掠れる和音
何も見えない光の中で 目を細めていた
なあ僕の心よ これが君の目指す未来かい?
愛も救えない声の中で 口を閉ざしたって
なあ僕の心よ なんで君は静かに暴れるんだい?
ゆくあてなんて無くて 帰る場所だって無くて
ビルの隙間に ずっと ピントを合わせてた
ゆくあてなんて無くて 帰る場所だって無くて
いつか忘れ去られる 答えも見つけられずに…
_______________
「えっとー……なんだこれ?」
衝撃的な出来事が重なって、憤怒半分諦め半分といった気持ちのまま自宅へ帰った僕を待っていたのは、異常なほどに積み上がっている大量の段ボール箱だった。
「これ、全部南海くんの?」
「うん。パパとママがこれくらい持っていかないとダメだって……」
「……そう。」
僕がここに引っ越してきたのは、今から一年と少し前。
つまり、おおよそ入学式の半月前のことだ。
その時はキャリーケース一つに収まる荷物しか持ってこなかったから、こういうのって人や家庭によって違うんだなって思った。
ちなみにここは、一人暮らしを想定して建てられたマンション。
二人で生活するには少し手狭だが、洗濯機や冷蔵庫、エアコンやテレビなどの基本的な家電は備え付けられていて、インターネット回線も開通済みという、比較的築年数が浅くて配慮の行き届いている物件だ。
しかしこの大量の荷物をどうしたものか……
それでもこのまま外に放置するわけにもいかず、渋々荷物を部屋にしまうことにした。
「とりあえず、入れないと。」
「う、うん。ごめんね。」
これはもう、なんというか……
「そうだ、住所。」
運んでいる最中、どこから引っ越してきたのか聞いていなかったことに気がついて、荷物に貼り付けてあるラベルを横目で見てみた。
するとそこに書いてあったのは、東京都内の一等地と言われる場所の住所……
建物名や部屋番号が書かれていないことを考えると、おそらく一軒家なのだろう。
「近くね?」
そう。
ここからでもこの住所まで行こうとすれば、それこそ一時間と少しで行けなくもない距離だ。
「……まあいいか。」
そんなことを呟いた僕は、自分の体よりも大きい段ボールをふらつきながら運んでいる南海くんを手伝いながら、三十分ほどかけて荷物を運び入れ終えた。
さてと。
一人暮らしの僕の家には、当然ながら食器や布団などの類は僕のものしか用意していない。
せめて数日前に教えてくれれば、ある程度買い揃えることができたのだけれど……
そんな中でかろうじて買い置きがあった紙コップに麦茶を入れて差し出すと、南海くんは満面の笑みを浮かべながらチビチビと飲んでいた。
あの荷物の量……
まだ中を見ていないからなんとも言えないけれど、絶対に数ヶ月分の量ではない。
とりあえず暫くの間僕の家にいるとしても、その後はどうするのだろう。
ていうか三ヶ月の根拠ってなんだ?
なんだか、ものすごくモヤモヤする。
「美味しい!」
「あ、そ、そう?普通の麦茶なんだけど……」
「美味しいの!」
「ああ…それならよかったよ。」
なんだろう、この違和感は。
屈託のなさすぎる笑顔と、時折見せる落ち着いた言葉が相まって、異なる二人の人物と会話をしている気分になる。
それは決して居心地が悪いとか不気味とかそういうことではなく、ただ不思議なのだ。
「あー。夜ご飯どうしよう。」
一人暮らしの夜ご飯なんて、言葉が悪いがたかが知れている。
だからおもてなしができるほどの食材なんか、冷蔵庫にあるわけがない。
「一応確認なんだけど、暫くここで生活するってことでいいんだよね?」
「うん。用意してあるから心配しなくていいよって先生が言ってたから、心配ないのかなって思ってた……ごめんね。」
「ああいや、南海くんは悪くないよ。」
あの大人たちは一体何を考えているんだ?
いくら普段反抗的な発言をしている僕に対しても、一線を飛び越えた行為であることを自覚してほしい……
「それじゃあとりあえず、ここに置いておくか。」
2DKの間取りの片隅にこれを積んでおくのは、正直に言って精神衛生上よろしくない。
身も蓋もない言い方をすると、明らかに邪魔だ。
しかしこの段ボールの開封には、どうしてもまとまった時間が必要。
南海くんにとって、なにか特別な物が入っている場合もあるわけで。
つまり乱暴に扱うことは絶対にできない。
しかしそんな僕の考えを優しく否定するように、南海くんは口を開いた。
「この荷物はまた今度転送するから大丈夫だよ。本当に必要なものが入ってるのは分かってるから、それだけ残すよ。」
そう言って少しだけ目を伏せた。
んー?
なんでわざわざ転送する前提で、この場所に送ってきたのだろう。
忙しい生活の中でとりあえずっていうのならまだしも、一時的だとしても親元を離れて生活をするなら、それなりに考えて荷造りする気がするけれど……
なんだか細かいところで掴みどころがなくて、例えるなら綺麗な和音を奏でているようで、その中の一音だけ半音ズレているような、そんな感じ。
「……やっぱり迷惑だよね。」
「え?」
いきなり神妙な顔つきになった南海くんは、言葉を詰まらせて声にならない小さな息を吐き出していた。
「いや、迷惑じゃないけど……もう少し詳しく教えてくれると助かる。」
「分かった。」
そこで話されたことは、誰が聞いても半信半疑になるような理由で、僕もその例外ではなかった。
仕事の都合とかそういうことではなく、ご両親ともに同じタイミングで体調を崩して、自宅を売り払わないと生活ができないくらいになった。
ここにくる前、南海くんはご両親が入院した後も、一人で生活を続けていたらしい。
しかし、高校生を一人で生活させるのは心配だと親戚たちが話し合った結果、転校をしてでも安心できる環境に身を置ける場所を探そうという結論に至ったそうだ。
「んー……その親戚の人って連絡取れる?」
もし親戚の人が絡んでいるなら……ご両親以外の大人が関わっているのなら、さすがに僕にだって一言言う権利くらいあるだろう。
安心できる環境って、その根拠はなんなんだ?
なんで僕は何も知らされなかったんだ?
なんだかプライバシーなんて何も無いに等しいくらい、酷いことになっているぞ。
「僕、スマホ持って無くて……親戚の人も連絡先がわからないんだ。」
うーん……
こんなことってあるものなのか?
でもそれなら、こうなったら後日担任に聞くしかないのか……
「あーもういいや。今日の夕飯、近くのファミレスでもいい?奢るよ。」
「ありがとう!僕、月の定期代と最低限のお小遣いしかもらえないことになってるから嬉しい。」
「……そうですか。」
つまり少なくとも今後三ヶ月間は、生活費の工面は僕がすることになりそうだ。
幸いにも、実家から生活に困らないくらいの仕送りをしてもらっていて、少なからず貯金ができてるから……それを使えば大丈夫だろう。
……三ヶ月間だけなら。
南海くんも、純粋そうなその裏に隠れている不思議な内面が妙に引っかかる。
しかし、もうこうなったら後々分かることだと思うしかない。
さて、僕の住んでいるマンションはセキュリティが厳しく、建物を出る際にも顔認証システムを使用するかインターホンで警備員室に連絡をする必要があり、そこが少し面倒くさい。
大手警備会社の警備員が常駐しているので安心といえば安心だが、宅配業者泣かせの建物として有名らしい。
まあ、安心に越したことはないので、別にいいのだけども。
「僕ファミレスって初めて!」
「そうなの?」
「うん。普通のレストランには行ったことあるんだけど。」
「なるほどね……」
これがもし付き合いたての男女だったら、価値観の違いとやらで一気に冷めるパターンなのだろうか?
「まあ僕が恋愛なんてしても、すぐに別れるのがオチなんだけどね。」
ボソッとこんなことを呟いた僕のことを、南海くんは何故か明るい表情で見つめてきた。
「僕は咲真くん好きだよ!男らしくて素敵。」
「……そりゃどうも。」
男らしい。
らしいって何なんだろう。
一応言っておくと、僕は男という枠組みに入れられるのが苦痛というわけではない。
男としての立ち位置に振り切られない限りは、大丈夫だと思っている。
「どうせ好きになるなら、僕以外のほうがいいと思うよ。学校に行けば沢山の人と知り合えるし。」
「そっかぁ……そういえば制服ってもらえないの?」
「え、もらってないの!?」
静かに頷く南海くん。
あのバカ教師ども、肝心なことをすっぽかしてどうすんだよ。
「明日は私服で行くのかな?」
「いや、うーん……それでもいいけど、僕の余ってるジャージで良ければ貸すよ?サイズ大きいと思うけど、私服よりは目立たないんじゃない?」
「え、それがいい!帰ったら試着してもいい?」
「うん……いい、よ。」
なんだろう、例えるなら、壊れたフリーフォールのように乱高下する人だ。
これ、マイノリティ以上に大変なんじゃないか……?
「ねえねえ、ここって何?」
不意に話しかけてきた南海くんが指した方向には、どこにでもありそうなコンビニがあった。
「……入ってみる?」
さっきから疑問ばかりが浮かんでいる僕の頭は、答えを言うよりもそこに入るほうが色々と早く事が進む気がするくらい、少しだけオーバーヒートしていた。
別に何の変哲もないコンビニだけど、最大手と言われる類のコンビニではないから、もしかしたら以前住んでいた場所に無かったなんてことも、無きにしも…あらずなのかな?
もうこうなったらコンビニでご飯を買うことにしようと思って、さっさと弁当コーナーに行くと、ギリギリ帰宅ラッシュの時間帯に間に合ったこともあって、それなりにラインナップは充実していた。
「なにか食べたいものある?」
南海くんはまるで玩具コーナーで両親におもちゃを買ってもらう子供のような、そんな表情をしていた。
別に急ぐこともないだろうと、僕も適当に選んでいたら、「これって何?」と南海くんが手にしたものを不思議そうに眺めていた。
「えっと……」
南海くんが持っていたもの、それは何の変哲もないカレーライスだった。
「初めてみた!すごいね。」
「……はあ。」
思わず返す言葉に詰まってしまったが、ドキドキする心臓をなんとか落ち着かせた。
今まで食べてきたものを聞きたいけれど、なんかそれも怖い気がしてやめた。
カレーって家庭料理としては結構メジャーな食べ物だと思ってたんだけど……
でも、食べたことがないのならと思ってカレーライスを二つ手にとってから、ペットボトルのコーヒーと麦茶を追加で買い物かごに放り込んでレジに向かった。
「あれ、店員さんは?」
「あー……セルフレジとかキャッシュレスレジって言って、自分で買い物してお金払うんだよ。」
「えー、すごい!」
なるほど。
これは僕が想像していた以上に裕福な、いや…不思議な家庭環境だったのかもしれない。
でもあの住所に書かれていた場所に住んでいるのなら、ここよりむしろコンビニの設備はいいはずだから、見たことがあってもおかしくないはず。
ということは自分で買い物をしたことがないのか、それとも……
「うーん……」
色々難しいな、なんて思いながら手早く会計を済ませて店を出たとき、スマートフォンに着信があった。
「ん、誰だ?」
両親とも長いこと電話をしてないから驚いて画面を見ると、知らない電話番号からだった。
「無視でいいか。」
しかし強制的に切っても何回も着信が来るから、もしかしたら重要な連絡かもしれないと思い電話に出てみたら、「おお、咲真くんか。さっきぶりだね。」と、必要性を全く感じないドスを効かせた人物からだった。
「……なんすか校長。」
昼間のことが頭の中に残り続けている僕は、どうしてもぶっきらぼうな返答をしてしまう。
……というかなんで僕の電話番号を知っているのか。
いや、どうせあの人の仕業だろうから、もうどうでもいい。
「実は転校生の制服を用意するのが遅れていてな。ゲイだって公言された事例は初めてだから、どうしたらいいのかまだ答えが決まってないのだよ。」
「いや、多様性なんて言ってる学校なんだから、そこは対策しててくださいよ!……とりあえず性自認の問題じゃないから、男子用でいいんじゃないですか?あくまで制服は戸籍の延長にあるって自分は思ってるので。何なら隣に南海くんいるから代わりましょうか?」
「ああ、いいよ大丈夫だ。男子用の制服だったらすぐに用意できるから、明日は普通の格好で来るように言っておいてくれ。」
言っておいてくれって……本当に何なんだ。
あと、普通ってなんだよ普通って。
しかし今日はこれ以上モヤモヤを増やしたくなかった僕は、話はそれで終わりかと確認をして早々に通話を切った。
「はあ……」
深くついたため息に、南海くんが少し申し訳なさそうな表情で俯いていた。
「あー、大丈夫だよ。あいつらが異常なだけだから。ったく、何が多様性だよ。どこで情報漏らされるか分かったものじゃないな。」
どういう経緯でこの学校に転校することになったのか、未だその概要すら掴みきれていないなかで、僕はこの人を守らないといけないのだろうか。
正直に言って、こんなリスキーなことを引き受けたくはないし、引き受ける理由だってない。
マイノリティ同士なんて理由が、そもそも馬鹿げているのだ。
ほんと、何が多様性だよ……
「……ん、帰ろう。」
それでも、見た目は絶対に高校生に見えないその姿に、僕は自然と手を差し伸べていた。
そんな僕を見て満面の笑みを浮かべた南海くんは、僕の手を軽々飛び越えて腕に身体を密着させてきた。
これをマイノリティが理由になるかは、人や環境によるだろう。
ちなみに僕の性自認は、男女どちらでもないXジェンダーだ。
「学校、緊張する……」
「それはねえ……そりゃそうだよね。」
絡めている腕越しに分かる、小さくて確かな震え。
この震えを委ねられる大人は、ハッキリ言って期待できないも同然だろう。
「まあ、頑張ろう。何かあったら力になるから。」
今はまだ、こう言うしか思いつかなかった。
孤独は慣れても辛いもの
自分の認知や行動が正しいなんて、少しも思っていない。
だけどそれでも……誤解だけはいつか解けたらいいのに。
(次回は2月13日金曜日22時に投稿します)




