第六話 残されたもの
その夜、ミコは眠れなかった。
夢を見ていないのに目を閉じると、
裁定の光が浮かぶ。
そして、名を消された記録板。
――禁忌に触れたため。
胸元で、勾玉がかすかに熱を持つ。
「……どうして」
誰に向けた問いか、自分でも分からなかった。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
窓の外。
白い夜の向こうに、月が浮かんでいた。
昼夜の区別のない神域で、それは異質な光だった。
「……ツクヨミ様」
名を呼ぶと、返事はない。
けれど、視線だけが、確かにそこにある。
その瞬間、胸の奥に、誰かの記憶が流れ込んだ。
人界。
小さな社。
崩れかけた鳥居。
雨の中、
祈る人影。
――助けて。
声が、はっきりと響いた。
「……これは」
父の、記憶だ。
確信があった。
勾玉が、それを“残していた”。
神域では、禁忌に触れた存在は、名を失い、
記録を失う。
だが――
行いそのものが、消えるわけではない。
「父は……」
救ったのだ。
選んで、ひとつの祈りに手を伸ばした。
それが、どれほど危うい行為かを知りながら。
その記憶が、自分に残されている理由を、
ミコは理解し始めていた。
――同じ場所に立て、ということ。
翌朝。
白峰が、ミコを呼び止めた。
「裁定が、動き始めている」
「……また、土地神ですか」
「似ている」
白峰は、否定しなかった。
「そして――お前が、鍵になる」
ミコは、迷わず頷いた。
怖くないわけではない。
けれど、もう知らなかった頃には戻れない。
父が選んだ道。
自分に残されたもの。
「……私も、まだ空は飛べません」
白峰を見て、ミコは言う。
「でも」
胸元の勾玉が、確かに温かかった。
「地に足をつけたまま、
見えるものもあると思うんです」
白峰は、しばらく黙っていたが、
やがて、ほんのわずかに笑った。
「厄介なところまで、似てしまったな」
神域の空は、今日も白い。
だが、その奥で、夜が静かに息をしている。
裁定は、もう避けられない。
それは――
父の過去と、ミコの現在が、重なる場所だった。




