第十三話 試練としての境界
神域の空が、わずかに軋んでいた。
それは音でも、揺れでもない。
“均されていたものが、
均されきらなくなった”
その気配。
ミコが記録庫を出ると、
回廊には神使たちが集まっていた。
視線が、一斉に向けられる。
敵意ではない。
戸惑いと、理解できないものを見る目。
「境界の子だ」
誰かが、小さく呟いた。
ミコは、足を止めなかった。
足取りは、重いまま。
それでも、進むことはできる。
白峰が、一歩前に出た。
「本日の裁定は、既に終わっている」
その声は、静かだったが、
確かな力を持っていた。
「これ以上、騒ぎ立てる必要はない」
神使たちは、互いに視線を交わし、
やがて、ゆっくりと散っていく。
残ったのは、白峰とミコだけだった。
「……処分は、下らないんですか」
ミコが、先に口を開いた。
「禁忌を知り、裁定に介入し、記録庫にも入った」
列挙すれば、十分すぎるほどだ。
白峰は、少しだけ、目を伏せた。
「処分という形には、ならない」
「……なぜ」
「お前は、“試される側”だからだ」
試される。
その言葉が、胸に落ちる。
「神域は、完全な存在を好む」
白峰は、歩き出しながら続ける。
「迷いのない神。役目を疑わない神使。
だが、完全なものは、停滞する」
ミコは、その背を追った。
「境界は、不安定だ。不安定だからこそ、
揺らすことができる」
白峰は、振り返らずに言う。
「ツクヨミ様が、お前を裁かなかった理由も、
そこにある」
月の神は、境界を恐れない。
むしろ――
必要としている。
「……じゃあ私は」
「罰を受ける存在ではない」
白峰は、はっきりと言った。
「変化の可能性だ」
その言葉に、ミコは息を呑む。
そんなものを、自分が背負えるのか。
「空を飛べないのは、欠陥じゃない」
白峰の声が、少しだけ柔らぐ。
「神使は、上から世界を見る。
だが、お前は地に立つ」
祈りのある場所に。人の息づく場所に。
「……父も」
「同じだった」
白峰は、ようやく立ち止まった。
「だから、あいつは境界を越えた」
そして、越えすぎた。
白峰は、ミコをまっすぐ見る。
「お前は、越える前に、問われている」
それが、試練だ。
「選べ」
神でもなく、人でもなく。
両方を見た上で、どこに立つか。
ミコは、しばらく黙っていた。
胸元の勾玉は、静かだった。
導かない。答えを与えない。
それでも、確かにここにある。
「……怖いです」
正直な言葉が、零れた。
「間違えたら、父と同じになる」
「なるだろうな」
白峰は、否定しなかった。
「だが、違う道もある。空を飛べなくても、
進める道が」
ミコは、小さく息を吸い、吐いた。
足は、まだ重い。
神域にとって、自分は異物だ。
それでも。
「……選びます」
ミコは、
顔を上げた。
「まだ、分からないですけど。分からないまま、
選び続けます」
白峰は、ほんの一瞬だけ、笑ったように見えた。
「それでいい」
神域の空が、わずかに揺れる。
月は、何も言わない。
ただ、境界に立つ少女を照らしていた。




