第十一話 代償のかたち
裁定の翌朝、神域はいつもと同じ顔をしていた。
白い空。
均された光。
静かな回廊。
――何も変わっていない。
けれどミコは、一歩目でそれを否定された。
足が、浮かなかった。
「……?」
歩こうとして、気づく。
重い。
地に引かれるような感覚が、
足裏から伝わってくる。
神域では、それは異常だった。
神使たちは、歩くというより、
“流れる”。
意識ひとつで、身体は軽く運ばれるはずなのに。
ミコは、もう一度踏み出す。
やはり、重い。
まるで――
人界にいる時のような感覚。
「……これが」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかった。
回廊の先で、白峰が立っていた。
こちらを見る目が、一瞬、厳しくなる。
「無理をするな」
「してません」
反射的に答えてから、ミコは気づく。
声が、少し掠れている。
「……身体が、重いだけです」
白峰は、何も言わずに近づいた。
視線が、胸元の勾玉に落ちる。
昨日まで、淡く輝いていたそれは、
今は完全に沈黙していた。
「境界の代償だ」
白峰の声は、低い。
「均衡の外に立つということは、
両方に引かれるということだ」
「神でもなく、人でもない」
ミコは、静かに頷いた。
「……分かっていました」
分かっていた、つもりだった。
でも、“感覚”までは想像できなかった。
祈りの記録室に入ると、さらに違和感が強まる。
記録板に触れた瞬間、
情報ではなく――
感情が流れ込んできた。
「……っ」
胸が、きゅっと締めつけられる。
不安。
後悔。
小さな希望。
混ざり合ったそれらが、直接、心に触れる。
「今までは、ここまでじゃ……」
白峰が、眉をひそめる。
「聞こえるのか」
「はい……」
祈りの声が、
“意味”ではなく、
“重さ”として届く。
それは、神使に必要のない感覚だった。
「……やはり」
白峰は、短く息を吐いた。
「お前は、神域にとって異物になった」
きつい言葉。
でも、否定できなかった。
その日の終わり、ミコはひとり、
縁側に座っていた。
空を見上げても、月は遠い。
飛ぶことは、もっと遠い。
――空を飛べない。
それは、弱さだと思っていた。
けれど今は、地に縛られる感覚のほうが、
はっきりと分かる。
「……父さん」
ふと、口から零れた。
なぜ今、父を思い出したのか。
理由は、分からない。
けれど。
自分が踏み込んだ場所が、
父の“その先”であることだけは、
なぜか確信できた。
胸元で、勾玉が微かに冷える。
拒絶でも、警告でもない。
ただ、“続いている”という感覚。
ミコは、両膝を抱えた。
選んだ。
後悔は、していない。
けれど――
代償は、これからだ。
神域の白は、もう以前ほど、
眩しくは見えなかった。
それでも。
ミコは、目を逸らさなかった。




