第37話 嫉妬? まさか!
普段なら人もまばらな駅前が、今日は身動きも取れない程の大勢の人で溢れ返っていた。
お世辞にも賑わっているとは言い難い都心から離れたこの駅が、こんなにも多くの人で溢れるのは、きっと一年の中でも今日だけだろう。
ベタベタと湿気が纏わりついて酷く不快だ。もうすぐ陽も落ちようという頃合いなのに、何故こんなにも暑いのだろうか。
夏なのだからじめじめむしむしするのは当たり前だと言われてしまえば、そうかもしれない。
けれどこのもやもやと不快な感覚は、きっとそれだけではなくて言葉にし難い自分の心情にあるのかもしれない。
「例によって遅刻ね……」
俺は駅前の時計台の下に立って、自身の左腕に付けている腕時計で時刻を確認した。
午後五時三十五分。
待ち合わせ時刻は、五時三十分だったはずだから、五分が過ぎたところだった。
しかしあいつのことだ、そろそろ走ってやってくる頃だろう。
そう思っていると、カランコロンと下駄の音が聞こえ、慌ただしいその音は俺の真横で止まった。
「ごめんっ! 凍華! 遅くなっちゃった!」
聞き馴れた美千瑠の声に、ひとまず文句でも言ってやろうと振り向くと。
紺地に薄ピンク色の桜が所々に咲き乱れた浴衣を身に纏った美千瑠が、息を切らしながらこちらを見ていた。
短い髪をハーフアップにまとめ、そこに桜の簪を挿している。
その姿があまりに美しくて、俺は暫し見惚れてしまった。
「凍華? 怒ってるの?」
文句の言葉を飲み込んでしまった俺に、美千瑠が勘違いして訊いてくる。
はっと我に返った俺は、慌てて言葉を紡いだ。
「別に怒ってるわけじゃないけど……。お前が遅刻してくることなんてもう織り込み済みだし」
素っ気なく返せば、さすがの美千瑠も反省しているのか、「ごめんって」と手を合わせてきた。
「もういいから、さっさと行くぞ」
「あ、うん!」
俺の横に並んだ美千瑠は、カランコロンと下駄の音を響かせながら付いて来る。
今日、俺と美千瑠は地元の花火大会に来ている。
都会とは言い難いこの地域の住民だけでなく、今日は恐らく他の市や他県からも人が押し寄せているのだろう。スマホや駅前に建てられた周辺マップを確認している者が多い。
よくもまぁ、こんな人混みに来ようと思うよなぁ……。
かく言う俺もその一人なわけだが。
美千瑠から一緒に花火大会に行こうと誘われたのは、昨日の夜のことだった。
随分いきなりだな、と美千瑠からのメッセージアプリに返信すれば、どうせ暇でしょ? といつものやりとりが返ってくる。
確かに暇だった。退屈が嫌いな俺にとって、断る理由はなにもない。
どうやら夏休みも恋人ごっこは通常運転らしい。
駅前から花火大会の会場である河川敷まで歩く。
駅を離れても人は多く、なんなら道が細い分、更に歩きづらくなったとさえ感じる。
さっさと会場に向かおうと歩いていたのだが、そういえば先程から美千瑠の口数が少ない。どうしたのだろうと隣を見てみると、そこに美千瑠はいなかった。
「美千瑠?」
俺が辺りを見回すと、桜柄の浴衣姿はすぐに見つかった。
「おい、美千瑠。なにやって……」
声を掛けようとすると、美千瑠は通り沿いに屋台を構えた焼きそば売りの若い男性に声を掛けられていた。
「あ、凍華。この人がね、焼きそば安くするよ~って言ってくれて」
美千瑠の言葉を聞きながら焼きそば売りの男性に目を向けると、男性は「なんだよ、彼氏も一緒かよ」みたいな鬱陶しそうな視線をこちらに向けた。
ああ、そういうことね、と俺は美千瑠の手を引いて歩き出す。
「いいから行くぞ」
「え、でも焼きそば……」と呟く美千瑠に、俺は容赦なくその手を強く握って歩を進めた。
焼きそばに未練があったような美千瑠は屋台を振り返っていたが、俺が急に手を握ったせいか驚いて俺の顔を見上げている。そんな美千瑠に俺ははっきりと言う。
「あのなぁ、分からないのか? あれはナンパだ」
「え?」
きょとんとする美千瑠に、俺は呆れて盛大なため息をついた。
「お前、男に免疫ないだろ? だから声を掛けられてほいほいついて行こうとするんだ」
何故だか無性に腹が立って、俺の口からついきつい言葉が飛び出してしまう。
「な……っ。そんな言い方しなくてもよくない!? 確かに私は、男性に免疫がないかもだけど……。ほいほいついて行ったりなんてしないし!」
「どうだか? 現に男に声を掛けられて立ち止まってただろ。恋人ごっこだって本当は、別に俺じゃなくてもよかったんじゃないか?」
俺の言葉に美千瑠は大きく目を見開いて、酷く傷ついたような顔をした。
「どうして……、どうしてそんなこと言うの?」
「どうしてって……」
どうしてだろう? 俺は何にそんなに腹を立てているんだ?
最近の俺はどうにも可笑しい。
美千瑠がナンパされたことくらいどうでもいいじゃないか。俺たちはただ恋人ごっこをしているだけのただの友人で、本当の恋人などではない。それなのに、何故こんなにも感情を動かされなくてはならないのか。
焼きとうもろこしの屋台が近くにあって、香ばしいしょう油の匂いが洟についた。
俺は一体何に腹を立てている……?
少し冷静さを取り戻した俺は、ゆっくりと口を開いた。
「悪い。言い過ぎた。俺はただ、今は俺が彼氏なんだから、他の男にほいほいついて行くなって言いたくて…………」
ん…………?
自分で口に出して、俺は自分自身の言葉に驚いてしまう。
俺、今なんて言った? これじゃあまるで、嫉妬してるみたいじゃないか?
しまった、と思っていると、先程まで泣きそうな表情をしていた美千瑠が、にんまりと口角を上げている。
「なあんだ。凍華、彼女が取られると思って嫉妬してたんだ?」
ドヤ顔で笑う美千瑠が、酷く鬱陶しい。
「そうならそうと言ってよ! 私、彼氏一筋だぞ?」
「はいはい、ありがとう愛しのハニー」
めんどくさ、と思いながらも美千瑠が上機嫌になったし、まぁいいか。と適当に話を終わらせることにする。
嫉妬? まさかな?




