出発
目的地、〈アキバギルド会館〉は、街の中心からやや南東寄りの場所にあった。
地上十六階ほどの建物だが、濃紺の落ち着いた色合いに金色の豪奢な装飾、どっしりと構えた外観のおかげで、実際の高さよりも遥かに雄々しくそびえ建っているようにみえる。
周囲の朽ちかけたビル群と同じように、外側にはツタやヤドリギが取り付き、経てきた年月の重さを感じさせる。だが、むしろそれが、建物の重厚さをより印象づけている。
〈ギルド会館〉。それはアキバを始めとするプレーヤータウンには必ず設置されている、〈冒険者〉のためのサポート施設である。
ここでは、ギルドの設立や加入・脱退などの事務手続き、〈冒険者〉の資産を預かる銀行業務、上階のギルドホールや会議室の貸し出し、クエスト斡旋などを主な業務としている。
幸いなことに、これらの業務は〈大災害〉以後も今までと同様滞りなく行われ、人々の大きな助けとなっていた。
が、ただひとつ、ゲーム時代とは大きく変わったことがある。
それは、会館の職員が人としての〈大地人〉すなわち、生身の身体と心を持つようになったことである。
結果、以前の、NPCとして機械的な受け答えしかできなかった頃に比べて、来訪者ひとりひとりに対しよりきめ細やかな対応をするようになり、混乱した今の状況においては、〈冒険者〉にとって一層、その役割を大きくしている。
メインストリートを抜けた三人は、ギルド会館へとつながる連絡通路にさしかかっていた。
一行はその入り口でふと足を止め、やや緊張した面持ちで目の前の荘厳な建物を仰ぎ見た。そしてまた、おもむろに歩き出すと、正面の高さ五メートルはあろうかという威風堂々としたエントランスをくぐっていった。
エントランスホールに入るとイタルは、足早に入り口にほど近い受付カウンターに歩み寄っていき、そこに立っている女性職員に声を掛ける。
「こんにちはー。ちょっとお聞きしたいことがあるんですがー」
ポニーテールに結んだ髪に、パリっとした専用の制服に身を包んだ彼女は、なるほど、どうみても人間そのものだ。ネームプレートには「フィーリア」とある。
「はい、あ、少々お待ちくださいね」
職員達は限られた人数で業務をこなしているらしく、受付係のフィーリアもまた、忙しそうに一人で何人もの相手をしていた。
待たされている間、イタル達はぼんやりと周りを眺めている。
エントランスホールには、何かしらの手続きに訪れた〈冒険者〉が数十人ほどいて、ざわついた雰囲気になっていた。
何人か知った顔も見えたが、とりあえず今は軽く挨拶をする程度に留めていた。
十五分ほど経った頃、先ほどの女性職員、フィーリアが声を掛けてきた。
「お待たせいたしました。どういったご用件でしょうか?」
イタルは待ちかねたように身を乗り出し、用件を切り出す。
「ええ、先日〈ノーザンウィルの洞窟〉のモンスター討伐依頼を受けた者なんですが、ボク等とは別のパーティーが同じ依頼を受注したみたいなんです」
「あら、今確認してみますね。パーティー名はございますか?」
「はい。〈ミッドナイト・オウル〉です」
「〈ミッドナイト・オウル〉様ですね」
フィーリアはくるりとイタル達に背を向けると、カウンター後ろに掲げてある依頼リストを指でなぞって確認を始めた。
やがてひとつの依頼文に指を止めると、頷きながら答える。
「えっと、はい。確かに受注されていますね」
が、直後、怪訝そうな表情を浮かべる。
「この依頼は……あれ、おかしいですね。同時に二つのパーティーは受注できないはずですが……」
そう言いながら彼女は、下方の棚から分厚い台帳を引っ張りだし、ページをめくる。
「確かに、別のパーティーの受注が認可されておりますね。申し訳ありません。こちらの不手際だと思われます」
フィーリアはイタルの正面に向き直ると、深々と頭を下げた。
「そうですか、ちょっと面倒なことになっちゃったなぁ。受注はボク等の方が先なんですか?」
イタルは聞いていた通りの状況に困惑した顔をみせたが、気持ちを落ち着かせるように、声を抑えながら尋ねた。
フィーリアはやや恐縮して、言いよどみながら答える。
「えぇっと、はい。そのようです。……ですが、もう一つのパーティーの受注は、〈ミッドナイト・オウル〉様の受注のわずか一分後になっています」
「一分後って。申し込みしたのってスー姉だったわよね。じゃあ、その時もう一つのパーティーもその場にいたっていうことなのかな」
すぐそばで一緒に聞いていたミトシがイタルに身を寄せ、やはり困惑気味に小声で言った。
「そう、だろうね」
イタルはわずかにミトシに顔を向け、声を落として答えたが、すぐにフィーリアに向き直ってまた尋ねる。
「あの、すいません。そのもう一つのパーティーと連絡って取れます?」
「申し訳ございません。連絡先までは把握しておりませんので……」
フィーリアは更に恐縮しつつ答えた。
状況が混迷を深めるなか、イタルはわずかでも役に立つ情報を持ち帰ろうと食い下がる。
「そっかー、困ったな。じゃあですね、そのパーティー名とか、代表者の名前とか教えてもらえませんか? こちらで連絡取ってみますので」
彼女はその提案に少しほっとした顔をみせて、台帳に記された名前を読み上げる。
「はい、本来ならそういったことはお教えできないことになっているのですが、今回は特例ということで……。 パーティー名は〈シャドークラックス〉、代表者の方は〈REAF〉様とおっしゃいます」
「〈REAF〉か。外国人かな。わかりました。とりあえずこちらで調べてみます」
イタル達は、これ以上の情報は望めぬとみて、フィーリアに挨拶をしつつカウンターを離れていった。
「お手数をお掛けします。本当に申し訳ございませんでした」
フィーリアは先ほどよりもいっそう深々と頭を下げて、一行を見送った。
イタル達は釈然としない想いを残しながらも、辛うじて最低限の情報を手に入れたことを良しとして、ひとまず会館を後にした。
三人は、再びもと来た道、アキバの街のメインストリートを歩いている。
先刻と少しも変わらぬ殺伐とした空気が、事態の不透明さからくる気の重さに拍車をかけている。
無言で歩いていた三人だが、ややあってミトシがぼそりと呟く。
「〈REAF〉なんて人、聞いたことないわね」
「ああ」
ごく短く答えたイタルだったが、そっけなさ過ぎたと感じたのか少し慌てて言葉を続ける。
「も、もしかしたら、〈大災害〉直前にたまたま別のサーバーからこっちに遊びに来てたとか、そんな感じかもしれないな」
「――そうね」
そんなタケルの気遣いを知ってか知らずか、ミトシは軽く微笑み返した。
遠くの方から売り子の声が聞こえてくる。
イタルは思い出したようにサクヤを振り返り、声を掛けた。
「サッちゃん、もう買い忘れたものはないかい?」
「は、はいっ、大丈夫です」
大人たちの深刻さにつられて神妙に押し黙っていたサクヤだが、急にイタルに声を掛けられ慌て気味に返事をした。
「よし! じゃあみんなのとこに戻ろうか」
イタルのことさら元気な掛け声に、二人の表情にも明るさが戻った。
「はい!」
ギルド〈ミッドナイト・オウル〉の拠点は、アキバの中心地を挟んでギルド会館の反対側、北部地区にあった。
周辺には〈大地人〉が慎ましく暮らす小さな家々、ギルドホールを借りるまでには及ばぬ、小規模ギルドが滞在している安宿などが点在する、良くいえば閑静な、悪くいえば寂れた地域であった。
だがそれだけに、宿には一泊金貨七枚程度と格安で泊まることができるため、いつかは会館のギルドホールにと夢見る、弱小ギルド達の寄り合い所帯のようにもなっていた。
イタル達が宿に戻る頃には、朝市の片付けをしていた〈大地人〉達もあらかた作業を終え、みえなくなっていた。
現実世界の時間でいえば午前十時頃だろうか。すでに日も高い。姿を消した〈大地人〉の代わりに、朝寝坊の〈冒険者〉達が活動を始める頃合いだ。
「ようっ、イタル! 買い物帰りか?」
ひとりの〈冒険者〉が陽気な声をかけてきた。近所にねぐらを定める弱小ギルド仲間だ。
「やあ、ライオット。おはようー」
「おはようございまーす」
イタル達も明るい声で挨拶を返した。
「今日、例のクエスト、行くんだろ? うらやましいなぁ」
「ああ、準備ができ次第出発するつもりだよ。帰ってきたら話し聞かせてやるから、お前らも次はがんばれよ」
「まあ次があれば、だけどな」
ライオットの意味深な言葉に苦笑いで返すと、イタル達は仲間の待つ宿に入っていった。
「ただいまー」
「今帰りましたぁ~」
「ただいまですー」
「お、帰ったか。で、何かわかったか?」
真っ先に声を掛けてきたのは、入口の近くの壁に背中を預け腕組みをしていたミナカタだった。
それを合図に、椅子に腰掛けていたり床に座り込んでいたりと、思い思いの場所に陣取りながら帰りを待っていた、ほかのメンバーの視線も一斉に集まる。
「んー、微妙なとこだなぁ。オレ達がクエスト受けた直後に、その別のパーティーが受注したみたいなんだけど、会館の方でも事情がよくわからないみたいなんだよ」
イタルは集中する視線にややたじろぎ、まるで自分の落ち度を詫びるかのように頭を掻きながら答えた。
メンバーが口々に怪訝そうな声を上げる。
「私達の直後? 変な話ね」
「ふにゅ、ますます不思議だにゃぁ」
「相手のパーティー名とかはわかんねぇのかい?」
イワサカの問いに、わずかに手に入れた成果を披露しようと、イタルはやや得意になって答える。
「いや、教えてもらったよ。〈シャドークラックス〉っていうパーティーで、代表者が〈REAF〉さん」
「〈REAF〉? 知らねぇな」
ミナカタが訝しげな顔をしながら首を傾げた。
「名前からして外国人かもしれないんだけど、スー姉、クエスト受けた時にそれらしい人っていなかった?」
「うんー、ごめんなさい。ちょっと覚えてないわ。あの時も結構人が多かったし、知らない人もたくさんいたから」
覗きこむように聞くイタルに、スセリは首を横に振りながら申し訳なさそうに言った。
「そっかぁ」
未だ何の解決の糸口も見い出せず、一同に再び沈黙が訪れた。
すると、床に座り込んでいたイチキが、ぴょんと飛び上がるように挙手すると、自信ありげに声を上げる。
「よし、オイラがちょちょっと友達に聞いてみるよ」
「お、さすがは、どこでも顔出すイチキっちだねぇ」
「にゃはは、猫人ネットワークをナメんなよ」
イワサカの、褒め言葉とも皮肉とも取れる言い回しにもまんざらでもない様子で、イチキはニカッと笑うとシステムメニューを引っ張り出し念話をかけた。
『あ、もしもーし、みぃちゃん? ちょいとお聞きしますがね、
うんうん、うーん、そっかー
うん、そうしてみてくれる? ごめんにゃ。
わかったー、奢る奢るー』
んとね、みぃちゃんは知らないみたいなんだけど、友達に聞いてみてくれるってさー」
「わかったわ。イチキありがと」
「にゃんの、にゃんの」
スセリのねぎらいの言葉に、イチキは片手をぶんぶんと振りながら、おどけた声色で答えた。
イチキはその後も何人かと連絡を取っていたが、これといって有用な情報は得られなかったようだった。
事の次第を見守りつつも、ミナカタは組んだ腕部を指でトントンと叩きながら苛立ちを隠せずにいたが、やがてのっそりともたれかかっていた壁から身を起こすと、組んでいた両腕を広げ、意を決したように皆に向かって言い放つ。
「なあ、ここでノンビリしてるうちに、そのシャドーなんちゃらってのに先越されっちまうんじゃねえのか。念話は移動しながらでも受けられるんだからよ、さっさと出発した方がいいだろ」
「そうね。もう準備はできているんだし、その方がいいかもしれないわね。出発しましょう」
ミナカタの言葉を受けて、スセリは皆を見渡した。
そこにいた全員が、同意の意思を込めた強い光を瞳に宿らせ、異議なしと大きく頷いた。
「うっしゃ、暴れるぞー!」
ミナカタは弾かれたように天を見上げ、同時に力強く両の拳を突き上げると、今までの鬱憤を晴らすかのように大声で叫んだ。
イワサカがそんなミナカタを楽しげに眺めながら、冗談めかして言う。
「はは、ミッちゃん、勢い余ってお宝までぶっ壊すなよ」
「ぬかせ」
「あはははは」
一同を明るい笑い声が包んだ。
閲覧ありがとうございます。
ログ・ホライズン本編では、〈円卓会議〉設立後は、クエスト発注は〈円卓会議〉から、もしくは〈大地人〉から直接、という形になっていたと思いますが、この時点でクエストがどのように発注されているのかはわかりませんでした。
なので、完全捏造です。すいません(そもそも、ギルド会館でクエスト受注ができたのかも怪しいですが)。