第七話 人界の空の下
神域の縁から見下ろす人界は、
いつもより近く感じられた。
白峰の隣に立つミコは、
胸元の勾玉をそっと押さえる。
冷たいはずのそれは、
今日はわずかに温もりを帯びている。
「正式な任務じゃない」
白峰は言った。
「裁定の前段階だ。ただの“確認”に過ぎない」
けれど、その声には、わずかな緊張が滲んでいた。
神域から人界へ降りるとき、空気は一変する。
白は色を帯び、無音は音を取り戻し、
遠くで鳥の声が聞こえた。
「……すごい」
思わず呟いたミコに、白峰は目を細める。
「お前は、やはり人の側だな」
その言葉は、責めるでもなく、
褒めるでもなかった。
ただの事実。
辿り着いたのは、山の奥にある小さな社だった。
鳥居は傾き、注連縄は風に揺れている。
けれど、社の前には新しい花が供えられていた。
色あせた世界の中で、
そこだけが、ほんの少し鮮やかだ。
「……まだ、誰かが来てる」
ミコが言うと、白峰は小さく頷いた。
「だが、裁定の基準では――」
「……数、ですよね」
白峰は答えない。
社に近づいた瞬間、
ミコの胸元が、かすかに熱を帯びた。
勾玉が、小さく脈打つ。
耳の奥で、あの時と同じ声がする。
――ありがとう。
はっきりした言葉ではない。
けれど、確かにそう聞こえた。
ミコは、思わず社に手を伸ばした。
触れたのは、冷たい木の感触。
それだけなのに、胸がいっぱいになる。
「……白峰さん」
「何だ」
「父は、ここに来たんですよね」
白峰は、社を見つめたまま言った。
「……ああ」
それだけだった。
沈黙の中で、ミコは深く息を吸う。
父が選んだ場所。
自分が今、立っている場所。
偶然じゃない。
「私は……」
言葉を探す。
「もし、裁定が同じ結論でも、
ここに来られてよかったです」
白峰は、少しだけ驚いた顔をした。
「……それでも、か」
「はい」
ミコは、社の前で静かに頭を下げた。
祈りは、まだここにある。
数ではなく、確かさとして。
帰り道、神域へ戻る空の途中で、
ミコはふと思った。
――私は、
父と同じ場所に立っている。
でも、同じ結末を選ぶとは、まだ決めていない。
飛べない自分にできることを、
まだ探している途中だ。




