突入
道中に出会う〈大地人〉達に何度か道を尋ねながら、一行は目的地である〈ノーザンウィルの洞窟〉を目指していった。
危険だから行くなと引き止める〈大地人〉達に、洞窟のモンスター退治に向かうところだと説明すると、彼らはこぞって一行を救世主のごとく歓迎し、旅の労をねぎらう言葉を掛けてくる。
なかには、涙を流しながら討伐を懇願する者もいた。モンスターの被害は深刻なようだ。
一行は、この付近にもモンスターが出没するのではないかと警戒したが、集落が襲われるのは主に夜中だと聞いて、ひとまずは安堵した。
希望を託すように大きく手を振って見送る〈大地人〉達に別れを告げ、一行は再び馬を駆った。
「何だか不思議な気分ね」
すぐ横を走るスセリに向かって、ミトシが半ば独り言のように呟いた。
「うん?」
「ほら、〈大地人〉の人達。単にNPCが人間になったっていうだけじゃないでしょう? 何というか、その……」
うまく言葉を選べず言いよどむミトシ。
スセリは顔を上に向けてやや思案しながら、ミトシが言わんとすることを代弁するように言葉を引き継ぐ。
「……えっと、つまり、あの人達にも皆、歩んできた人生があって、日々の暮らしがあって、家族もいて……」
「そうそう。それを考えるとね、〈大地人〉の人達を今までモニター越しに見ていたはずなのに、それなのに、今ここでその人達とお話しをしている私達って、いったい何なのかしらって…あぁ、もう、頭こんがらがってきちゃったわ」
思考を上手くまとめられないもどかしさで、金糸のような髪を乱し悶えるようにかぶりを振るミトシに、スセリは顔を向けてふふっと柔らかく微笑みかけると、まるで哲学者のごとく遠くを見やり、自問するように彼女の言葉を繰り返す。
「――私達が何なのか、か。そんな答えなんて永遠に出ない気がするわね」
流れる景色の片隅に、農作業に勤しむ農夫とその家族と思しき子供達の姿が目に映る。その光景を、二人はしばし黙って目で追っていた。
やがてスセリは、先程とは打って変わって強い光を湛えた眼差しをミトシに向ける。
「でも、ひとつ確かなのは、今、モンスターを討伐しておかないと、あの人達にまた被害が出るって事だわ」
「そう! そうなのよね。プレッシャーかかるけど……頑張りましょう」
「ええ、頑張りましょう!」
二人は大きく頷き合った。
途中、ごく最近モンスターの襲撃を受けたという集落があった。被害への慰めの言葉を掛けつつも、村人から、出没するモンスターの種類や数などひとしきりの情報を集め、一行はいよいよモンスターの待つ洞窟へと足を向けた。
程なくして見えてきた分かれ道を、村人に教えられた方向に馬を向け走らせていくと、それまでの牧歌的な風景は次第に荒々しいものへと変貌していった。
無秩序に生い茂る雑木の合間から、ゴツゴツとした荒削りな地肌をむき出しにした岩山がいくつも乱立し、その岩陰から今にも敵が現れてきそうな、不気味な様相を呈していた。
岩山の間を縫うように続く道を、辺りに注意を払いながら一行が更に奥へと進んでいくと、やがて、ひときわ巨大な岩山に突き当たった。
高さ三十メートル程はあろうか。その、一行の行く手を遮る壁のような威容は、屹立する周囲の岩山を、まるで下僕を従えるかのように圧倒していた。
根本からは台地状の岩盤が三層ほど積み重なっており、その岩山の正面、三層目の台地の上から生える灌木に隠れるように、黒々とした洞窟の入口らしき横穴がひっそりと口を開けているのが見える。
その岩山の手前は、差し渡し十五メートル程の、ぽっかりと開けた広場状になっていた。一行はその広場の中心付近まで進むと、一旦馬を止めた。
馬上でスセリがクエスト受注時に手渡された地図を広げ、記された地形を確認する。そして顔を上げると、ぐるりと周囲を見渡す。その後、再び地図に目を落とすと、やがて確信をもって頷く。
「ここで間違いないわね」
断言するスセリの言葉を合図に、彼女の確認作業の一部始終を傍らでじっと見つめていた仲間達は、ぐうっと大きく伸びをして、長旅の疲れを吹き飛ばすように一斉に元気な声を上げる。
「着いたにゃーっ」
「うんうん、やっと着いたねー」
「ここが……」
「〈ノーザンウィルの洞窟〉、だねぃ」
「うっし、早速突撃しようぜ!」
「ミナカタ、ちょっと待って! みんなもまだ馬から降りないで」
今まさに、馬から飛び降りようと勢い込んでいたミナカタだったが、背中から飛んだスセリの鋭い声に、ぴたと動きを止めた。
「あ? 何でだ」
突然の制止に、馬から降りかけた格好で固まっていたミナカタだったが、勢いを削がれた憤まんから、振り向きざまにくわっとスセリを睨んだ。
「ええ、ちょっとね」
スセリは、ミナカタの怒気を含んだ視線をさして気にも止めず、意味ありげな短い返答をするや、ひとり狩衣風の装束をはためかせながらひらりと下馬した。続けて、手綱を掴んだまま片膝立ちにしゃがみ込むと、地面に顔を近づけ周辺を調べ始めた。
「なにか落としたのかい?」
とぼけたような言葉を掛けるイワサカを始めとして、皆は不思議そうにその様子を見守っている。すると、後ろで人知れず馬を降りていたトシが、馬を曳きながらスセリに近づいてきた。
「持っててくれ。オレも探ってみる」
トシはスセリにそう告げると、自らの掴んでいた手綱を差し出した。ただひとり、彼だけがスセリの行動の意味を理解したようだ。
スセリはすくと立ち上がると、軽く頷き、トシから手綱を受け取る。
「あ、ええ、お願い」
返事が聞こえるか聞こえないかのうちにトシはさっと身を翻すと、二、三歩大きく跳躍しながら、周囲に茂る藪の中へと姿を消していった。
藪から藪へ、岩場から岩場へと子リスのように飛び回っては何かを調べているトシを、皆は黙ってしばらく目で追い掛けていたが、イタルが突然、はたと閃いたように手を打つ。
「ああ、そっかー。オレ達の足跡が付く前に、例の別パーティーが来ていないか調べてたってこと、だよな。ダンジョンに気を取られてて全然気が付かなかったよ」
「ごめんなさい。私も急に思いついたものだから。説明不足だったわね」
スセリは少し照れたように、小首を傾げてはにかんだ。
それをじっと見つめていたミナカタが、ほうっと心底関心した様子で声を上げる。
「いやいや、さすがはオレ等のギルマスだぜ。やることに抜かりがねぇ」
「い、いひゃ」
ミナカタの思いもよらぬ賞賛の言葉に、スセリはびくっとして動揺したように妙な返事をした。が、直後、自分の発した声に驚き、思わず口を抑えて下を向いた。
「スー姉、お?」
呆気にとられているミナカタを筆頭に、スセリの滅多に見られない狼狽ぶりに一同は目を丸くした。一体何事が起きたのかと皆が顔を見合わせ訝るなか、ひと通りの探索を終えたトシが戻ってきた。
残った仲間を包んでいるおかしな空気に、トシは一瞬、おやっという表情を浮かべるが、特に気にも掛けず、すぐに元の無表情な顔に戻って探索の成果を報告する。
「大丈夫だ。怪しい足跡も気配も特になかった」
「わ、わかったわトシ。ありがと」
スセリはあたふたした調子で、帰ってきたトシにねぎらいの言葉を掛けた。が、すぐに普段の落ち着いた態度を取り戻し、薄緑色に透ける長い髪を片手でさっと払いのけると、軽く咳払いをしながら言う。
「ーーおほん、と、とにかく、抜け駆けされた形跡はないようなので安心して。もう馬から降りても大丈夫よ」
スセリの言葉に、皆は張り詰めた緊張を緩め安堵すると、一斉に身を翻してすたっと地面に降り立った。それぞれが乗ってきた馬の尻を軽く叩くと、馬の群れはもと来た方角に向かって走りだし、蹄の音を残して何処かへと去っていった。
再び召喚笛を吹けば必ず姿を現してくれるはずだが、果たして本当に、こんなに人里離れた場所にやってきてくれるのだろうかという一抹の不安を抱きつつ、一行は再会を祈って、遠ざかっていく群れを見送った。
「うっしゃ、そんじゃ今度こそ」
「あ、ミナカタ、ちょっと待て」
意気込むミナカタを、今度はイタルが制止した。
「ーーあんだよ、まだ何かあんのかよ」
再び気勢を削がれ、恨めしそうに振り返るミナカタに、イタルが言葉を続ける。
「ああ。もう昼だし、突入する前になんか食っておいたほうが良くないか?」
「むーーーう」
イタルの提案に、全員があからさまに落胆の声を上げた。
本来、食事とは楽しいものであろう。ましてや、自分達が暮らす街から遠く離れ、明るい陽の下で気のおけない仲間と摂る食事だ。楽しくないはずがない。本来ならば。
それなのに、車座になって食事をする一同は皆、沈痛な面持ちで口に放り込んだ食べ物を咀嚼している。
原因はその味にあった。
ゲーム時代には思いもよらないことであったが、システムメニューを通して作成する料理が、その見た目とは全くかけ離れた、しかもどれも同じように、ほとんど味のしない物体に成り下がっているのである。
誰かが評して言っていた。曰く、湿気た煎餅の味しかしない、と。
およそ楽しさとはかけ離れた会食に、口々に不満の声が飛び出す。
「しっかし、この味だきゃぁ何とかならんもんかねぇ」
「ホントだな。全く涙が出るぜ。これじゃほとんど拷問だろ」
イチキにいたっては本当に涙を流している。
「うにゅー」
「私達の中に料理人でもいたら、ちょっとは違うのかしら」
「さあ、どうだかな」
「みんな、食べながらでいいので聞いてちょうだい。編成をもう一度確認しておくわ」
そう言いながら、スセリはゆっくりと立ち上がると、一同を見渡し、
「パーティーはいつものように二つに分けます。第一班はミナカタ、トシ、イチキ、そして私スセリ。第二班はイタル、イワサカ、ミトシ、サクヤね。ここまでいいかしら」
ひとりひとりを手で指し示しながら、パーティーの構成を告げていった。
「オーケーだ」
「意義なーし」
無理やり詰め込んだ食料を飲み込みながら、仲間達が同意を示した。
〈エルダー・テイル〉においては、一つのパーティー人数の上限は六人となっている。〈ミッドナイト・オウル〉のメンバーは八人なので、ここはやはり四人ずつに分かれるのが妥当だろう。パーティーを組んでおけば、戦闘中、常に互いのステータスが視界の隅に表示されるので、HPの残量や状態異常の有無の確認に非常に都合が良い。
〈ミッドナイト・オウル〉の構成員は、前衛役、武器攻撃役、回復役、魔法攻撃役がそれぞれきれいに二名ずつ揃っているが、これは偶然そうなった訳ではない。
リアルでの友人同士で、しかもほぼ同時期に登録しているため、それぞれの好みや性格に合わせクラスが被らぬよう相談し合って決めていたのだ。もともとが、(あくまで)サークル活動の一環として「戦術的な連携を楽しむ」ために〈エルダー・テイル〉を始めたのだから、当然といえば当然の結果であった。
スセリが更に話を続ける。
「ゲーム時代に攻略した友人によると、洞窟に入ってからはしばらく一本道が続いたあと、途中で二手に分かれてるらしいわ。構造は地下二階。最下層で道が合流した先の、大奥の部屋にボスがいるそうよ」
「出てくる敵さんは不死系やら亜人間系だったっけ?」
スセリは、口を挟んだイワサカに顔を向けながら答える。
「ええ、そう聞いてる。村の人達もそう言ってたから間違いないと思うわ。そして最終ボスは……ドラゴンだそうよ」
「ドラゴン……(ごきゅ)」
生唾を飲み込むイチキを始めとして、皆の顔が緊張に強張った。
ドラゴンといえば、並みいるモンスターの中でも別格の存在といえるだろう。固い装甲に高い攻撃力。加えて、パーティーを一瞬にして壊滅し得る、広範囲のブレス攻撃など。どれをとっても、ダンジョンの主に相応しい、強大な敵だ。
ここ〈ノーザンウィルの洞窟〉は中級者向けのダンジョンであるから、レイドクラスのような圧倒的な強さはないかもしれない。だがそれでも、容易に倒せる相手ではないことに違いはない。
「でも、途中の敵はレベルもそれほど高くないようだし、ボス部屋まではまず、問題ないでしょう」
スセリは一旦ここで言葉を止めた。そして、軽く深呼吸をしてから、再び話し始めた。
「と、ここまで説明しておいてあれなんだけれども、これはあくまでもゲーム時代の情報よ。〈大災害〉や〈ノウアスフィアの開墾〉の影響で、ダンジョンの構成なども変わっているかも知れない。だから、実際に中で何が起こるかわからないってことは頭に入れておいた方がいいと思うわ。それからーー」
「例の〈シャドークラックス〉っていうパーティーの件ね」
合いの手を入れるようなミトシの言葉に、皆の表情が更に硬くなる。現時点でも正体がわからないだけに、万が一戦闘にでもなった場合、実体のわかっているダンジョンの主よりも、むしろ危険度は高いかもしれない。
「ーーええ。これだけは全く予測不能ね。トシが調べてくれたから先行してる可能性は低いとは思うけれど、あとから乱入してくるということもあるかも知れない。敵になるのか、そうじゃないのか……。話してわかる相手かどうかもわからないわ」
「悔しいけど、もしそいつらと鉢合わせするようなことになったら迷わず逃げるしかないな。パーティーの安全が最優先だし」
そう言うイタルに、皆、神妙な面持ちで黙って首肯した。ミナカタがひとり、やや不満気な顔をしていたが、スセリと目が合うと、渋々ながら頷いてみせた。
作戦会議を兼ねた慌ただしい食事ーーというより、一応は栄養のある物体を無理やり胃袋に詰め込む作業ーーをそそくさと済ませた一行は、足などに付いた土埃を払いながらめいめい立ち上がり、ガチャガチャと賑やかな音を立てながら、装備のチェックやバッグの中の所持品の確認を始めた。
ひとしきり皆の準備が整ったのを見計らい、スセリがひときわ張りのある声で檄を飛ばした。
「行きましょう! そして全員無事に、またこの場所に戻ってきましょう!」
「おおー!」
皆も負けじと声を張り上げ、拳を突き上げてそれに答えた。
そして、一歩一歩力強く足を踏みしめながら、洞窟が口を開ける正面の岩山に向かって歩いていった。
やがて、岩山の根本に鎮座する台地状の岩盤に到達する。近くで見るそれは思った以上に厚みがあり、一層一層が約二メートルもの高さがあった。しかし、もともと地力のある〈冒険者〉にとっては、これしきの壁などさしたる障害にはならない。皆は目の前にそびえる岩山を見上げると、躊躇なく足元の岩を登り始めた。慎重に足場を確かめながらも、メンバーの中では体力の劣るイチキやミトシですらも、苦もなくよじ登っていく。
程なく、全員が無事、三層目の岩盤を登り終え、洞窟の入口正面にたどり着いた。洞窟前には八人全員が立ってもまだ余裕のあるだけの広さがあり、足場に不安はない。
穴の大きさは高さ五メートル幅七メートル程で、八人が隊列をつくって進むには充分なようだった。
一行は、入口に覆いかぶさる灌木の枝を払いのけながら、そっと中を覗きこんでみる。
まだ目が慣れていないせいで、中の様子はよくわからない。が、しかし、奥の方からただならぬ気配が漂ってきているのは感じ取れた。
皆は顔を見合わせながら大きく頷くと、意を決したように暗い穴の中に飛び込んでいった。