第十二話 父の名、禁忌の理由
神域の夜は、昼よりも静かだ。
光は抑えられ、白は深く沈み、
月だけが、境界を照らしている。
ミコは、誰にも告げずに歩いていた。
向かう先は、記録庫の最奥。
神々の裁定とは別に、
決して表に出されない記録が眠る場所。
――父の名を、確かめるために。
扉の前で、足が止まる。
ここから先は、正式な神使でも
許可なしでは入れない。
それでも。
胸元の勾玉が、淡く、確かに光った。
「……やっぱり」
拒まれてはいない。
ミコは、静かに扉に触れた。
音もなく、扉は開く。
中は、夜の色をしていた。
記録板が、層のように並び、
古いものほど、光を失っている。
ミコは、無意識に歩き出す。
――呼ばれている。
最奥で、一枚の記録板が浮かんでいた。
ほとんど光を失い、それでも、消えきらない。
ミコは、震える指で触れた。
瞬間、映像が流れ込む。
白い神域。
かつて、今よりも自由だった頃。
ひとりの神使が立っている。
翼を持たない。角もない。
それでも、確かな力を宿していた。
「……父さん」
名前が、記録に浮かび上がる。
――月代・シキ。
境界に立つ神使。人と神をつなぐ役目を持つ存在。
ミコの喉が、ひくりと鳴る。
父は、神使だった。
正式な神使であり、
同時に――
人界に深く関わりすぎた存在。
記録は、淡々と続く。
シキは、裁定に異を唱えた。
消されるはずだった土地神。
祈りが数に満たない、弱い存在。
だが彼は、こう記している。
『祈りは、数ではない残っている限り存在は、
終わっていない』
ミコの胸が、痛む。
同じ言葉を、自分も言った。
――禁忌。
それは、裁定への直接介入。
だが、シキが破ったのはそれだけではなかった。
記録は、さらに深い層へ沈む。
彼は――
祈りを、人へ返した。
神に届かなかった祈りを、人界へ流し、
土地神と人とを、直接つなげた。
神を介さずに。
それは、神域の存在意義そのものを揺るがす行為。
裁定は、即座に下された。
――資格剥奪。
――神域追放。
記録の端に、ひとつだけ、追記があった。
処分、未完了。
「……未完了?」
その瞬間、背後で気配が動く。
「そこまでだ」
白峰の声。
振り返ると、彼はいつになく、
疲れた顔をしていた。
「知ってしまったな」
「……白峰さんは、最初から?」
「半分はな」
白峰は、記録板を見た。
「お前の勾玉を見た時点で、確信した」
「なぜ……父は、消されなかったんですか」
白峰は、少しの間、黙った。
そして、静かに告げる。
「ツクヨミ様が、裁定を止めた」
ミコは、息を呑む。
「なぜ……」
「月の神は、境界を否定しない」
白峰の声は、低く、確かだった。
「完全な光も、完全な闇も、世界を壊す」
だから――
止めた。
消すのではなく、
“残した”。
「……じゃあ父は」
「生きているか、存在の狭間にいる」
どちらにせよ、神でも、人でもない。
ミコは、唇を噛んだ。
自分と、同じだ。
「ミコ」
白峰が、まっすぐこちらを見る。
「お前が今立っている場所は、父の続きだ。
戻れないぞ」
ミコは、記録板に触れたまま、頷いた。
「……戻るつもりは、ありません」
胸元で、勾玉が、久しぶりに温もりを持った。
それは、導きではない。
選択を、認める温度だった。
月は、何も言わない。
ただ、境界に立つ者を見ている。




