第7話「畑を砦に」
紅月国の密使カイルが去った後も、世界樹の根元にはざわめきが残っていた。
畑を砦に――。
彼が残した言葉は突飛で荒唐無稽に聞こえたが、誰ひとり笑わなかった。
芽吹きの奇跡を見てしまったからだ。
俺も同じだった。
ただの農夫でしかなかった俺が、いまや「守り人」と呼ばれている。
鍬を握る手のひらに、これまでとは違う重さが宿っていた。
「……さて、まずは何から始めようか」
俺が口を開くと、傭兵の青年ラグが真っ先に応じた。
「守るなら壁だろう。ここは開けすぎてる。敵が突っ込んできたら、ひとたまりもない」
カサンドラが頷く。
「世界樹の根を利用する。枝や蔓は伸ばすほど強固になる。だが制御は誰にもできん。……お前ならできるのか?」
俺は息を吸い、世界樹の根元に手を置いた。
温かさが伝わり、胸の奥がざわめく。
土の下に広がる根の網が、確かに俺に応えているのを感じた。
「……やってみる」
掌から【水やり】を放つ。
糸のような水が土にしみこみ、根へと届く。
すると、大地が震え、畑の外周で根が隆起した。
ごつごつとした根は絡まり合い、やがて人の背丈を超える壁を形作った。
村人たちが歓声を上げる。
「おお……!」
「木の壁だ!」
「これなら……守れるかもしれない!」
俺は汗を拭いながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
できる。畑を砦に――本当に。
だが壁を作っただけでは足りない。
次は水脈だ。
カイルが言っていた。
「湧き水を堀に変えろ」と。
俺は傭兵や村人たちに指示を出し、鍬や槌で地面を掘り進めた。
湧き水の流れを誘導し、外周に沿って巡らせる。
すると水は光を帯び、細い川のように流れ始めた。
子どもがその水を覗き込む。
「きれい……」
確かに、その水は澄んで美しく、光の粉を含んでいた。
防御だけでなく、癒やしの力を持つ堀。
畑は、少しずつ砦へと変わっていった。
数日が過ぎた。
人々は協力し合い、それぞれの役割を見つけていった。
老婆は薬草を集め、子どもは種を運び、傭兵たちは根と水脈を利用した罠を仕掛けた。
焚き火の夜、皆で食事を分け合う時間には、笑い声さえ生まれるようになっていた。
「アレン様。俺たち、本当に戦えるんだな」
ラグが笑う。
「ただの畑だったのに、今じゃ城塞だ」
俺も笑みを返す。
「そうだな。でも忘れるなよ。俺たちが守りたいのは戦うためじゃない。耕して、食べて、生きるためだ」
その言葉に、村人たちが頷いた。
だが平穏は長く続かなかった。
夜明け前、見張りの叫び声が響いた。
「敵だ! 紅月国の兵が近づいている!」
胸が凍りつく。
ついに来たか――。
鍬を握り、壁の上に駆け上がる。
夜明けの薄明かりの中、赤い紋章を掲げた兵の列が進んでくるのが見えた。
数は百ほど。大軍ではないが、斥候の報復にしては多すぎる。
「……試しに来たな」
カサンドラが低く言う。
「砦の力を測るつもりだ」
心臓が早鐘を打つ。
だが、恐怖と同じくらい胸の奥には熱があった。
俺は振り返り、皆に叫ぶ。
「畑を守れ! ここは俺たちの居場所だ!」
その声に応じて、世界樹の枝葉がざわめいた。
光の粉が降り注ぎ、壁と堀を包む。
戦いの幕が、いま開こうとしていた――。
つづく。




