屋台、迷宮に評論家現る
老人は新たに作った串を火にかけ、その上から塩を振りながら、小さく笑みを浮かべた。
どうやら、このお客さんは塩焼き鳥が気に入ったらしく、タレ焼き鳥のほうも二本とも食べはしたが、追加の注文は「白いのっ!!」とのことだった。
焼いてあった塩焼き鳥を皿に盛って出すと、お客さんは一口で一串食べてしまうが、それをゆっくり味わうように咀嚼している。
老人はその様子を見て、嬉しそうにしながら、新しく切った鶏肉を串に刺した。
早食いや、大食いも芸の内。老人もそれは認めるし、一度お客さんに出した物の食べ方をどうこう言うのもどうかと思うが、それでも色々工夫した料理をただ胃袋の中に放り込むような食べ方を日常でされると、眉をひそめざるおえない。
その点、このお客さんは一口こそ大きいものの、きちんと味わってくれている。
料理人としてはやりがいのあるお客さんであった。
いい気分で鼻歌が出そうなのをおさえていると、暖簾をくぐろうとする新しい影があった。
「いらっしゃい! 椅子へ、どうぞ。
っと、すいやせん。お客さん、ちょいと詰めてもらっていいですかね?」
後ろの方は大きなお客さんへのお願いで、お客さんは素直に椅子の端の方に動いてくれる。
暖簾をくぐってきたのは、美しいがいささか埃にまみれて汚れた金色の髪、肌も汚れさえ落とせば、本来なら白磁の如くと称されるであろう白い肌。顔立ちも端正で老人が長い人生の中、会った事のある女性のなかでも一位二位を争うだろう美女だった。
多分、本来なら…
その痩けた頬と、爛々と輝く瞳がなければ。
新しいお客さんは大きなお客さんの親切を一瞥もせずに、椅子に腰掛けて言った。
「この匂いの素、くれ。早く」
新しいお客さんの注文も片言だったが、大きなお客さんとは違うところがあった。
それは、溢れんばかりの飢餓感だった。
―早くしないと、お前を食う。
そんな思いが透けて見えそうな注文だった。
「えぇっと、この匂いは焼き鳥って、料理でして。味付けはタレと塩がありや、っと、お客さんは食べちゃいけねえ物は何かありやすか?」
老人はその透けて見えそうな思いに押されかけたが、せねばならない質問は聞くことができた。
「私、はーふえるふ。肉もくう」
へい、ありがとうごぜぇます。と、背中に冷たいものが走るの感じながら、老人は返す。 急がなければ、本当に食いつかれそうなプレッシャーを感じながら、老人は大きなお客さんの注文とは別に焼いていた塩焼き鳥と、タレ焼き鳥を二本づつ皿に乗せて、新しいお客さんの前に出す。
「熱いから、お気をつけて…」
「むぐっ!」
老人は大きなお客さんにした様に注意しようと、声をかけようとしたが、その途中でお客さんはタレ焼き鳥の串を、手慣れた風に横にして食いつき、串を抜き取った。
モグモグッ!!
そんな擬音が聞こえそうな勢いで咀嚼し、目を見開いた後、今度はゆっくりと飲み込んでいく。
そして、
「なんだ、これはっ!!」
叫んだ。
「これは串焼きか!? こんな串焼き食べたことがない!」
その瞳は先ほどまでの餓えた野獣のソレではなく、純粋な驚愕に染まっており、何故か痩けていた頬も少し回復しているように見えた。
更にもう一本、タレ焼き鳥を口にする。
「まず肉がすごい。歯ごたえと柔らかさを両立させ、さらに噛み締めれば、肉汁が口に溢れる。これは肉が素晴らしいだけでなく、料理人の焼く腕が良いのは間違いあるまい。
そして、このソースがまた絶品だ。甘辛く、深い旨味。この肉はこのソースと合わさる為に神より生み出されたと説かれても、今の私なら疑うことはあるまい!」
そう解説しながら、今度は塩焼き鳥に手を伸ばす。
「こちらは普通の塩か? いや、この深み、ただの塩ではないな。苦みもえぐみも殆ど無い。だが、ほんの少しあるそれらが、逆にこの肉の旨味を最大限に引き出している。
塩加減も文句のつけようがない。これ以上なら塩味が強すぎ、 以下なら肉の旨味がキツくくどく感じるかもしれない。正に完璧な塩加減だ」
追加だ! もっと焼いてくれ! と、追加注文が入る。
そして、さっき追加で焼き上げた塩焼き鳥が半分近く串だけになっているのが目に入る。
老人は新しい鶏肉を冷蔵庫から取り出しながら、二人のお客さんの食べっぷりを見て、鶏肉の在庫の量を確かめずにはいられなかった。
そして、慌ただしく焼き鳥の用意をする老人の目におずおずと暖簾をくぐろうとする手が見えた。
「…いらっしゃいっ!!」
それが本来の老人の声より、少し力が篭もっていたのはきっと気のせいだろう。
注)
本編内では文章のテンポの為、記述していませんが、老人は作業が変わるとき、必ず手洗いをしております。
これから、後の物語の料理中、描写はありませんが、作業の節目節目に必ず手洗いをしている事、とさせていただきます。
ご了承下さい。