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事象津波

作者: のばな

2ch「SF新人賞総合スレ」にて開催された「第7回SS祭り」の参加作品です。

「一緒に宇宙の果てに行こう」

 幼い少年時代、野原を駆けることに疲れ草地に並んで横たわりながら、キラはアルに言った。

 キラはアルと一番気の合った友達、つまり親友で、二人のもっぱらの話題は宇宙のことだった。当時の常識でも相対論により光の速度を越えられず、事象地平より先の宇宙へは行けないものとされていたが、先端の研究で事情が変わりかけているという知識も二人にはあったから、アルがキラの言うことをおかしく感じることはなかった。

 地球上のある地点に対してそのちょうど裏側の場所があるように、宇宙でもその曲がって閉じた空間上に一番遠い場所がある。そこへ行けるということは、どこへでも行けるということだ。

「うん、行こう」とアルは答えた。

 キラとは一緒にいるだけで楽しかった。二人で遊びながら途絶えることなく宇宙のことを話した。頭が良く実行力のあるキラがそう言うなら、きっと本当にできるだろうと信じるのはアルにとって容易だった。

 その後しばらくしてキラの家族が引っ越し、二人の交流は途絶えたが、草原でした約束が心から離れなかったアルは、応用物理学者あるいは航宙エンジニアの道を目指し勉学に励んだ。

 大学で専門課程へ進んでまもなく、ネット上でアルはキラの名前を見つけた。物理関係の論文を発表したり議論を交わしたり積極的に活動しているようだった。連絡を取ろうとした矢先に、キラの方でアルのアカウントを見つけメッセージを送ってきた。それで二人の交流が再開された。二人の大学はあまり離れておらず、頻繁に行き来しては少年時代に劣らず話に花を咲かせた。

 二人とも草原での約束を忘れていなかった。進路を選ぶのに迷いはなかった。同じ大学院を出て、宇宙事業で有名な企業の研究所へ入った。

 超光速航法は、その基礎理論の整備が進んで各国各組織では応用への機運が高まっていた。二人にとっては最高のタイミングと言えた。関係分野で注目されるような論文を上梓していた二人は、望みどおりの同じ現場へ配属された。

 相対論により、物体を光速を超えるまで加速することはできない。ただし、空間の収縮と伸張には速度の制限がない。

 このため、宇宙船の前方の空間を縮めながら後方の空間を伸張すると、事実上の超光速航法が実現される。

 しかし、それにはあらかじめ全航路に渡り空間歪曲の仕掛けを施しておく必要がある。未知の宇宙の探検には使えないし、そのために必要な負質量物質エキゾチックマターの量が膨大でおよそ現実的ではない。

 実用化が期待されている方法では、航路全体ではなく宇宙船の存在する空間のみを操作する。その空間は泡立つように微小な単位で収縮と伸張を繰り返し、宇宙船を推し進めて行く。船体は局所的に歪曲され続けるが、空間ごと同様に歪曲される乗員はそのことに気付きもしない。

 精力的に研究を進め成果をあげながら、いつしかアルは気付いていた。キラはいつも「僕たち二人の」という言い方をするが、実際にはキラが主でアルは従だった。研究の根幹となるアイディアを出したりその完成のための主要な役割を担うのは常にキラで、アルはその補佐だった。二人は息が合っており、アルはよいパートナー足りえていると自覚していたが、それでも二人の位置づけは対等ではなかった。

 それでもいい、とアルは思っていた。夢が叶えられるなら、どちらが重要な立場にあるかなどはどうでもいい。目的はあくまでも、人類の宇宙進出に必要な超光速航法の実現を自分たちの手で行うことだ。そしていつか、遠くの宇宙へ二人で行くことだ。

 研究は順風満帆で進み、ついに最初の超光速移動の実験が行われた。全長50cmほどの飛翔体が地球のパーキング軌道から月の周回軌道まで、既存の水準ではありえない時間で到達した。

 祝賀パーティーが開かれ、キラとアルは各界の重要人物に紹介されては賞賛を受けた。このときまで、二人に何の不安もなかった。

 空気が変わったのはその後しばらくしてからのことだった。次の目標はより長い距離を、より大規模な船体で移動することだった。50トンの荷重では大量輸送とは言いがたいが、それが可能であるなら、一足飛びに太陽系を巡る輸送網の構想が現実のものとなる。二人は慢心することなく一層の熱意で研究に打ち込んだ。そこで初めて、アルとキラの意見が衝突するという事態が起こった。

 ふとしたことでアルは、船体に沿って屈曲場を保持するための方程式が発散する条件に気付いた。

「さすがアルだね、いい着眼点だ。しかし、心配ないよ。その条件が成立することはないからね」

 相談されたキラはそう答え、普段通り丁寧かつ流暢に根拠を説明した。彼に信頼を置いているアルはいつもならその言葉で安心して片付けてしまうところだったが、この件ばかりは頭に引っかかって離れなかった。

 それはぼんやりと、しかし消えることなくアルの前に存在し続けた。間を隔てるもやもやした仕切りを取り払いさえすれば手が届きそうなのに、どうしてもその方法がわからないのだ。

 アルがあれこれと思いつく懸念に、キラは疎むことなく取り合った。そのたびにキラが繰り出す反論の鮮やかさも、アルを納得させることはなかった。とうとう、アルは本心を打ち明けた。

「実験を延期すべきだと思う」

 微笑みながらキラは応えた。

「僕は、そうは思わない。今が一番のタイミングだ」

 キラを説得できる自信はまったくないまま、それでもアルは食い下がった。

「万が一屈曲場が保持できなくなれば、何が起こるかわからない。安全のためには慎重になるべきだ」

「そのときは船が通常速度まで減速するだけのことさ。その可能性も、僕は無限小だと見ているよ」

 今までのようにキラを信頼できたら、とアルは願った。しかし今回ばかりは無理なようだった。

 本筋の研究の傍らで、アルは自論の強化に励んだ。船体へ保持されなくなった屈曲場が定常波を形成し、極超光速で進展するという解が、不確実ながら現出していた。

 ネットで意見を求めると、何人かは同意して意見を出したり、手伝ってくれたりした。しかし圧倒的な趨勢は、次の実験を心待ちにして一刻も早い実施を望むものだった。

 他ならぬキラも、アルの研究に興味を持つ一人だった。途中経過の報告書をいち早く読むと、アルの席までやってきて言った。

「この調査は素晴らしい。もっと掘り下げるべきだ。僕も全面的に協力するよ。実験が終わったらすぐにでも、ね」

 ぼんやりした仕切りに存在する亀裂に気付き、そこから手を伸ばして、謎の正体を掴み取る夢を見た。

 落とし穴は実在する、という直感はすでに確信となっていたが、どうしてもキラを説得することはできなかった。そして当然、研究所の上司や各界の関係者もほとんど全員がキラを支持していた。

 そして実験の当日がやってきた。

 二人は大勢の関係者に混じり、並んで、ステーションの窓から無人の実験船を見ていた。

「約束を覚えているかい」とキラが言った。

「忘れるもんか」

 笑いながらキラは続けた。

「いよいよ実現だね。これが成功したら外宇宙探査はすぐさ。アルはどこへ行きたい? やはり最初はアルファケンタウリかな?」

 自信たっぷりのキラの言葉を聞きながらアルは考えていた。

 この船体の規模であれば、問題が実際になる可能性は小さいだろう。実験が終わって落ち着けば、キラを説得できるような方法を見つけられるかもしれない。さらに大規模な実験に進むまでに、できるかぎり調査を進めるしかない。

 しかし、すでに充分盛り上がっているこの気運が実験の成功によって加速されれば、それに冷や水をかけたところで何も変わらないという可能性の方が大きかった。

 懸念に沈むアルの耳に、発電衛星からビームとしてエネルギー転送が開始されたというアナウンスが入ってきた。

 そして発進のカウントダウンが開始された。

 数字がゼロとなると同時に、すっかり少年の目に戻ったキラが高らかに宣告した。

「発進!」

 船体から2ミリメートルまでの空間を包んだ屈曲場が、加速の開始と同時にはじけた。

 およそ千年の厚さを持った時空の波頭が宇宙船を中心として光速の数億倍で球形に伸張し、人類の生存圏は誰一人異変を感じることなく混沌に消えた。

 波頭面は勢いを落とすことなく膨張を続けた。波に飲まれた領域では天体内部の活動、重力による天体自体の運行から輻射エネルギーの伝播まで、すべての事象が因果関係を断ち切らればらばらになって押し流された。宇宙の構造も構成要素も何もかもが意味を失い混沌に飲まれていった。

 やがて時間が過ぎ、津波の波頭は宇宙の反対側の一端へ到達した。集束した波頭は打ち消しあい、そこには宇宙全体から押しやられてきたあらゆる事象が、その繋がりを失って漂った。

「一緒に宇宙の果てに行こう」

 草地に並んで横たわりながら、キラはアルに言った。

「うん、行こう」とアルは答えた。

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