第29話 恋人ごっこというには、あまりにいきすぎている
週明けの月曜日。梅雨入りしてもほとんど雨が降らず、さていよいよ梅雨開けかと報道される中、今日は見事に土砂降りだった。六月に降れなかった分を取り戻すかのような滝のような雨量。前が白んで見えないくらいの土砂降りに、当然傘を差していてもびしょ濡れになり、それでもちゃんと真面目に登校してきた俺達は、正直朝から疲労困憊だった。
「今日休めば良かった……」
ぐっしょりと濡れ鼠姿の俺を見た真宙と結菜は、苦笑いを零しながら各々タオルを差し出してくれる。用意周到すぎる友人達に感謝しつつ、俺は髪を乱雑に拭きあげる。
すると同じようにがっくりと肩を下げて、美千瑠が教室に入ってきた。
その姿を見た途端、何故だかドキリと心臓が跳ねる。
「おはよう~、もう最悪~……車に跳ねかされたぁ……」
美千瑠のブラウスはぐっしょりと濡れ、少し下着が透けているように見える。
クラスの男子がちらちらと美千瑠の胸元を見ていて、なんだかその様子に腹の底がムカッとした。
「今日一限のテスト返しで終わりでしょ? 休めばよかった~」
美千瑠は気が付いていないのか、平然と話し始める。
俺はため息をつくと、借りていたタオルを美千瑠に押し付けた。
「お前、濡れすぎ。早くジャージに着替えた方がいいぞ」
「え? あ、ありがとう……」
この前の今日で美千瑠も多少気まずいのか、小さく俯きながらタオルを受け取った。
「てうかこのタオルすでにびしょびしょなんだけど!? どこで拭けって?」
俺が使ったものなので、タオルは当然濡れていた。
むっと眉を吊り上げる美千瑠に、くすくす笑いながら結菜がタオルを差し出す。
「はい、美千瑠ちゃん。タオル」
「結菜ありがとう~」
「ふふ、美千瑠ちゃんったら、凍華くんと同じこと言ってるよ」
「え?」
俺に視線を向けた美千瑠とばっちり目が合う。
「なんだかんだ息ぴったりだよなぁ~」とのほほんと笑う真宙と結菜に、俺と美千瑠はいつものように揃って否定した。
「「そんなわけない」」
この前のことはなかったみたいに、俺達はいつも通りに戻っていた。
そう思ったのだが。
朝のSHRが終わると、制服のズボンに入れていたスマホがブブッと震えた。
画面を見るとメッセージアプリの通知が表示されている。送信相手は美千瑠だった。
俺はちらっと教卓前で友人達と話している美千瑠に目をやる。美千瑠もちょうどこちらに視線を向けていた。
隣の席だというのに、なんでわざわざメッセージ? と思いながらも、美千瑠からのメッセージを開く。
そこには短く一言。
『放課後 保健室』とだけ書かれていた。
何故保健室? と思いながらも、ひとまず『了解』とだけ返信する。
予鈴が鳴り、隣の席に戻って来た美千瑠だが、何かを言うつもりはないようで教科書やテスト用紙を机の中から引っ張り出し、授業の支度を始めている。
この前あんなことをしてしまったわけだが、どうやら俺と美千瑠の関係は然程変わっていないようだ。俺としても、少しほっとする。
一限のみで終わった授業のあと、俺は掃除当番を済ませると美千瑠に言われた通り、保健室にやってきた。
保健室は俺達の教室の向かいの棟、化学室や図書室など主に特別教室がある特別棟の一階に位置している。
右隣は生徒相談室、左隣は茶道部や華道部が使う、作法室がある。因みに突き当りは校長室で向かいは職員室という、いかにも用がないと行かない辺鄙な場所にあって、廊下には人っ子一人いなかった。
今日はどの学年もテスト返しで終わりだろうし、この雨だ。外の部活は休みになり、用のない生徒は帰路に就いている時間だった。
美千瑠は本当に保健室なんかにいるのだろうかと、少し疑問に思いながらも俺は保健室の扉をノックした。
「失礼します」
コンコンとノックを二回した後、俺は扉をガラリとスライドさせる。
はたしてそこには、美千瑠の姿があった。ベッドに腰掛け、脚をぶらぶらとさせている。
ばっちりと目が合うと、俺達はどちらからともなくぱっと視線を宙に逃がす。
「凍華、来ないかと思った」
「悪い。掃除当番だったんだ」
「そっか」
保健室内はやたらと空調が効いていて、空気が循環されているせいか薬品の匂いがツンと鼻につく。
辺りを見回してみても、養護教諭の姿はなかった。
「先生は?」
「職員会議だって。今ちょうど出て行ったの」
「そうか」
なんとも気まずい空気が流れる。美千瑠と二人きりになるのは、あの日以来だ。
「美千瑠はなんでここに?」
「あれ? 知らなかったっけ? 私、保健委員なの。今日はその当番。先生が戻ってくるまでここで待機中」
「そうなのか」
「うん」
確かに以前もそんなようなことを言っていた気がする。
また沈黙が流れる。
いつもならしょうもない冗談を言い合っていて、二人でむきになって言葉の応酬をしているわけだが、今日はなんだか上手く言葉が出てこない。
やたらと肌寒い風を吹き出すエアコンが、ブーンと小さく唸り声を上げた。
「そんなところに立ってないで、座りなよ」
「え、……ああ」
美千瑠は自分の横に腰掛けるようベッドをぽんぽんと叩いて促した。
俺は言われた通り、その横に腰掛ける。
「で、なんの用? 何のために俺を呼びつけたんだ?」
二人してもじもじしていても埒が明かない。俺は単刀直入に尋ねた。
「うん、凍華とちょっと、話がしたくて……」
美千瑠の様子からして、この前の観覧車でのことだろう。
それについては俺にも訊きたいことがあった。どうして美千瑠は俺にキスなんかしたのか。
もしかしたら美千瑠は、キスしたことを後悔しているのかもしれない。
「ねえ、凍華」
ぱっと顔を上げてこちらに身を寄せた美千瑠と、至近距離で目が合った。
綺麗な瞳は戸惑うように揺れていて、ふわっとなびいた髪からは甘い香りが漂ってくる。それだけのことで、俺は冷静さを失い始める。
「私、分からなくて……」
「な、何をだ……?」
言葉さえ上手く発せられなくなる。少し動けば、その唇に触れてしまいそうで。
キスを、後悔しているんじゃないのか……?
「私、凍華のこと、好き、なのかな……?」
「は、…………は?」
美千瑠の艶っぽい瞳が、俺を見つめる。
「確認、してもいい……?」
「は……? ど、どうやって……」
戸惑っているうちに美千瑠がぐいっとその距離を縮めてこようとするので、俺は慌てて距離を取ろうとしてベッドに仰向けに倒れ込んだ。
その上に跨るように、美千瑠が覆い被さってくる。さらっと伸びた髪が俺の顔の上に垂れる。
え、と思っているうちに、俺と美千瑠の距離はなくなっていた。少し冷えた唇同士が重なる。
胸に重たくも柔らかい感覚があって、それを意識した途端、更に動悸が激しくなる。息苦しくて、あんなに冷え切っていた身体が高熱を出したみたいに熱くなる。
「ぷはっ」と俺から離れた美千瑠の頬も上気していて、「……やっぱり私……」と小さく呟く。
驚いたように自身の唇に触れていた美千瑠は、嬉しそうに口角を上げた。
「……なんだか、癖になっちゃうかも……っ」
そう呟くと美千瑠は、また俺にキスを落とす。
「ん……っ……」
何度も何度も、何かを確かめるように、啄ばむようなキスをした。
こんな関係はよくない。そう思う自分も当然いるのに、その気持ち良さに俺は身を委ねてしまう。
恋人ごっこというには、あまりにいきすぎている。




