第8話 神の不在、老人の沈黙
シェルターの心臓部、中央区。外縁部で血が流れている頃、ここでは空調の完璧に効いた会議室で、別の戦いが行われていた。
評議会議長、サロモンは、古ぼけた机の上に広げられた報告書を黙って見つめていた。深い皺は、秩序維持という重責が刻み込んだ溝だ。
「――東部セクターでの作戦は失敗。第3班は全滅したと報告が入っている」
その言葉に、真っ先に鼻で笑ったのはヘイゼル議員だった。彼女は極度の汚染嫌いで知られ、自分の手袋が汚れるのを恐れるように眉をひそめた。
「当然の結果ですわ。あのような野蛮な集団に予算を投じるからこうなるのです。クロウなど解散させ、境界線を完全に封鎖すべきです。穢れた『灰』をこれ以上入れないために」
「お言葉ですが、ヘイゼル議員。それは思考の放棄だ」
落ち着いた、しかし傲慢な響きを持つ声が遮った。進歩主義者のバルカス議員だ。彼は狂信的なまでの好奇心を瞳に宿している。
「死を失った我々にとって、あの還流の果てにある進化……虚人こそが、人類の新たなフロンティアだ。クロウにはもっと過酷な調査をさせ、より新鮮なサンプルを持ち帰らせるべきだ」
「進化? あれはただの化け物よ!」
二人の言い争いを、サロモンは沈黙で制した。彼の視線は、窓の外……シェルターの管理が行き届かない、暗い居住区の方を向いている。
「……バルカス。お前が個人的に【エターナル・グレイス】と接触しているのは知っている」
サロモンの静かな言葉に、バルカスがわずかに肩を揺らした。
「……教団の資金力は、もはや評議会の予算を上回っている。彼らは『還流を制御する技術』を開発したと言い張っている。秩序を保つためには、彼らの力が必要なのだ」
サロモンは目を閉じた。評議会が内紛に明け暮れる中、教団の毒はすでにシェルターの根深くまで回っている。
「教団を動かしているのは神ではない。欲望だ」
老議長の呟きは、誰の耳にも届かなかった。
その頃、俺は血の味のする呼吸を繰り返し、シルバー・セクターの隠し搬入口付近まで辿り着いていた。
意識が遠のきそうになるのを、最後のリターダーの注入で繋ぎ止める。だがそこで、俺は見てはならないものを見た。
管理局さえ立ち入らないはずの「緊急廃棄ダクト」。そこに、教団の紋章を刻んだ数台の装甲車両が停まっていた。真っ白な防護服に身を包んだ教団の「聖衛隊」たちが、手慣れた様子で巨大なケージを運び込んでいる。
その中に入っていたのは、東部セクターで俺たちを全滅寸前まで追い込んだ、あの「巨大な虚人」だった。
奴らは虚人を駆除しているのではない。――回収しているのだ。
さらに、隣の車両に積み込まれるものを見て、俺の心臓は凍りついた。
ぐったりとしたテムの姿。そして、見慣れた研究所のロゴが入ったアイリスの植物コンテナ。
「……クソッ……!」
声を出そうとしたが、喉が焼けて音にならない。
教団と評議会。癒着の闇は、俺が想像していたよりもずっと深く、そして俺の大切なものをすべて飲み込もうとしていた。
ギリアムの姿はない。奴らに捕まったのか、あるいはまだ戦場を彷徨っているのか。
俺はボロボロの身体を引きずりながら、音もなく閉じていくダクトの扉を、ただ絶望とともに見つめるしかなかった。




