第十四話 白き均衡の反発
神域は、静かすぎた。
風がない。
光が揺れない。
靄すら、流れていない。
まるで――
世界が息を止めているようだった。
ミコは回廊の中央で、その異様さに気づいた。
「……おかしい」
いつもなら聞こえるはずの、
祈りの微かなざわめきもない。
足音も、衣擦れも、
すべてが吸い込まれている。
神域全体が、凍りついているみたいだった。
次の瞬間。
――カン、と。
鈴の音が鳴った。
細く、澄んだ音。
けれどそれは、祈りを運ぶ合図ではない。
ミコの背筋が、ぞくりと粟立つ。
知っている音だった。
「……裁定の招集」
しかも。
一度ではない。
カン。
カン。
カン。
連続して鳴る。
緊急招集。
通常の裁定ではありえない回数。
回廊の向こうから、神使たちが現れ始める。
皆、無言。
表情もない。
ただ、同じ方向へと歩いていく。
裁定の間へ。
ミコは、喉が乾くのを感じた。
これは。
――自分のための裁定だ。
「行くな」
低い声。
振り返ると、白峰が立っていた。
「これは、お前を呼ぶ裁定だ」
「……やっぱり」
覚悟していたはずなのに、胸が痛む。
「試練じゃ、済まなくなったんですね」
白峰は、短く頷いた。
「神域は“均衡”だ」
「乱れが一定を超えれば、排除する」
それが、仕組み。
善悪ではない。
ただの機構。
「お前が昨日、記録庫に入ったことで、
決定的になった。存在そのものが、
危険因子と判断された」
危険因子。
その言葉が、妙に現実味を持つ。
「……消されますか」
静かに問う。
白峰は、少しだけ迷ってから言った。
「可能性は高い」
誤魔化さなかった。
「ツクヨミ様が再び止めれば別だが……。月の神は、
“守る”神ではない」
均衡を見る神。
感情で助けてはくれない。
つまり――
今回は、分からない。
ミコは、ぎゅっと拳を握った。
逃げる、という選択肢が一瞬だけ浮かぶ。
人界へ落ちれば、もう戻らなくていい。
裁定も、神域も、全部、関係なくなる。
――楽だ。
けれど。
父の記録が、頭をよぎる。
逃げなかった。
だから、今の自分がいる。
「……行きます」
白峰が、目を見開く。
「正気か」
「逃げたら、一生、自分を許せない」
声は震えている。
でも、足は止まらなかった。
「私は、ここにいる理由を、ちゃんと聞きたい」
神域にとって、自分は何なのか。
排除されるだけの存在なのか。
それとも。
白峰は、長く息を吐いた。
「……本当に、親子だな」
小さく呟く。
「分かりました」
そして、白い羽織を翻した。
「俺も行く」
「白峰さん……?」
「監督役としてだ」
淡々と言いながら、
その声には微かな怒気が混じる。
「均衡が暴走するなら、
止めるのも神使の役目だ」
それは、明確な“味方宣言”だった。
二人は、並んで歩き出す。
裁定の間が近づくにつれ、空気が重くなる。
白が、灰色に沈んでいく。
光が、刃のように冷たい。
円形の扉が、ゆっくりと開いていく。
中では、すでに光が集まっていた。
神々の気配。
無数の視線。
逃げ場のない、中心。
その瞬間。
胸元の勾玉が、これまでで一番、強く脈打った。
とくん、と。
まるで、心臓みたいに。
冷たいはずの神域で、そこだけが熱い。
ミコは、そっと呟く。
「……父さん」
答えは、まだない。
けれど。
もう、逃げない。
空を飛べなくてもいい。
地に立ったまま、ここで、選ぶ。
白い世界の中心へ、ミコは一歩、踏み出した。
――最終裁定が、始まる。




