第三話 踏み込んではいけない場所
神域の奥には、音のない広間がある。
声を発せば吸い込まれ、足音すら残らない場所。
ミコは、その入口の前で立ち尽くしていた。
胸元の勾玉が、昨夜から何度も淡く光っている。
理由は分からない。
けれど――ここに来なければならないと、
身体の奥で何かが告げていた。
「入るなと言ったはずだ」
背後から、低い声が落ちる。
振り返ると、白峰が立っていた。
いつもより、表情が硬い。
「でも……呼ばれました」
ミコは、勾玉を押さえた。
「勝手に光って……止まらなくて」
白峰は、しばらく黙っていたが、
やがて小さく息を吐いた。
「……ついてこい」
止める言葉ではなかった。
広間に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
白は消え、深い夜の色が満ちていた。
天と地の区別はなく、
ただ円環状に、淡い光が並んでいる。
「ここは……」
「裁定の間だ」
白峰の声は、いつもより低い。
「神々が集い、存在の是非を決める場所」
光の一つが、静かに強まった。
「裁定を開始する」
重なった声が、広間に満ちる。
円環の中央に、淡い像が浮かび上がる。
角も翼も持たない、小さな土地神だった。
「信仰は減少」
「祈りは、数えられる程度」
「役目は、ほぼ終わっている」
記録が光る。
数字。推移。過去の裁定例。
どれも、正しい。
――正しいはずだった。
その時、ミコの胸元が、かすかに熱を帯びた。
「……?」
光るほどではない。
けれど確かに、何かに反応している。
耳の奥で、風のような声がした。
――お願い。
言葉ですらない、思念の残滓。
ミコは、気づけば一歩前へ出ていた。
「待ってください」
声が、裁定の間に落ちる。
静寂。
「感情で測るな」
冷たい声が言う。
「存在は、数で決まる」
裁定の光が、土地神を包み込もうとした瞬間。
勾玉が、強く光った。
熱が、胸を貫く。
――やめろ。
重なる声。
ミコは、はっとして後ずさる。
広間の奥で、月のような光が、静かに満ちていく。
「……ツクヨミ様」
誰かが、その名を零した。
裁定の光が、一斉に伏せられる。
月の神は、何も言わない。
ただ、境界に立つ少女を見つめていた。
「本日の裁定は、保留とする」
静かな宣告。
「境界の子が、余計な波を立てた」
それが理由だった。
広間を出た後、白峰はミコを強く見つめた。
「……次はない」
「分かっています」
そう答えながら、
ミコの胸はひどくざわついていた。
裁定は、正しい。
けれど――
正しいだけで、いいのだろうか。
白い神域の空は、その日だけ、
ほんの少し暗く見えた。
これは、始まりだ。
理由も分からないまま、
踏み込んではいけない場所に
足を置いてしまったことを、
ミコは、もう否定できなかった。
第三話を読んで頂きありがとうございました。




