道程
一行が目指す〈ノーザンウィルの洞窟〉は、現実世界でいえは秋葉原から北へ五十キロほど離れた場所にある。〈エルダー・テイル〉における〈ハーフガイア計画〉に準拠すれば、その約半分、アキバの街からは二十五キロほどの距離だ。
周囲にはアキバ、シブヤなどのようなプレーヤータウンはおろか、中規模の街すら存在しないが、少数の〈大地人〉が細々と暮らす小さな集落がいくつか点在している。
依頼の内容は「洞窟から出てくるモンスター達が、周辺の村々を襲っては略奪を繰り返しているので討伐をしてほしい」というものだった。
もっともゲーム時代には、こういった討伐理由は単なる背景設定で、システム的には中級者向けのサポートイベントとして存在していた。ダンジョン最深部に眠る宝箱を開ければ、レベル三十から四十ほどのプレーヤーにとって、装備を二回りほどランクアップできるアイテムが手に入るのである。
このクエストはゲーム時代、約一ヶ月の間隔を空けて定期的に発生していたが、〈大災害〉による運営不在の今となってはいつなくなるとも知れず、それだけに、今までに増して競争率も高かった。
今回受注出来たのは、半分は「運」、残りの半分は、彼らギルドメンバーが交代で四六時中ギルド会館に張り付くという、「粘り」で勝ち取ったからであった。
午前中のうちに住み家をあとにした一行は、一路目的地に向けて、青々とした木々に囲まれた森の中の一本道を進んでいた。
五月終わりの初夏の日差しは、まだいくぶん柔らかい。
現実世界と見まごうほどに、ここ〈セルデシア〉でも季節の移り変わりは忠実に再現されているようだ。
折り重なる新緑の葉の隙間からこぼれる木漏れ日が、光の花びらのように地上に振りまかれ、木々の根本を明るく照らしている。
その森の中から聞こえてくるのは、遠くで呼び交う鳥達の歌声や野生の獣達の鳴き声。
そして、力強く疾駆する蹄の響きに馬のいななき。
「こうしてみると女性陣の乗馬もなかなか様になってきたじゃないか」
前方を行くイタルが、斜め後方を振り返りながら言った。
馬術部員ならいざ知らず、現実世界では馬に乗ることはおろか、馬に触れ合うことすらほとんどなかったであろう面々が、まるで何年も乗馬訓練を積んだかのように、駈歩に合わせて見事にリズムを刻んでいる。
〈エルダー・テイル〉での移動手段はと問われて、真っ先に連想されるのは馬だった。移動速度はもとより、騎乗中はレベルの低い敵との遭遇も避けやすいため、移動時の無駄な消耗を防ぐというメリットもある。それに加え、グリフォンやドラゴンなどのもっと高位の騎乗生物と違い、低レベルの〈冒険者〉でも召喚できるので、ごく日常的な存在として親しまれていた。
彼らが生身の身体を持ったこの〈セルデシア〉においても、今ままでと同様に専用の召喚笛を用いればいつでも自由に呼び出すことができる。
実際に目にする馬の、想像以上に巨大な体躯にたじろぐ〈冒険者〉も多かったが、騎乗アシストがあるため、乗馬経験のない者達にも充分に乗りこなすことが可能だった。
「だな。サクなんざ最初は、こんなの絶対乗れないーっ、なんつって泣きわめいて怖がってたクセにな、ははっ」
同じく先頭でイタルに並走するミナカタが、最後尾をゆくサクヤを返り見ながら愉快げに笑った。
「ミ、ミナカタさん! そんな意地悪言わないで下さいよぉ。だってその頃は、お馬さんがこんなにかわいい動物だって知らなかったから……」
サクヤが自らの乗る馬のたてがみをそっと撫でると、ブルルッと軽いいななきで馬がそれに答える。
馬による移動が敵とのエンカウント率を下げられるといっても、それはゼロパーセントではない。
郊外では、いつ何時、思わぬ強敵が現れぬとも限らないため、一行は万が一に備え、白兵戦に強いクラス――〈戦士職〉で〈守護戦士〉のミナカタ、〈武闘家〉のイタル、〈武器攻撃職〉で〈暗殺者〉のトシ、〈盗剣士〉のイワサカ――が外側を固め、内側の支援職ーー〈回復職〉で〈神祇官〉のスセリ、〈施療神官〉のサクヤ、〈魔法攻撃職〉で〈妖術師〉のイチキ、〈召喚術師〉のミトシーーを守る形で行軍していた。
「怖がるって言ったら、サッちゃん、最初はミナカタくんのことも相当怖がってたわよねぇ」
ミトシがいたずらっ子のような笑顔を浮かべて冗談めかすと、
「ははは、確かに、見た目の怖さならミッちゃんの圧勝だよなぁ」
イワサカがそれに便乗して茶々を入れた。
「チッ、好きで怖い顔に生まれたんじゃねぇっつうの」
ミナカタは大きな身体をことさら縮こませながら呟いた。
話題の主のサクヤもまた、耳まで真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた。
道行きが進むにつれ、森は更に深さを増していった。
うっそうと折り重なる木々の枝に遮られ、いつしか差し込む日差しもまばらになり、今が果たして陽光降り注ぐ日中なのか、それとも夕闇迫る黄昏時なのかも定かでなくなるほど、あたりを薄い闇が包んでいた。
イタルが周りの気配をうかがいながら、仲間に注意を促す。
「気をつけろ。なにか出てくるかもしれないぞ」
一刻も早くこの場所を抜けたくとも、節くれだった木の根が邪魔をして思うように速度を上げられないのがもどかしい。先ほどまで聞こえていた鳥や獣の鳴き声も今は聞こえず、ひっそりとした静寂に、ただ蹄の音だけが響いている。
沈黙に耐えかねたのか、イワサカがふと、誰ともなく語りかける。
「しっかしその例の別パーティー、〈シャドークラックス〉ってないったい何者なのかねぇ」
一行のほぼ真ん中を走っていたスセリが、渋面を作りながら答える。
「わからないわ。クエスト受注の経緯からしても、まともな話し合いができるかどうか……」
「全くだな。オレ達が受注したの知ってて申し込んだんだとしたら、相当タチわりいぜ。せめて相手のレベルや人数がわかればな」
憤慨しつつふんっと鼻を鳴らして、吐き捨てるようなミナカタ。
深い森の毒気に当てられたかのように、皆が顔に暗い影を落とし、鬱々とした気の重さが場を支配する。
(チリリリリーン)
「お、ナイスタイミン~! 念話きたよー」
その、やや重苦しくなった空気を遮るように、突然イチキがおどけた声を上げた。
『あ、みぃちゃん! どだった?
おりょりょー、一人も??
え? ふーむ、そっかー そんな話が…
うん、あんがとね~ うんうん、ガンバルよ。
また遊ぼうにゃー』
「イチキっち、どうだったよ」
イワサカは片手に手綱をつかみ直すと、半身に身体を乗り出して、念話が終わるのを待ちかねたように尋ねた。
「うにゅー、みぃちゃん、上級者の人達にもいろいろ聞いてくれたみたいなんだけど、〈シャドークラックス〉なんて名前も〈REAF〉なんて人のことも誰も知らなかったってー」
「ありゃ、一人もかい? ますますミステリーだねぇ」
イワサカが素っ頓狂な声をあげるが、イチキは神妙な顔をして話を続ける。
「でもね、いっこだけ気になることが……」
「気になること?」
先頭で耳をそばだてていたイタルが、ついと頭をもたげ聞き返した。
「うんー、あるダンジョンでのことなんだけど、パーティーの後ろを付けてくる足音らしきものが聞こえたんだって。で、びっくりして後ろを振り向いたけど何もいなかったとかなんとか……」
「ちょ、それ、怪談かよ」
イタルは馬から身体を半分ずり落とさせながら苦笑した。
「はっ、そりゃぁきっと、討ち漏らしたエネミーかなんかだろうぜ。そもそもダンジョンに入りゃゾンビだのゴーストだのがウヨウヨしてんじゃねぇか」
同じく先頭で話を聞いていたミナカタだが、やれやれといった感じで首を左右に振りながら、呆れたような表情をみせた。
イワサカが、さもありなんと納得して同意する。
「はは、それもそうだよなぁ」
「うにゅー、だったらいいけどにゃぁ。でもにゃぁ……」
意外に臆病なのか、イチキは下を向いて何やら呟いているが、そんな彼女に構わず、馬の群れは蹄の轟きを残しながら深い森を駆け抜けていく。
「む!」
イワサカの反対側を走っていたトシが、急に何かに気付いたかのように後ろを振り返った。
が、すぐに何事もなかったように再び前を向いた。
程なく一行の目の前に、悠々と水を湛える川が見えてきた。幅十メートルほどの川を境に、唐突に木々の密集が途切れている。
陽の光を眩しく照り返しながら、さらさらと涼しげに流れる水音は、深く暗い森をようやく抜けたことを告げていた。
川の向こう側には、小じんまりと固まった林や小さな丘がいくつか点在しているのが見えるが、その周囲には背丈の半分ほどの草が生い茂る草原が広がっていた。
皆は頑強に掛けられた木の橋を渡り終えると、一様にふぅと大きなため息をついた。
「やれやれ、オウルベアのひとつも出てくるかと思ったが、何事もなくてよかったぜ」
「ほんとねー。でも、走りにくかったから大変だったわね。馬から落っこちるんじゃないかってハラハラしちゃった」
「いや、みんな結構上手に乗れてたって思うよ。あんだけ走れたら、競馬大会でもあったらいいとこまでいくんじゃないか?」
「おおー、競馬大会かぁ。そんなのあったら楽しいねぇ」
久しぶりに仰ぐ明るい陽光のもとで、しばらく続いた緊張から開放された喜びからか、口々に軽口が飛び出す。
「さ、思ったより時間とられちゃったから、少し急ぎましょ」
が、スセリの一声に、皆は改めて顔を引き締め大きく頷くと、手綱を返し目的地へと続く道を突き進んでいった。
道の両側に並木のように整えられた高木が、この道が街道として整備されていることを物語っている。おそらく、この付近に〈大地人〉の集落でもあるのだろう。その証拠に、時折広がる牧草地には、牛を放牧しているらしき農夫の姿も見受けられる。
そのうちのひとり、道端に腰を下ろして休んでいた壮年の農夫に一行が声を掛け道を尋ねると、彼は北の方角をまっすぐ指差した。旅の終わりは近い。
しかしその一方で、道行きが進めば進むほど、周囲に広がるのどかな風景とは裏腹に、皆の心に焦燥が募るのも確かだといえた。
道すがらそこかしこに垣間見える、草木や苔に覆われたアスファルト片や傾いて折れた街灯、崩れかけの建物などが、否が応にも、ここがかつて彼らが慣れ親しんだ場所とは似て非なる世界であることを痛感させる。
アキバの街、あるいはその周辺にも、同じく朽ちた文明の痕跡は散在しているが、これほど離れた地にも同様の光景が広がっていることが、元の場所に戻る手掛かりなど、もはやどこにも存在しないのではないかという寂寥感を呼び起こす。
自分達がいなくなった元の世界は今、どうなっているのか。
家族は? 友達は?
自分のことを心配して、捜し回ってやしないだろうか。
彼らに限らず、この世界に囚われた数百万ともいわれるほぼすべての元プレーヤー達が、多かれ少なかれ心の片隅に抱いている懸念だろう。
だが、〈大災害〉から約一ヶ月、まるでそのことを話題にするのが禁忌だとでもいうように、皆、胸の奥に深くしまい込んでいるようだ。
今でこそ明るく振る舞ってはいるが、多分に漏れず、〈ミッドナイト・オウル〉のメンバー達も〈大災害〉直後は相当に取り乱した。
ログアウトメニューもGMコールボタンも消失し、この世界から逃れる術がないと知るや、ミナカタは辺り構わずわめき散らし、イワサカは悲痛な面持ちでそれを止め、イタルもトシも呆然と立ちつくした。
ミトシやサクヤは泣き崩れ、イチキは落ち着きなく動き回りながら周りの人々に事態の説明を強要し、スセリですら自我を失ったかのようにその場に座り込んだ。
その頃から比べれば平静を取り戻してはいるものの、〈大災害〉の衝撃はまだ生々しく皆の記憶に残っている。加えて、今のアキバの街の殺伐とした有り様では、この先に明るい希望を見出せというのも難しい注文だろう。
この現状がいつまで続くのだろうか。
新しい未来が開ける時が来るのだろうか。
自分達にできることは何もないのだろうかーー
そんな彼らの胸の内など、まるで関心がないとでもいうように、一迅の風がヒュッと吹き抜けていった。
閲覧ありがとうございます。
ここらでバトルをひとつ、とも思っていたのですが、怪談話で盛り上がってしまい、出すタイミングを失いました。
初バトルはダンジョンに持ち越すことになりそうです。