第十五話(最終話) 神使見習いは、まだ空を飛べない
裁定の間は、光で満ちていた。
白ではない。
もっと鋭い、存在そのものを暴く光。
逃げ場のない色。
円環状に並ぶ神々の気配が、
静かに、ミコを見下ろしている。
数えきれないほどの視線。
重圧だけで、膝が折れそうになる。
けれど。
ミコは、立った。
地に、足をつけて。
飛べないまま。
隣に白峰がいる。
それだけで、ほんの少し呼吸ができた。
「境界の子――月代ミコ」
声が重なる。
ひとつではない。
幾重にも重なった、神々の合唱。
「お前の存在は、
神域の均衡を乱している」
淡々とした宣告。
「裁定への干渉」
「禁忌記録への接触」
「祈りへの過度な同調」
「神使としての不適合」
言葉が、刃のように降ってくる。
正しい。
全部、事実だ。
反論できない。
「よって――」
光が、強まる。
「存在の再定義を行う」
消去、ではない。
けれどそれは、
“ミコではなくなる”ことと同義だった。
神使でもなく、人でもなく。
ただの“無害な何か”に作り替えられる。
思考も、記憶も、願いも。
全部、均される。
怖い。
身体が震える。
逃げたい。
――それでも。
「……待ってください」
声が出た。
震えている。
情けないくらい。
それでも、確かに自分の声だった。
光が、ぴたりと止まる。
「発言を許可する」
ミコは、
ぎゅっと勾玉を握った。
熱い。
生きているみたいに。
「私は……」
喉が詰まる。
言葉が、うまく出ない。
でも。
父の記録。
白峰の言葉。
祈りの重さ。
全部が、背中を押す。
「祈りを、数で切り捨てるのが
本当に正しいとは思えません」
ざわめきが走る。
「弱い神でも、忘れられかけた神でも。
誰かが、まだ呼んでるなら、
まだ“そこにいる”って、思うんです」
感情論。
非効率。
神域が一番嫌う理屈。
分かってる。
でも。
「私は、それを見てしまう。聞こえてしまう
だったら、なかったことにされたくない」
胸が、痛いほど熱い。
「消すんじゃなくて、つなげたい」
父と同じ言葉。
同じ願い。
「神と人のあいだに、立ちたい」
裁定の間が、沈黙する。
永遠みたいな時間。
やがて。
奥の闇が、静かに揺れた。
夜の色。
淡い月光。
すべての光が、自然と頭を垂れる。
「……ツクヨミ様」
白峰が、小さく呟く。
月の神が、姿を現す。
白でも、闇でもない。
境界の色。
ミコは、まっすぐ見上げた。
怖いのに。
なぜか、目を逸らせなかった。
「境界の子」
声は、静かな水面みたいだった。
「なぜ、そこまでして残る。楽な道もある。」
人界に落ちれば、すべて終わる。
なのに。
ミコは、少しだけ笑った。
「……ここに、父がいたから」
胸が、きゅっと締まる。
「同じ場所に立って、同じ景色を見て。
それで決めたいんです。自分の足で。」
ツクヨミは、長く沈黙した。
やがて。
「……ならば」
月光が、やわらかく広がる。
「飛ぶ必要はない」
「え……」
「地に立つ者が、ひとりは必要だ」
神は空から見る。
人は地から祈る。
その間に立つ者。
「それが、お前たち月代の役目だ」
父の名が、胸に落ちる。
「裁定」
ツクヨミの声が響く。
「月代ミコを、境界の神使として承認する」
光が、反転する。
拒絶ではなく、受容へ。
「空を飛ばず、地を歩き、祈りを拾い、つなぎ、
必要とあらば裁定に異を唱えよ」
「均衡を揺らす者として、存在を許す」
それは――
罰でも、追放でもない。
役目だった。
ミコの視界が、にじむ。
「……はい」
声が、震える。
でも。
今までで一番、まっすぐだった。
勾玉が、やさしく光る。
まるで、「よく来た」と言うみたいに。
裁定の間を出た時、
神域の空はいつも通り白かった。
変わらない景色。
でも。
ミコの足は、確かに地面を踏みしめている。
飛べない。
たぶん、これからも。
白峰が、隣で小さく笑った。
「結局、飛べなかったな」
「はい」
ミコも笑う。
「でも――」
一歩、踏み出す。
重い。
でも、温かい。
「これでいい気がします」
空を見上げる。
月が、静かに浮かんでいる。
遠い。
でも、もう寂しくない。
だって。
自分は、ここに立っている。
地に足をつけて。
祈りのすぐそばに。
神使見習いは、
まだ、空を飛べない。
――だからきっと、
誰よりも近くで、祈りを拾える。
ここまで読んでくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
『神使見習いは、まだ空を飛べない』
ミコの物語は、これにてひとまず完結です。
空を飛べなかった神使見習いが、
最後にはちゃんと“自分の足で立つ神使”になれたこと。
そこまで見届けてもらえて、とても嬉しいです。
書き始めたときは、
ここまで長い物語になるとは思っていませんでした。
でも気づけば、
白峰やツクヨミ、神域のみんなの日常や、その後の姿も
「まだ書きたいなあ」と思っている自分がいます。
もしかしたら、
・裁定のその後
・ミコが正式な神使になってからの話
・白峰の昔話
・ツクヨミ視点の物語
そんな小さな番外編や、短い後日談を書く日が来るかもしれません。
もしまた神域の物語を見かけたら、
「あ、あの子たちだ」と、ふらっと遊びに来てもらえたら嬉しいです。
ここまで本当にありがとうございました。
またどこかの月の下で、お会いしましょう。
月代




