第8話「初めての防衛戦」
夜明けの光が世界樹の枝葉を透かして降り注ぎ、堀の水面を黄金色に染めていた。
だがその美しさに見惚れる余裕は誰にもなかった。
砦と化した畑の外に、紅月国の兵が百余り。赤い紋章の旗を掲げ、列を整えて迫ってくる。
その数は、俺たちにとって圧倒的だった。
こちらは村人と傭兵を合わせても三十に満たない。武器も粗末な剣や槍、それに鍬や鎌ばかりだ。
それでも、俺の胸は静かに燃えていた。
「来るぞ……!」
ラグが壁の上から叫ぶ。
村人たちが怯えながらも、根でできた壁の影に身を潜めた。
先頭に立つ紅月国の兵士が声を張り上げる。
「この地を紅月国の庇護下に置く! 抵抗は無意味だ。門を開け、世界樹を差し出せ!」
返事をする前に、村の老婆が壁の上に立ち、震える声で叫んだ。
「この畑は、アレン様のものだ! 世界樹は……私たちの命なんだ!」
兵士たちの間にざわめきが走る。
老婆の言葉に勇気づけられたのか、子どもまでもが堀の内側から声を上げた。
「ここは渡さない!」
「帰れ!」
兵士の顔が歪み、剣が抜かれる。
「撃て!」
合図とともに、弓矢が放たれた。
だが、世界樹の枝がざわめき、光の粉が舞う。
矢は根に当たり、弾かれるように跳ね返った。
「……今だ!」
俺は鍬を振り下ろし、堀の水脈へ【水やり】を注いだ。
堀の水が一斉に光を帯び、波のように盛り上がる。
敵兵が驚き、足を取られた。
さらに壁際の根が隆起し、槍のように突き出して進軍を阻む。
「な、なんだこの砦は!」
「農地じゃなかったのか!?」
兵士たちの叫びが上がる。
だが敵も引き下がらない。
火矢が放たれ、壁の根に突き刺さる。
乾いた木なら燃え広がっていたはずだ。
だが世界樹の根は炎を吸い込み、逆に青白い光を放って消し去った。
その光を見た村人たちが歓声を上げる。
「燃えない! 世界樹が守ってくれている!」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
世界樹は確かに俺たちを守っている。
だが、それだけでは勝てない。
「アレン様!」
ラグが叫ぶ。
「敵が堀を渡ろうとしている!」
見ると、兵士たちが板を渡し、堀を越えようとしていた。
俺は歯を食いしばり、水脈へ再び力を注ぐ。
堀の水が急流となり、板を押し流す。
足を取られた兵士が次々と水に飲まれ、光の泡に包まれて流されていった。
「すげえ……」
ラグが息を呑む。
「畑が本当に……砦になってる」
だが戦いは続く。
敵は堀を越えられなくても、弓矢や投石で攻撃を仕掛けてくる。
その矢を防ぎきれず、傭兵のひとりが肩を射抜かれた。
「ぐっ……!」
悲鳴に村人たちが怯む。
俺は駆け寄り、肩に手を当てた。
【水やり】を傷口に注ぐと、水は光に変わり、血を洗い流して傷を塞いでいく。
「……楽になった」
傭兵が目を見開く。
その様子に、周囲の村人たちの顔に希望が戻った。
だが、敵も策を変えてきた。
隊列の後方から、一際大柄な兵士が進み出る。
肩に大斧を担ぎ、赤い鎧を纏った巨漢。
「討ち取れ! あの農夫を倒せば終わりだ!」
狙いは俺だ。
兵士たちが一斉に雄叫びを上げ、突撃してくる。
俺は鍬を握り直し、壁の上から叫んだ。
「皆、踏ん張れ! ここを越えさせるな!」
堀が唸りを上げ、壁が震える。
世界樹の根が螺旋を描き、迫る兵士たちを押し返した。
だが巨漢の兵士は踏みとどまり、大斧を振り下ろす。
壁が砕け、根が裂ける。
初めての防衛線が揺らいだ瞬間だった。
「アレン!」
カサンドラが叫ぶ。
「そいつはただの兵ではない。紅月国の“赤鎧隊長”だ!」
赤鎧隊長――。
名を聞いただけで兵が怯える存在らしい。
俺は深く息を吸い、鍬を構えた。
ただの農具でも、世界樹の加護があれば剣にもなる。
「……俺が相手だ!」
巨漢の兵士が咆哮し、大斧を振り上げる。
次の瞬間、鍬と斧が激しくぶつかり合い、火花が散った。
その音が、初めての防衛戦の本当の幕開けを告げた。
つづく。




