レミア・アンタークの場合
実験的に今回は一人称で執筆しております。
「っ!?」
のどの奥からこぼれそうになった悲鳴を無理矢理かみ殺しながら、私は迫ってくる石棍棒を紙一重で避けた。
目の前にいる紫色の肌をした巨人、パープル・E・ジャイアントの動きが素早くなったわけじゃない。
ただ…
「…お腹、空いた」
つい零れた弱音は小さかったから、誰にも聞かれなかったはず、だと思いたい。
いくらなんでも、戦闘中に出すにしてもあんまりな言葉だ。
だけど、仕方ないのだ。ウソではない。
仲間の重装神官戦士がその重装備のせいで起こした崩落、それから魔法使いのマリーを守る為には、エルフ・ヒューマンの ―いやハーフエルフ・ヒューマンの私にも使えるが、種族特技を使わねばならなかったし、さらに踏み込む予定のなかった迷宮の下層では、自分達の実力では相対するのが難しい相手から隠れて階段を目指すため、虎の子の風の精霊を宿した精霊石まで、大盤振る舞いしてしまった。
その結果が…
ぐぅぅ~ッ
これだ、空腹だ。
マリーの魔力で放つ魔法と違い、エルフ・ヒューマンの種族特技も、精霊への助力のお願いも、使えば使うほど空腹になっていく。
と、言ってもコモン・ヒューマンの者達は信じない。
何故かエルフ・ヒューマンはコモン・ヒューマン達に特別視されている。
私も含めてだが、あんな種族ぐるみの大食らいが、そうでもなければ痩せて、いや、スレンダーな体系を維持できるわけがないだろうに。
「レミアさんっ!!」
くっ、いけない。そろそろ本当の限界が近いようだ。
私はマリーの声に無理矢理体をひねりながら、跳んだ。
石棍棒が、さっきまで私がいた空間を通り過ぎ、床を粉砕した。
やはり、限界だ。
私とマリーの組み合わせでは、太刀打ち出来ないパープル・E・ジャイアントと対抗する為、私はこの部屋に入ったときから、エルフ・ヒューマンの種族特技を使い続けている。
こんな風に目の前の戦闘とは関係ないことをうだうだ考え続けるのが、その証明だ。
本来、エルフ・ヒューマンの種族特技とは『思考を分裂』させる事。簡単に言えば、体を動かしている思考と、別の視点の思考を生み出す事。
これによって、剣や弓を使いながら、精霊に助力を頼む事が出来たり、迷宮内なら、罠や宝箱に掛かりきりなりながらも辺りに注意を向ける事が出来る。
しかも、そのどちらにも集中を途切れる事はない。
更には、種族特技を使えば思考速度も上がるので、便利なのだ。
私はパープル・E・ジャイアントと戦う前に体を効率良く動かす為と、自分の体に住まう肉体の精霊に力を一時的に上げてもらう為に種族特技をつかったが、うかつにも自分の空腹具合を気にしていなかったので、精霊への助力は聞き遂げられず、さっきまでの拮抗した戦闘をするのが精一杯だった。
しかし、この種族特技は使えば使うほど、空腹になっていく。
完全にお腹が空になると、どうしようもない。
体の動きを司る思考が精細を欠き、パープル・E・ジャイアントの大振りな攻撃も避けきれなくなるし、生み出した思考も今みたいに愚にもつかないことをグダグダ考え続けるだけだ。
そして、最後には生み出した思考は体を司る思考と一緒になり、ぼーっと立ったまま、グダグダと訳の分からない事を考え続ける事になる。
そう、今の私のように。
パープル・E・ジャイアントが棒立ちの私に向けて、石棍棒を振り上げる。
しかし、私の体は動かない。動こう、とも思えない。
せめて、最後に大好物をお腹一杯食べたかったなぁ。
もっと色んな所を冒険したかったなぁ。
マリーだけは逃がしたかったなぁ。
あんにゃろは一発ぶん殴る。例え死んでも。
でも…でも…
……やっぱり、もっと生きたいなぁ。
しかし、その時は来なかった。
あれっ、なんでムグッ!?
口の中に押し込まれた何かを、噛む間も惜しんで飲み込む。
乾燥させた酸味の強いパヤの実だった。何か妙にザリザリしたけど。
「大丈夫ですか? レミアさん」
私の口にパヤの実を押し込んだのはマリーだった。
まあ、普通に考えれば、それ以外にない。
しかし、パープル・E・ジャイアントはどこに行った?
「レミアさん、あれ、何なんでしょう?」
マリーが指差した先には、フラフラと私達には目もくれず、歩いているパープル・E・ジャイアントと、その先にある―いや、何故そんなものがここにあるのか分からないが、露店らしきものだった。
「何だか分かりませんが、助かりましたね。今のうちに、逃げましょう、ね。レミアさ、え、あのどうしたんですか、ねぇ、レミアさん!?」
そうだ。うん、間違いない。マリーの言っていることは正しい。
しかし、しかし、だ。
空腹の限界をむかえていた私には、いや、胃袋には露店らしきものから流れてくるかぐわしい匂いに抗えない。
「ちょっ、ちょっと待って、レミアさん!? って、何か匂いが、じゃなくて…ちょっと待てっ! このハラペコエルフ!!」
何かマリーが言っているが、私の耳は 素通りするだけだ。
ああ、空腹でなければ、風のように走って行くのに。
私はそう思いながら、ゾンビのごとく フラフラと進んでいった。