも進むと視界はとたんに悪くなった。だがその代わり、発光性の苔が岩に疎らに張り付いているため、目が慣れてくれば全くの暗闇という訳ではないことがわかった。
長い年月をかけて外から土砂が流れ込んでいたのか、小石混じりながら、洞窟の底には湿った土が固く堆積している。そのおかげで歩くのに不自由は感じない。
しかし、そこから上に伸びる岩壁は堅牢で、石の牢獄を思わせた。広さには余裕があるとはいえ、さすがに八人での行軍となると、左右に迫る壁にかなりの圧迫感があるのは確かだった。その上、薄暗い洞窟内では、視界が限られることでことさら空間に圧力を感じるのか、皆の呼吸も自然と早くなっていく。
洞窟特有の湿気を含んだ瘴気が、息をするたび突き刺さるように鼻腔に充満した。加えて、吸い込む息に時折混じる獣臭さが、奥に潜む何者かの気配を予感させ、それが更に皆の呼吸を浅く、早くさせる。
「そういやこの世界に来てから、ダンジョンに潜るのって初めてだよな」
薄気味悪そうに周りを見回しながら、イタルはぼそりと、すぐ傍らを歩くミナカタに声を掛けた。
「だな。フィールドなら敵との距離も取れるし陣形もつくりやすいが、こう狭くっちゃぁ逃げ場もねぇし、やりにくいぜ」
ミナカタは答えながら、左手のすぐ脇に迫る、湿気をはらみ鈍く黒光りする岩の壁をガツンガツンと叩いた。
岩は固く、ミナカタが叩いたぐらいではびくともしなかったが、その代わりに、金属の小手と岩とがぶつかり合う甲高い残響音が、小さく数回繰り返された。
「おっと」と、ミナカタは慌てて手を引っ込めると、そっと後ろを振り返った。
残響を気にした者はいないようだ。というよりむしろ、気にする余裕もなかった、というほうが正確かもしれない。生身の身体での初めてのダンジョン攻略の緊張からか、皆、硬い表情をして無言で歩いている。
「この身体で戦うのもまぁ、だいぶ慣れてはきたけど、後ろを気にしながら戦うのは難しそうだなぁ」
ミナカタにつられて、イタルも後ろを振り返った。未知の戦闘への不安を隠しきれず、わずかに顔を曇らせる。
「まぁあれだ、後ろのこたぁ後ろの連中に任せときゃいいのさ。オレ達の役目は一匹の敵も通さねぇことだろ」
ミナカタはそんなイタルを見やると、歯を見せてニカリと笑い、ガシャリと左手で右上腕部の辺りを叩いて力こぶを強調してみせた。
「ああ、そうだな。頼りにしてるぜ、筋肉防壁」
「おめぇも盾役だろ。狼男の底力、期待してるぜ」
二人は顔を見合わせニヤリと笑うと、同時に拳を突き出し強く打ち合わせた。ミナカタの鉄の小手と、イタルの鋲をはめ込んだスタッズグローブとがぶつかり合い、カツンと金属音を響かせた。
「明かり、点けたほうがいいかにゃ?」
イチキが、右手に持つ杖を振り回しながら皆に尋ねた。
陽の光が届かぬダンジョンでは正確な時はわからないが、かれこれ三十分以上は歩いているだろう。
左右を見渡しながら、スセリが答える。
「そうね、だいぶ奥まで来て視界も悪くなってきているし、お願いするわ」
ほいきた、とイチキは頷くと、「〈マジックトーチ〉!」と〈妖術師〉の魔法スペルを唱えた。振りかざした杖の上にぽんっと、愛嬌のある顔が浮かんだオレンジ色の光球が現れる。すると今しがたまで、自分の周りの半径三メートル程度が薄ぼんやりと見えていた視界がパァッと開け、両脇のゴツゴツとした岩壁や、ゆるやかに蛇行する洞窟の先までが見通せるようになった。
「大丈夫? 敵に見つかったりしない?」
不安げに尋ねるミトシに、
「一応、遠隔攻撃に注意しておいたほうがいいわね。念のため前衛二人には障壁を付けておくわ」
スセリはそう答えると、先頭のミナカタとイタルに向かって〈神祗官〉の防御魔法〈禊ぎの障壁〉を唱えた。
ミナカタとイタル、二人の目の前の何もない空間に、シュンと無機質な作動音を立て、青く光る魔法陣の壁が一枚づつ小窓のように浮き上がり、やがて消えた。
「サンキュー、スー姉」
「助かるぜ」
「サクヤ、あなたも一応、明かりをつけてちょうだい」
「うん、わかった。お姉ちゃん」
スセリの指示にサクヤはこくんと頷くと、両手で持つ杖を掲げた。
「〈バグスライト〉!」
〈施療神官〉の照明魔法が発動し、杖の先に、同じく小さな目と口をもつ青白い光球が浮き出して周囲を照らした。
「なんかちょっと、おかしくないかい?」
しばらくして、イワサカが怪訝な顔をしながら、前を歩くイタルに問うた。
「何が?」
「いや、ほら、ダンジョンっつったらよぉ、もっとこう敵がウヨウヨしてるんじゃ……」
「まぁ、普通はそうなんだろうけど」
「ぬ! やっぱ例の〈シャドークラックス〉とかいう連中にもう荒らされちまったとかか?」
ミナカタがはっという顔をして話に割り込んできた。
「いや、それはないと思うよ。戦った跡も見当たらないし、ここはもともと経験値稼ぎのダンジョンじゃないからな。敵の数はそんな多くないんだろ」
すぐ後ろを歩くスセリもイタルに同調する。
「私もそう思うわ。このクエストは受注に成功した時点でほぼ目的を達成したようなものだから、途中の難易度はそんなに高く設定されてないんじゃないかしら」
「ふーん、そういうもんか。ま、敵が少ないほうが今は助かるがよ」
「だな」
一応、敵は少ないとの結論に達したものの、洞窟を曲がった先、あるいは岩陰に敵が潜んでいないという保証はない。二つの魔法の明かりを頼りに、一行は慎重な足取りで更に洞窟を進んでいく。明かりに照らされて壁に長く伸びる影が、一行を取り囲むように音もなく静かに追尾してくる。
「ひぁっ」
突然、最後尾を歩くサクヤが小さな悲鳴を上げ、明かりの灯った杖を取り落とした。照明の落下につれて前を歩く皆の影がぐにゃりと歪み、杖が乾いた音を立てて地面に転がった。
「サッちゃん、どうしたの?」
斜め前を歩いていたミトシがサクヤを覗きこんで尋ねた。
「す、すみません。い、今、何か黒いものが目の前を通った気がして……」
「にゅ! く、黒いもの!?」
イチキが引きつった顔をして飛び退った。その拍子に背中を岩壁にぶつけ、更に顔を引きつらせた。
「ちょっと大きめのコウモリかなんかじゃねぇのか?」
「は、はは。そ、そうだよなぁ。黒いものとか……」
ミナカタとイワサカが苦笑いをして顔を見合わせるなか、意外な男が口を開いた。
「実は、オレも、森の中で、おかしな気配を感じた」
「いっ!? そ、そうなのか?」
トシの突然の告白に、ぎょっとして振り返るイタル。
「ちょ、ちょっとトシちん!! そういうことはちゃんと言ってくれにゃいと! 無口にもほどがあるにゃっ」
イチキもまた驚きのあまり、今にもトシに掴みかからんとした。
が、その直前、不意に彼女の身体がふわりと宙に浮いた。
「ったく、怖がり過ぎなんだよ。おめぇはよ」
ミナカタがイチキの襟を掴んで、ひょいと空中に持ち上げたのだった。イチキの持つ杖も、その手を離れ地面に転がる。
「こら、離せっ、ミナカっちん!」
叫びながらイチキは、なおも手足をばたつかせている。
「ス、スマン。振り向いても何もいなかったから、気のせいだと思った」
トシはイチキの剣幕にたじろいで思わず身体を仰け反らした。
「さっきのがコウモリだって言うんなら、トシくんが森の中で感じたっていうのは低級エネミーか何かなんじゃない?」
ミトシは地面に転がる二本の杖を拾い上げると、「はい」とサクヤと、ミナカタの捕獲から開放されたイチキに手渡した。
一連の騒動を黙って見ていたスセリだが、呆れたようにふぅっと短い溜息をついた。
「まったく、敵が騒ぎを聞きつけて寄ってきたらどうするの? そんなことより、そろそろ分岐地点も見えてくるはずよ。トシ、偵察頼めるかしら?」
「了解した」
イチキの追求を逃れるかのように、トシはフッと音もなく姿をかき消し、洞窟の闇に溶けていった。
「ひゅーっ、トシちゃんの技はいつみても惚れ惚れするねぇ~」
イワサカが見惚れるように軽く口笛を吹いた。
〈暗殺者〉の存在意義は、攻撃における決定力もさることながら、その偵察能力にある。
事前に敵の情報を知り、先んじて戦いの準備を整えられる優位性を考えれば、自らの気配を絶ち暗闇ですら見通す職能は、戦闘において大きな助けになるだろう。加えてトシは、サブ職業に〈斥候〉を取得し、その偵察能力に更に磨きをかけている。
残されたメンバーは、先ほどの騒ぎが嘘のように、息を潜めて斥候の帰還を待った。
そして程なく、やはり音もさせず、トシが戻ってきた。
「敵がいた。この先の広いところに重装備のスケルトン兵士八体」
「やっと出やがったな。いよいよ戦闘開始だぜっ!」
ミナカタが不敵な笑みを浮かべ、気合を入れるように右の拳と左の掌をバシッと打ちつけた。
ミナカタの鼓舞に促されるように、皆は意識を戦闘へと切り替えた。
イタルがイチキとサクヤに手で合図を送り、二人が杖の先に灯している明かりを消させた。不死族は生者の波動を読み取り、暗闇の中でもその存在を感知すると言われている。その説からすれば、イタルのこの指示は無意味とも言えなくもないが、心情的に、少しでもこちらの接近を敵に気取られたくないがための行動だろう。
一行は手で壁を伝いながら、ゆっくりと慎重に歩を進めていった。
三十メートルばかり進んだあたりだろうか、前方の右側に薄ぼんやりと広間の入口らしきものが見えてきた。足音を忍ばせて更に近寄ると、一行は身を屈めて入口付近の岩陰に身を潜めた。
先行する男性陣が、右手の壁に身を寄せそっと広間を覗いてみると、そこは確かに、天井高の大きく開けた空間になっていた。更に目を凝らすと、その広間の奥、一行からみて反対側の壁付近に、ぎこちなく行ったり来たりしているかすかな影が見える。
「大丈夫だ。やつらまだ気付いてないみたいだ」
暗視のできる〈暗殺者〉トシが、広間を凝視して仲間に告げた。身体能力の優れた〈冒険者〉といえども、暗闇での敵情視察は専門家に頼るしかない。
「トシちゃん、さっき重装備っつてたけど、どんな具合よ?」
「そこそこいいグレードの鎧兜と盾、剣も持ってる」
「ふむ、ただのスケルトンじゃねぇってことか」
「中はどうなってる? 広いのか?」
「結構広い。直径で三十メートルぐらいはあると思う。あと、後ろの壁に通路が二つ開いてる」
「なーる、分岐地点の門番って訳か。この先に行きたきゃやつらの屍を越えてゆけってこったな」
「ふにゅー、ガイコツかぁ。ちょっと苦手だにゃぁ」
男性陣が頭を寄せ合って軍議に勤しんでいる後ろで、イチキが浮かない声で呟いた。
すると、すぐ傍らにいたミトシが、そんなイチキに肩を寄せ、慰めるように声を掛ける。
「まあ、好きな人はあまりいないんじゃない? 私なんて、理科準備室だって一人じゃ入れなかったもの」
ミトシの意外な打ち明け話に、イチキも気の重さを忘れて思わず笑い声をこぼす。
「にゃはは、人体標本にゃろ? 学校の七不思議、登場回数ナンバーワン!」
「あは、夜な夜な歩く標本ね。あれをリアルで体験することになるなんて、思ってもみなかったわ」
「にゃはは、ホントホントー」
軍議に励む男性陣をそっちのけで雑談に花を咲かせる二人に、前方のスセリがたまらず振り返った。
「ふふ、おしゃべりも楽しいけれど、そろそろ集中しましょ。敵は目の前よ」
笑顔を見せているスセリだが、目が笑っていない。
「は、はーい」
二人は返事をしながら恥じ入るように首をすくめ、顔を見合わせてぺろっと舌を出し合った。
男性陣は、自分達の後ろでそんなやりとりがあるとも知らずに、敵の潜む広間を見つめて軍議を続けている。
「敵は八体っつったよなぁ。どう攻めるよ?」
「そうだなぁ。トシ、弓とか持ってるやつはいるか?」
「いや、いない」
「そうか。よし、じゃあ短期殲滅作戦だ。応援が湧いたりしたら嫌だしな」
「了解だ。んじゃオレ達殴られ屋が敵を引きつけて、その隙に魔法部隊の一斉攻撃ってな感じだな」
「という訳でスー姉、後方部隊のほうは頼んだよ」
そう言いながら、イタルは後ろで耳を傾けていたスセリを振り返った。
「わかったわ。くれぐれも無理しないでね」
「よっしゃ、行くか!」
「ああ、ぶちかまそうぜ!」
気迫を込めてすくっと立ち上がるミナカタとイタル。
ほかの仲間達も続けて立ち上がり、引き締めた眼差しを敵のうごめく先へと向けた。