第八話 残された選択
――昔。
まだ、ミコが生まれる前。
神域の端に、一人の神使が立っていた。
白い空の下、人界を見つめる横顔。
それが、彼女の父だった。
「……今日も、届いている」
誰にともなく呟く。
祈りの声は、弱く、か細い。
けれど、確かにそこにある。
彼は知っていた。
このままでは、いずれ裁定にかけられる。
消される存在だと。
それでも――
目を逸らすことは、できなかった。
――現在。
ミコは、神域の回廊を歩いていた。
あの社の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。
胸元の勾玉が、微かに熱を帯びる。
視界が、ふっと揺れた。
――回想。
雨の降る人界。
父は、社の前に立っている。
崩れかけた鳥居。
誰もいない境内。
それでも、彼は膝をついた。
「……聞こえている」
誰もいないはずの場所で、
誰かに話しかけるように。
「まだ、終わっていない」
祈りは、彼の胸に、確かに届いていた。
その瞬間、彼は理解してしまった。
――自分が越えてはならない線を。
――現在。
ミコは、思わず足を止めた。
この記憶は、勾玉を通して流れ込んでくる。
父の選択の瞬間。
恐れも、迷いも、全部抱えたままの決断。
――それは、
間違いではなかった。
そう、言われている気がした。
白峰が、向こうから歩いてくる。
「……また、見たな」
ミコは、驚いて顔を上げる。
「分かるんですか」
「分かる」
白峰は、静かに言った。
「お前の目は、父と同じになる」
ミコは、胸に手を当てた。
「……私、まだ答えは出ていません」
「それでいい」
白峰は、そう言って歩き出す。
「だが」
一拍おいて、振り返った。
「次の裁定で、問われるのは――」
ミコの目を見る。
「お前自身の、選択だ」
神域の白い空に、その日、わずかな陰が差した。
それは、夜の予兆だった。
父が踏み出した一歩と、
自分がこれから踏み出す一歩。
重なる場所は、もう、すぐそこにある。




