夏の僕
桜の花は背中に遠く、視界の下端には紫色した茄子の花がちらちら見える。
仕事をとるために、思い切って遠出をしたのが良かったらしい。
拍子抜けするほど面接は順調に進み、面接担当官に連れられて、明日から働くはずの工場へと向かっている。
まだはっきりとは聞いてないが、この調子だと採用だろう。
「これから、少し跳ぶのでその輪に入って目を閉じてくれ」
言われて初めて、うっすらと色の違う地面があるのが分かる。
しかし、これが、『輪』なのだろうか?
面接担当官の話では、防犯対策と省スペースを両立した画期的発明で、要するに、これに入らないと工場は見えないしたどり着けないと言うことらしい。
でも、なぜ目を閉じるのかがわからない。
「なぜといわれても・・・いわゆる企業秘密だ。
仕事をしたいならつべこべ言わずに目を閉じて入ってくれ」
何か釈然としないものを感じながら、『輪』らしきものの中に入る。
目を軽く閉じ、ばれないように薄目をあけておく。
いや、好奇心というものである。
「きちんと目を閉じてくれないと、採用しないよ?」
あわてて目を閉じる。こんなことでせっかくの仕事を逃すのはもったいなさすぎる。
目を閉じると、どこからか、シンシンという音が聞こえてくる。
虫か蛙の鳴き声か・・・
「目を開けてくれ。ここが君の配属先だ。就職おめでとう」
目を開けると、白いつなぎを着た職人たちがハンドルをくるくる回して何かを絞り出している。
絞り出した先には、あの、白い乾麺。何が原料か分からない、栄養のある配給食品。
「更衣室と君の指導教官を紹介しよう。
なに、君は若いからすぐに仕事を覚えるよ」
鉄色の機械とどこかうつろな先輩たちを横目に、面接担当官の後をついて行く。
後から思えば、これが、普通に生きる最後のチャンスだったのだろう。
にもかかわらず、そのときの僕の頭の中は、家で待つ彼女が喜ぶだろうなぁという、そんなたわいもないことだけだった。