悪食姫
隣国に「悪食姫」と呼ばれる皇女がいた。
悪食姫の名は、メイリン・カクライ。
アイシン皇国の第一皇女である。
彼女の婚約者の名は貿易大国であるタリスティア王国、第二王子アルフォンス・ウルバラ・オスティカ。
国が違えば文化が違う。
この婚約はいわば政略的なものだと、誰が見ても明らかだった。
武力大国のアイシン皇国と婚約を取り付けたことは、それだけで有益な事である。
ただ、その国の皇女は、たいそう悪食であった。
四足で立っているものなら、家財以外。
空を飛ぶもの、川を泳ぐもの、地を這うもの。
生きているなら、彼女は人間以外なんでも食べようとし、これ以上は用意できないと料理人が嘆けば、彼女は涼しい声で「なら、自分で捕まえます」と狩りに行くほど、食へ関して恐ろしい執念を燃やす皇女であった。
事件が起こったのは、要人が集まる夜会でのこと。
「メイリン・カクライ! この場を持って、お前との婚約を破棄する!」
アルフォンスの声が高らかに響く。
開放感あふれる力強い声であった。
その腕には別の小柄な女性を抱いており、招待客は皆息を呑んだ。
下手すれば国際問題になりかねない暴挙である。
黒目黒髪のメイリンはこの国の「美人」の条件には当てはまらないが、理知的な目元と涙黒子には不思議な魅力がある。
彼女の第一声はなにか、と固唾を飲んで見守る中、メイリンの口が開かれる。
「――それは出来ないご相談です。殿下」
「ッ……これは相談なんかではない! お前にはもううんざりだ!」
「そちらの女性は?」
「彼女はエイミー・コレットン。彼女こそが俺に相応しい“唯一の人“だ!」
その言葉を聞いた瞬間、メイリンの顔色が変わった。
「……私の何がご不満だったのでしょう。私の愛が不足しておりましたか?」
異国語に堪能なメイリンの落ち込んだ声が聞こえて、アルフォンスは気分を良くしたまま告げる。
「お前が俺に近付こうとする女をことごとく排除していたのは知っている。その内容もすべて報告を受けているから、言い訳をしても無駄だ。加えては留まるところを知らぬ悪食。性根の卑しさに愛想も尽きた。エイミーは落ち込んでいる俺を傍で励まし癒し、ときには叱咤してくれる優しい少女だ。お前とは天と地ほど違う」
件の娘は口を開かないが、大人しく王子の腕に抱かれていた。
「殿下、誤解です」
「この期に及んで言い訳か」
「すべては殿下を愛するが故。アルフォンス様、どうかご理解を」
「愛している? 本当に愛しているというなら、こんな真似はしないはずだ!」
「アルフォンス様……」
ショックを受けたように口元を覆い俯いてしまったメイリンに、アルフォンスは満足げに笑う。
「お前はさっさと国に帰ることだな」
してやったと思っていたアルフォンスだが、メイリンの表情を見て、動揺を隠せなかった。
ーー大輪の牡丹が咲いたような笑みを浮かべている。
色香を滲ませ、どこかうっとりしたようにメイリンは吐息を零した。
「ああ、素敵」
「……は?」
「本当に、どこまで可愛いの。私の殿下」
得体のしれない化け物と対峙している心地だ。
一歩一歩悠然と近寄ってくる皇女は、目の前まで来ると白磁の手を頬に伸ばした。
「私の国にはこんな言葉があるのです。”愚かでない男など、女は愛さない”。恥ずかしながら、この婚約は私から申し込んだのです。アルフォンス様はご存じないでしょう?」
「どういう……」
「本当に婚約を破棄できると思っている浅はかさ。他の女に心を奪われる愚かさ。公衆の面前で政を考えられない間抜けっぷり。どこをとっても私好みです。ああ、私の目に狂いはなかった!」
ここまで興奮しているメイリンを、アルフォンスは見たことがない。
彼女が興味を示すのは食事ぐらいでーー。
「私、知らない味を知るのが好き。殿下のように馬鹿で愚かで正直で憎めない方、きっと他にいないわ。だから彼女を”唯一”だと言ったのは撤回してください。私があなたの唯一で、あなたが私の唯一なのですから」
肌の感覚を確かめるように、親指が何度も頬を優しく撫でる。
アルフォンスは、背筋が凍る感覚を思い出した。
「私、狙った獲物は逃したことがないんですよ。だから、アルフォンス様」
恐々と視線を合わせれば、メイリンは目も眩むほど鮮やかに微笑む。
「ーーどうか諦めて、私に愛されてくださいな」
紅を引いた唇が吐いた言葉は、まるで死刑宣告のようだった。
アルフォンスは何も言えなくなり、目を見開いたまま呆然としていると、抱きしめられる。
いつのまにか腕の中にいた少女は離れたところにいた。
*****
【後日談1】
「先日はうちのバカ息子が失礼した」
「いいえ、とんでもない」
国王陛下と対面し、メイリンは穏やかに微笑む。
「しかし、あんな暴挙に出たにもかかわらず愛想をつかさずにいてくれるなんて、なんと感謝すればいいか」
「おやめください、国王陛下。感謝なんて必要ありませんわ」
なんと慈悲深いのかと国王が感動していると、メイリンは続けて、何かを記憶を思い出すように言葉を紡いだ。
「――私は昔、豚を育てていたんです」
「は、豚?」
「ええ。本当に言うことを聞かない暴れん坊でしたが、自分の手で育てていたから自然と愛着もありまして、ごはんの時間になると私を探してくれるのが嬉しくてついつい餌を届かないところに置いて怒らせてしまったり。きちんと我慢が出来たら褒めて、うんと美味しいごはんをあげてたんです」
「……さぞ、可愛がっていたんだな」
「はい」
軽快な相槌のあと、話が続くと思っていたのに続かなかったので、国王から「それでその豚は?」と尋ねると、信じられない回答が返ってきた。
「食べました」
予想外の台詞に、王は唾を変な風に呑み込んでしまい、思わず咳き込む。
「自分好みに育て上げた豚はやはり美味しさも格別でございましたわ」
陛下は身の毛のよだつ思いで、息子に初めて同情をした。
この姫君からは決して逃げられないだろう。
「安心してください、陛下。私、どんな殿下でも残さず美味しくいただきますので」
「あ、ああ。それはそれは……、お手柔らかに頼むよ……」
なんとか言えた言葉はそれぐらいで、王は乾いた愛想笑いを浮かべた。
こうも面と向かって断言されては、他に何も言えなくなる。
メイリンが退室する前、王は少しだけ気になっていたことを聞いた。
「その、アルフォンスのこと、どうして好きなんだ?」
お世辞にも性格が良いと言えないバカ息子だ。
今まで数々の令嬢に袖にされていた。
振り返ったメイリンは、愛しいものを語るように笑った。
「だって私、悪食ですもの」
*****
【後日談2】
2人の少女は向かい合って座っていた。
片方は微笑みながら。片方は怯えながら。
「ご苦労様。褒美はこれで」
たっぷり金貨の入った袋を受け取った少女は、彼女を上目遣いで見上げる。
「本当に、これでよかったのでしょうか」
その少女の名はエイミー・コレットン。
しがない町娘だが、普通と少し違うのは「ある王子と親密になるよう」依頼をされたことだ。
「ええ、満足です。踊らされてることを知らないで、すべてを仕組んでいた私に、"してやったり顔"をするなんて、愛しい以外に言葉が見つかりません」
その言葉にエイミーはこっそり鳥肌を立てる。
初めて殿下が可哀想だと思ってしまったが、私も私で生活があるので仕方がない。
これでやっと、家族の薬が買える。
エイミーは「じゃあこれで」と頭を下げて、屋敷を後にした。
願わくば、もう関わらずに生きられますようにーー
そんなことを思いながら、路地裏を駆けたのだった。




