いつも私にわかるよねと気持ちを無理矢理補完させて忖度させようとするから今度はこちらからわかりますよねと忖度させた
「婚約白紙にしてくれ」
「え?」
婚約者が無表情で伝えてくる。思わず癖で青いリボンのついた古い鍵が入っているポケットに触れた。今あるこれは目の前にいる彼と幼い頃に買った宝石箱の鍵。
十六歳になったら開けようとお互いの未来に向けて書いた手紙を入れたものだ。タイムカプセルね、と笑った母たちの声が今も脳裏にある。
今日はグレアの誕生日の前日で、いきなり来た彼に一日早いけど開けましょうと提案するつもりで鍵を持っていた。それなのに誕生日目前で婚約白紙という凶事を伝えにくるデリカシーのなさに、悲しみよりも呆れが勝る。
もっと前から伝えるべきことだと思ったし、誕生日の前の日に伝えるなど最低極まりない。
「なんなの?どうしていきなり?」
「婚約者としてパーティーにパートナーとして隣に立たされる前に、君に伝えておかないとって……わかるだろ」
わかるだろってなんだろうか。言いたいことがあやふやで比喩的だ。彼とはそこまで通じ合っていないのでアレと言われてもドレなのかさっぱりだ。
阿吽の呼吸ではないのだから、せめて言葉を端折らないでほしい。別に彼とは幼馴染であって恋愛で結ばれているわけではないし。
「伝えておかないとなんなの?変な誤魔化し方はしないではっきり言って。都合がいい言い方をして、私にわからせようとするのはやめて」
もう婚約者ではないのなら、彼のなぜか主語を言わない内容を代弁したり把握して先回りしたりする理由はなくなる。今までは分かった部分を感じ取ってやっていたこともあるが、毎回疲れていた。
阿吽の呼吸ではなく、グレアが理解するまでちまちまヒントを出して謎を問いかけるように、たとえばたとえばと言い続けてわかるまで言うのだ。グレアは回答者でも物分かりのいい人間でもない。
正直、人間と話している気がしない。試し行動なのかなんなのか。どっちでもいい。付き合うことがなくなるのなら即行他人のふりをして離れたくてたまらなかったから。言われてすぐに踵を返すと彼が呼び止めてくる声が聞こえて、なぜ呼び止めるの、と疑問が湧く。
婚約を無しにした女に向けて他になんの用があるというのか。ジッと見ていると彼が手を挙げてまるで合図したように木の幹に向けて振る。カサッと木の枝が動く音が聞こえると、一人の令嬢らしき女が陰から出てきた。
「紹介しよう、レーニド令嬢だ。彼女の父上は国外で宝石商を営む経営者で、ここ最近業績を伸ばしているファルラ商会のご令嬢だ」
記憶のかけらを静かな食卓に並べるように頭の中に組み立てる。雨に降られた静かな舞踏会に参加した方がマシな光景に、眩暈がした。
隠された財産を守る守護者が探検家のような顔つきで、二人は手を取り合う。元々深い関係に至っていたのは誰が見ても明白だ。
これから何を言われるのか薄々理解した。実は双子だったのだとか、実は男だったのだとか女だったのだとか言われた方が衝撃で吹き飛ぶ。
「彼女は真実の愛で出会い結ばれた。君には悪いけど彼女なしの人生など考えられない」
ツラツラと言い出す不貞を真実の愛という臭い砂糖にまぶしたところで、口に入れたら吐き出すほど不味いのでは。真実の愛といった言葉に逃げた先に待つのは、無か破滅か。
グレアは死んだ光の目で二人の会話を聞き流し、認めてくれとなぜか元婚約者に公演のような真似をして幕を下ろそうとする。終わった気になって何も持っていない無一文の男女が、背伸びしながら大人ぶっているようにしか見えない。
「そうですか」
「認めて欲しい」
「お願いします」
口を開いてもいいと許しを出していない彼らへ足を後ろにやり、淑女として許される速度で場を離れた。気持ち悪い異性交友を見せられても見物させられたクレームさえ、払って欲しい気持ちになる。
「お父様」
「どうしたグレア」
家に帰り父に今日のことを話し、横取り令嬢と不貞をした婚約者について報告した。
「商会?」
父は怪訝そうな顔をするからグレアは頷いてみせた。
「おそらく……見栄をはったのかと」
「なんということか。恩を仇でっ。許さんぞ」
父がテーブルを叩くと翌日ファルラ商会の最高責任者が替わった。レーニド令嬢の父からその次に出世した男だ。つまりは、令嬢の父親はまるで私物のように語っていたが、グレアの父の大きい会社の商会を任せている部署で、大きな顔をしていただけの小物が浮気相手の父親だ。当然、名誉会長たる父が交代と言えば、即日交代となる。
「君、クビね」
「えっ……はい?」
丸一日猶予は与えられたが、周りの忖度により早朝に来て早々解雇を受けて私物をどっさり段ボールに詰めて渡され、追い出されるように店から追い出された。
「あの、意味がわかりませぇん!」
脆い肩書きであり雇われ会長だった。レーニド令嬢は唐突な父の解雇に父が今にも死にそうな顔をした状態で家に帰ってきて、今ごろ絶望に震えていることだろう。
「どうしてこうなったか?娘に問い詰めてみてください。我々はプライベートになど関わり合わないのでね」
ただクビにされたのではなく、娘を管理できなかったことで会社に損失を与えた罪による強制解雇だ。少しずつ出世していた父親がそうなると、稼ぎで貴族家を余裕で支えていた資金も縮小されるだろう。
恐らくお金持ち生活も終了するだろう。慰謝料だってうちに払わねばならないのだから。莫大になるだろう。雇われていた会社の姫たる最上の令嬢の婚約者を奪ったことになるので、腫れ物に触るように部署の元部下たちは目を合わせるわけもなく。
元婚約者になった男は婚約破棄による有責、不貞による精神的な苦痛があったと慰謝料を請求。元婚約者の親は二人の子供がうまくいっていると思い込んであり、蜂の巣を突いたように大パニックに陥っていた。
「なんてことをしたの!なんてことを言ったの!」
「い、痛い!痛い母上っ」
「謝りなさい、今すぐグレアさんに謝りなさいっ。誠心誠意謝って許してもらいなさいっ」
提携していた事業に支援、グレアのうちのネームバリューで強化されてきた分、グレアを裏切ったレッテルを貼られた男の家の失落は目に見える場所にある。
母親のお気に入りの扇子がばっきり折れても、息子を叩き続けた。男の父は契約の違反という貴族院に提出していた契約書の紙が、赤い文字で決定事項として書いてあることに仕事のデスクの上で項垂れるしかない。
どんな力を使ったのか昨日の今日で事業提携どころか婚約の撤回まで手が回されていた。婚約の件に関して息子から聞く前に紙が送られてきて、詳細までも報告書として証拠付きで送られてきては懇願さえ許さないという構えに、あちらの本気が窺える。
話し合う以前の問題だ。元婚約者子息が幼い頃にグレアと書いたという手紙も、添付されて届いた。外見はボロボロだが日に焼けておらずペン色も薄くなっていない。大切に保管されていたことがわかる。
「はぁ」
不誠実男の父親は溢れる愚鈍なため息を放ち、手紙を開く。
「これをよんでいるぼくはもうおとなですか?グレアちゃんとふうふですか?しあわせにしてあげてますか?」
過去の息子に息子は負けた。周りは婚約者だった向こうの家に忖度して、こちらの家と距離を取るだろう。
経営手腕が敏腕な男の娘という宝を手放した自分の息子は、令嬢のおかげで爵位以上のいい暮らしを過ごせていたことすら知らず、呑気に浮かれたのだ。
たかがグレアたちの家の傘下の商会の娘に色めき立って、不意にするなんて。宝石商などと謳い一代で築き上げたような口ぶりを実の娘に吹き込み、雇われのくせに周りが知らないからと社交界や評判を謳歌していたみたいだ。
*
芸術品にも相当する外来品である桃色のティーカップをうっとり眺めるグレアが、ガゼボのティーテーブルで吹き抜ける風を受けて、息をゆったりと吐く。
「気に入った?そのカップ」
「ええ、美しくも色合いが良いですわ」
外来品を買い付けてグレアにプレゼントしにきた男が嬉しそうに、同じく淡い水色のカップを手に取る。
「こういう、夫婦で対になっているものは流行るかい?」
彼は今回繰り上がりで商会の会長の椅子に座ったカーレス。貴族の次男で美術系の文系一家として生まれ、観察眼を磨いてきた男だ。最近美術専門学園を卒業し、せっかくなら任せようと父が推薦した。
グレアもカーレスのことは知っているので彼はいいですね、と密かに後押ししておいた。
「あなたは私たちが忖度せずとも実力者ですので、安心して任せられますわ」
手を組み、にこりと笑う。
「ありがとう、できるだけやってみる。前任者があちこち新しいものに手を出してたみたいで若干処分が面倒だけどね」
前任者は浮気相手の父親なので、彼が面倒がるほど輸入品を目新しいだけで予算が許す限り買っていたみたいだ。
「面倒なら父に言うといいわ。あなたを疲れさせるのは営業の望むことではないと思っておりますもの」
カーレスはまだ平気だと笑う。
「婚約は残念だったね」
「時間は人を変えるという名言は間違ってなかっただけでしょう」
誕生日も無事終わり、何事もなかったように皆は祝ってくれた。誰一人男の名前など出すことはなく貴族社会の怖い部分を垣間見せる。
「もう一つ渡すものがある」
カーレスは薄く目を細めて小さなジュエリーボックスを取り出す。
「こっちの箱は君が僕と手紙を入れたものだ。覚えている?」
「今思い出しました。書いた記憶もおぼつかないですが」
「別にいいさ。婚約者が優先されるのは間違っちゃいない」
彼はクスッと笑い星形の宝石が埋め込まれた鍵を取り出すと、かちりと回す。中がキィと開き、手紙がいくつか入っていた。中をゆっくり取り出すと、口元を緩めるカーレスはこちらに手紙を差し出してくる。
「君の手紙」
「怖いわ。私は何を書いたのかしら」
「そこまで気にする必要はないと思うけどね」
明け透けに肩をすくめる男に、強張りかけた手紙を恐る恐る紐解く。出てきたのは元婚約者と書いた文字よりハッキリしている文字。どうやらこちらの手紙の方が遅かったらしい。
「かーれすとけっこんしたかったなぁ」
「えっ」
思わぬ内容にピクッと跳ねる。
「どう?」
「え、ええ」
彼に隠すことでもないからと、渡す。彼も自分のものを渡してくれた。紙を読むと「ともだちになってほしい」と書かれている。将来に向けたテーマで書かれたわけではないので比べるわけではないが。
元婚約者とはこの時すでに心が離れ始めていたのだろうかと、小さい頃を思い出そうとしてみた。が、思い出せない。途中から義務と我が家の重さを持ち上げなければと必死だった。
いつもこちらに察させて言葉を惜しむ男のせいで、楽しくないと思うようになった。何か取るときもアレ取ってよなんて言うが、アレってなんだと毎回呆れていてばかりで深く考えることなく婚約関係を続けていた。
「ああ、確かに言われたね」
「私が結婚したいと言ったの?」
「うん……その頃には君は婚約してたから無理だったけどね。その時に婚約者を僕にしておけばよかった、と君の父上にこの間悔しげに言われたりもしたなぁ」
「お父様ったら」
クスクスと笑うと男と笑う。
「皮肉なものね」
「そうかな?なるようになる。芸術も書いてすぐ評価されるわけではなく、ずっとあとになって評価されて高値が付くものが多くある」
「面白いわ」
「君も今だからこそ高値で売り出せるだろう。昔よりもさらに資産が増えているんだから」
男の言葉は本気なのかジョークなのかわからない。しかし、慰めてくれていることはわかる。ニコッと笑う。
「そうね。私には鑑定の資格を持つ知り合いがいるから、きっと高く値を付けてくれそう」
少し意味深に言ってみる。目は確かな彼はさて、言葉の鑑定もうまく聞き取ってくれるだろうか。
小さなレディが書いた本心のラブレターを胸に抱いて、カップと同じ色になっているだろう頬を隠した。
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